レンリの魔法講座:肉体強化について
『知恵の木の実』を食したルカが発揮した尋常ではない怪力に、一同は目を見開いて驚いていましたが、彼女の話を聞くに、どうやら怪力は新しく習得したモノではなく元々の特技なのだと分かりました。
なんでも、物心ついた時にはいつの間にかそのようなことが出来るようになっていたのだとか。
太い鉄棒を融けた飴のようにグニャグニャ曲げたり、頑丈な鉄兜を手の平に隠せる大きさにまで握り潰せたり。他にも様々なことが出来るようです。
「なるほど。ルカ君はどうやら普段から無意識のうちに魔力で肉体を強化しているようだね」
歩きながらルカの話を聞いていたレンリは、すぐに彼女の“特技”の正体に思い至ったようです。
「そう……なの?」
「へえ、ルカも魔法使いだったの?」
「え……違うと、思う……けど……?」
ルカ自身も自分の特技の理由は知らなかったようで、ルグに魔法使いと言われても、どうにもピンと来ない様子。そもそも、彼女には誰かに魔法を習った記憶も、練習したこともないのです。
まだアルバトロス一家の先代が健在だった頃は、稀に用心棒として呼ばれた先で鉄剣を捻じ曲げるパフォーマンスをさせられたり(大抵のチンピラはこれでお行儀よくなります)、ペットのロノがまだ物心つく前には暴れた際に腕力で取り押さえる役目をしたりしていました。
それに最近では列車の連結器を握り潰したり、鋼鉄製の食堂車を半壊させたりと色々やってきましたが、ルカにとっては幼い頃からそれが当たり前なので怪力の理由に関しては特に気にしてこなかったのでしょう。
そんなルカにレンリが身体強化の魔法についての説明を始めました。
「身体強化の魔法っていうのは、ちょっと特殊でね。まず、基本的に詠唱が必要ないんだ」
「そう、なの……?」
身体強化は数多ある魔法の中でも最も易しく、かつ極めるのは非常に困難という特殊な技術なのです。
魔力というエネルギー自体は量の多寡はあっても誰にでもありますし、体外での精密な操作を必要とする一般の魔法と異なり、習得も容易なのです。
「だから、魔法を習ったことがなくとも無自覚に身体強化を使っている人って結構いるんだよ。武芸者とか肉体労働者とか、身体を酷使する人ほど多いかな」
レンリが言ったようなことは魔法使いの間では有名な話だったようです。だから、ルカの特技の正体もすぐに分かったのでしょう。
「とはいえ、ルカ君の場合は魔力量と出力が桁外れのようだがね」
魔法を知らない素人でも使える可能性があるとはいえ、魔力を用いた身体強化は素の筋力の五割増し程度が普通。才能のある者なら三倍から五倍。
才能がある者が長期に渡って正式な訓練を積めば素の何十倍もの筋力を発揮できることもありますが、それでもルカ程の強化倍率に達する者は稀でしょう。
「へえ、ルカってすごいんだな!」
「え、あの……それほどでも……あぅ」
ルグに褒められて照れたのか、ルカは赤くなった顔を伏せています。元々、目元まで前髪で隠れているので表情の変化はわかりにくいのですが、家族以外にそんなことを言われるのに慣れていないのでしょう。
そんな彼らの様子をニヤニヤと眺めながら、レンリは強化魔法のウンチクを続けます。
「単純に力を強くするといっても、ただ筋肉の強度を上げればいいというわけではないんだよ」
鍛え抜かれた筋肉を「鋼鉄のようだ」などと形容することがありますが、実際に大きな力を発揮するためには堅さではなく弾力性や柔軟性こそが要になります。
単純に筋力の強化とはいっても、大きな力を効率的に発揮するには筋繊維の柔らかさと強度、ある意味では矛盾した要素をバランス良く両立しないといけないのです。
「それに、無理な力を出そうとすると骨格が力に耐え切れずに砕けたり、神経や血管が断裂したりすることもある。ルカ君はそういう怪我をしたことは?」
「ない、よ。そういえば……わたし、怪我したこと……ない、かも?」
筋肉の強化だけに魔力を集中できれば、一見効率が良いように思えるかもしれませんが、それを意識的にやった場合は恐らく大怪我をすることになるでしょう。普通は防衛本能が働いて魔力を抑えたり途中で痛みを感じるので、わざとでもない限りはそんなことになりませんが。
肉体強化というのは骨格や血管や神経や皮膚、脳や呼吸器系や消化器系やその他諸々の内臓など、全体のバランスを整えないと出力に耐え切れず自壊を招く危険性もあるのです。
逆に言えば、全体のバランスさえ崩れなければ理論上は際限なく強化することも可能ですが、強化倍率が一定以上になると自壊を防ぐための必要魔力が加速度的に増していくので、よほど魔力が有り余ってでもいない限りは現実的ではありません。それに、仮にそんな量の魔力があっても普通の魔法使いはもっと効率のいい使い方をします。
「それに話を聞いた感じだと、ルカ君は瞬間的な重量変化まで行っているようだね。重心の関係上、ただ力が強いだけでは自重より重い物を持とうとしても振り回されてしまうんだ」
物体の重量を重くしたり軽くしたりというのは、厳密には肉体強化ではない別種の魔法ですが、これも体外ではなく自身の肉体に作用させる分にはそれほど難度が高いわけではありません。
ルカの場合はその時々の足場が崩れない程度に、かつ重量物を持ったり何かを殴る際に反動負けしないように体重を瞬間的に変化させているのでしょう。
「ちなみに、軽くはなれないのかい?」
「う、うん……無理、みたい。重いより、軽いほうが……いいのに」
“重さ”を褒められたルカはあまり嬉しそうではありません。
そのあたりの身体の重さ云々に関しては複雑な乙女心があるのでしょう。
「おっと、つい話が長くなってしまったけど、ルカ君はそういった一連のことを意識せずにやってるらしいのさ。ま、一言で分かりやすく言えば天才ってやつだね」
「へえ! すごいな、ルカ!」
「べ、別にわた、し……すごくない、から……その、あの……」
レンリからは天才だのなんだの言われ、ルグからは素直な賞賛とキラキラした憧れの眼差しを向けられ、ついでに先程軽率に木をへし折ってしまったせいで周囲の受講者たちからもずっと視線を集めており、人に注目されるのが苦手なルカは今にも消え入りそうな様子。
顔を伏せるどころか完全に真下を向いている状態で、よくもまあ森の中を転ばず器用に歩けるものです。もしかしたら、三半規管や触覚、聴覚などの感覚器官も無自覚のまま鋭敏化させているのかもしれません。
「ところでさ、レンはその強化魔法とかって使わないの?」
と、ここでルグがレンリに話題を振りました。
「ああ、私は……使えるといえば使えるというか、実は今も使っているんだけどね」
「そうなの?」
レンリはこの講習のかなり早い段階から、ルカほどの強化倍率ではないとはいえ、すでに体内魔力を操作して肉体を強化していました。
見るからに足取りがフラフラしていて、お喋りで気を逸らさなければすぐにでも倒れこんでしまいそうな疲労困憊具合ですが、これでも肉体を強化した状態なのです。
もしくは、「強化してもコレ」とでも表現したほうが状態が分かりやすいかもしれません。
肉体強化の魔法というのは、素の肉体の強度が低ければ大して意味がありません。
人一倍ひ弱な者が使っても、人並み程度になるのが精々でしょう。今回のレンリの場合、長時間に渡って使用し続けるために強化率をほぼ最低の状態にしているという事情もありますが。
「ふふふ……私の体力と運動神経の無さを甘くみてもらっては困るよ。正直、もうすぐ魔力が切れそうで本格的にまずいのさ……」
「少しは鍛えなよ。荷物、半分持とうか?」
「わ、わたしも……持つ、よ?」
ルグに鞄を預けた上でルカに肩を貸してもらい、レンリはどうにかこうにか倒れずに次の休憩地まで辿り着くことができました。
強化魔法って最近のファンタジー作品だと定番ですよね。
『迷宮』シリーズにおいては大体こんな感じの性能です。突然、ボディビルダー染みたキレキレのマッチョになったりはしませんのでご安心を。