逃走開始
「まぁ、乗りかかった船だしねぇ」
「あ、ありがとう!」
あまり気は進まないながらも、結局ラックは正体不明の少女を助けることにしました。とはいえ、飛空艇で恐ろしいことがあったとか、逃げてきたなどという言葉の全部をそのまま信じたワケではありません。
なにしろ、言っている本人も「そんな気がする」というだけで上手く説明が出来ないのだからそれも当然。現時点では半信半疑どころか、八割くらいは疑いが勝っているというのが正直なところです。相手が好みの美人だという点をオマケしても七割が精々でしょう。
ラックは女好きではありますが、そういう部分は冷静というかドライというか、意外と節度のあるスケベ野郎なのです。下心で保身の判断を誤ることなど“滅多に”ありません。
しかし、万が一彼女の危惧が真実だった場合、ここで見捨てたら寝覚めの悪いことになりかねません。今ならまだ手を引くのは簡単ですが、その後で彼女の身に何が起こっても平気でいられるほど非情にはなれないでしょう。気持ちの悪い罪悪感をずっと引きずってしまいそうです。その辺り、彼は自分の性格というか悪党としての身の程をよく弁えていました。
「これからどうすればいいと思う?」
「そうだねぇ、とりあえず服でも見に行こうか」
初手で服屋行きを提案するなどまるでデートのようですが、もちろんラックにそういった意図はありません。もし本当に目の前の少女を良からぬ輩が追っているならば、元々彼女が着ていた服は追跡の手がかりになってしまいます。早急に着替える必要がありました。
現在フレイヤが着ているのは、稽古用の動きやすい半袖シャツと七分丈のクロップドパンツの組み合わせ。練習で動き回っている時は薄着なくらいでちょうど良いのでしょうが、涼しくなり始めた時期に街中を歩くにはあまり向かない格好です。このままでは、人混みに紛れようにも変に目立ってしまいます。
また炎のような色合いの赤髪も、帽子かフード付きの服で隠したほうがいいでしょう。髪を短く切るか染めてしまえば更に追跡は困難になりますが、本当に逃げるべきかも分からない現状で取り返しの付かない手は使いたくないので、その案についてはラックはあえて黙っていました。
それらの変装作戦については、現在のやけに頭が回るようになっているフレイヤも賛同しました。長いツインテールの髪も一度解いてから一本にまとめ、シャツの背中部分に入れて隠しています。小柄な割に主張が激しい胸のせいで性別までは誤魔化せませんが、これなら遠くから見る分にはショートカットの女性に見えるでしょう。
そうして最低限の変装をした後、二人は人目につかない道を選びつつ、なるべく安い(重要!)服屋を探すことになりました。
なお、人目に付かぬよう逃げるならばロノは一緒に行けません。単に追跡者(仮)から距離を取るだけなら二人でロノに乗って飛んでいくのが一番なのですが、街中で鷲獅子の姿はあまりにも目立ちすぎます。ラックは倉庫街の上を旋回しながら待機していたロノに、先に屋敷に帰るように言っておきました。
「助けてもらって言うのもなんだけど、やけにこういうのに手慣れてない?」
「ほら、僕って見ての通りイイ男なもんだからねぇ。いつも女の子達から逃げてるのさ」
冗談めかして誤魔化していますが、実際ラックにとって人目を欺きながら逃げ回るなど珍しいことではありません。大抵はちんけな不良グループや気の荒い酔っ払いなどのつまらぬ相手でしたが、よく故郷の街中で追いかけっこをしたものです。
原因はその時々で違い、道端や酒場で因縁をつけられたり、女性をナンパしたらその夫や恋人が出てきたり、ツケの溜まっていた酒場の店主に追いかけられたりと様々でしたが、誰が相手だろうと決して捕まることはありませんでした。
単純な足の速さならラック以上の人間は珍しくありませんが、追跡者の心理の隙を突くような逃げ方のテクニックは多少の身体能力差など埋めて余りあります。本気で逃げるラックを捕まえるなら、少なくとも数百人単位の兵を計画的に動員して包囲網でも作らなければ難しいでしょう。
◆◆◆
しかし、フレイヤが飛空艇から落ちて数時間後の宵の内。
学都の領主館にて。
「なんと、歌姫殿が行方不明であるか!?」
「は、はい、伯爵閣下にはなんとお詫び申し上げればよいものやら……」
飛空艇を降りたオルテシア女史は、この地の有力者であり、今回の公演にあたって一座を招致した劇場オーナーでもあるエスメラルダ伯爵に面会していました。
いくら伯爵が気さくな人物とはいえ、本来ならば王族でも貴族でもない平民がこれほど早く会うのは難しいのですが、此度の公演について大至急伝えたいことがあると使用人に言伝を頼み、異例の早さでの面会が叶ったのです。
何を大袈裟なと考える向きもあるかもしれませんが、一座の座長であり花形スターであり、今度の芝居の主演女優でもある重要人物が、飛空艇からの転落事故を起こした挙句に行方不明というのは、よくよく考えればとんでもない大事件です。
死体が見つかっていないので、どうやら死亡事故ではないらしいという一点だけは不幸中の幸いと言えなくもありませんが、それでも行方不明という部分は変わりません。
下手に隠そうなどと考えず、墜落地点周辺にフレイヤの姿がないことを確認した時点で早々に身内での自力解決を諦め、伯爵を頼る決断をしたオルテシア女史の判断力は賞賛に値します。
「うむ、よくぞ我輩に知らせてくれた! 騎士団や冒険者組合にも協力を要請し、我が街の総力を挙げて歌姫殿を探し出してみせるのである!」
芝居好きの伯爵は興奮のあまり全身の筋肉を巨大化させながら、歌姫捜索の頼みを快諾するのでした。




