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女心と秋の空


 ラックとロノが落下する人影に気付くよりも数分ほど前。学都の遥か上空を周遊する劇場艇では、ちょっとしたトラブルが発生していました。




 ◆◆◆




 真っ赤な飛空艇、その正式名を『サラマンドラ号』という艇の甲板(デッキ)部分では、本日も朝から厳しい稽古が行われていました。


 いくら並の外洋帆船以上の大型艇とはいえ、普通は甲板でやるようなことではありませんが劇場艇と呼ばれているのは伊達ではありません。今回は街の劇場での興行ですが、訪れる土地によっては演目に対して舞台が小さすぎたり、そもそも上演できるような建物がない場合もしばしば。

 そんな時でも艇を降ろせるだけの空き地があれば、サラマンドラ号そのものが変形して舞台になるという大掛かりな変形機構があるのです。飛行中であってもリハーサルくらいなら問題なく行えるのです。


 もうすぐ数日後には地上の劇場での公演が始まります。

 以前の巡業地を離れてからも練習はしていましたが、時間に余裕があるわけでは決してないのです。台本の暗記、歌や踊りの細かな確認、小道具や衣装の作り込み、現場となるエスメラルダ劇場のスタッフとの打ち合わせ等々、やらねばならない仕事は無数にありました。

 舞台の広さや照明の具合によっては演技内容を変えたりだとか、道具の作り直しも必要になってきますし、解決したはずの問題が再浮上してくることだって全然珍しくありません。


 今回の巡業で出番がない団員達は地上の宿で寛いで、半ば観光気分で学都の街で気ままに芸を披露したり遊んだりしているのですが、それとは全くの正反対。

 早朝から深夜まで、食事と手洗い以外はずっと働き詰めの状態が続いていますが、それでもスケジュール的にはギリギリの綱渡りです。まあ、ギリギリなのは今回に限らず、どこの土地に行っても大抵は似たような感じになってしまうのですが。

 

 それならば手空きの者にも手伝ってもらえばいいかと思うかもしれませんが、現在この場にいない者は演劇以外の専門家ばかりで、つまりは特に役に立ちそうもない素人ばかり。いくら専門分野に関して見事な技を持っていようと意味はありません。

 むしろ、下手に艇に残していると芸の練習や暇潰しの遊びに巻き込まれて進行が遅れかねないので、いないほうが助かるのです。それにこれが別ジャンルの、例えば曲芸や奇術がメインの興行だったら立場がそっくり入れ替わってしまうワケで、一時の不公平に不満を言うと別の機会に自分が困ることになりかねません。


 まあ、それでも飛空艇で移動時間を大幅に短縮できる上に移動中にも練習ができるので、他の一般的な劇団に比べれば相当に恵まれた条件であると言えるでしょう。








 ◆◆◆







 とはいえ、いくら他所より良い条件だとて不満が完全に無くなるワケではありません。特にこうして何日も稽古漬けだと、ストレスが限界を超えて不満を訴える者も出てきます。



「もうヤダー! アタシも遊びたいーっ!」



 この日も、小柄な少女が抗議の意思を訴えていました。甲板に倒れこんでゴロゴロ転がり、手足をジタバタと動かす様は、玩具屋の前で駄々をこねる子供のようです。手にしていた台本もそこらの床に放り出されています。

 炎のように鮮やかな赤髪も、彼女の荒んだ気分を反映するかのようにボサボサになっていました。いえ、それに関しては単に長い髪を自分の身体で下敷きにしているせいかもしれませんが。このまま放置していると、せっかくの綺麗な髪が痛んでしまいそうです。


 そんな醜態を披露しているのは、この炎天一座の座長であり、そして大陸中にその名声を轟かせる歌姫フレイヤその人。劇場艇を私有する人物でもあります。



「えっと……ほら、適度に休んで英気を養ったほうが効率が良いんじゃない?」


「ダメです、そんな時間はありません」



 麗しき歌姫はどこかで聞きかじったような説明で休養の必要性をアピールしましたが、すぐ傍で冷徹に見下ろす長身の女性にノータイムで却下されました。



「えぇ~、オルテちゃんの意地悪~……行き遅れ~……」


「行き遅れは関係ないでしょう! そもそも年齢のことを言うならフレイヤのほうがずっと……じゃなくてっ、貴女のせいでスケジュールが遅れてるんですからね。シャキっとなさい!」



 フレイヤが「オルテちゃん」と呼んだ女性の名はオルテシア。ピッチリまとめた黒髪と銀縁眼鏡が印象的なヒト種の女性です。見た目も中身も真面目一徹。宮廷か役所で文官でも務めていそうな才女です。どこぞの別世界なら典型的(ベタ)な委員長タイプとでも評されていることでしょう。


 そんなオルテシア女史は、この一座の経理やスケジュール管理、各方面との交渉を一手に引き受ける重要な役割を担っています。他にも簡単な事務仕事を手伝える人員は数人いますが、基本的にこの一座の人間は何らかの芸を修めた演者と、彼らを支える裏方ばかり。

 良く言えば仕事一筋の職人タイプ、飾らずに言えば専門分野以外にはロクに興味を示さない気分屋集団の中で、そういった地味だけれど絶対に必要な能力を持つ者はとても貴重なのです。女史の尽力がなければ、この一座は一瞬にして空中分解してしまうでしょう。



「だいたい、なんでアタシが主演女優なのさ~? マリーちゃんとかミミちゃんに変えたほうがいいんじゃない?」


「貴女が自分からやりたいって言ったんでしょうに。それに、あの二人はそれぞれ別の役に充てていますから変更は無理です」


「あ、そうだった。忘れてたよ」



 「歌姫」と称されるように、フレイヤ自身の専門は歌唱。それ以外にも踊りや、曲芸の火の輪くぐりや火吹き芸なんかも得意としていますが、演技の専門家というワケではありません。


 とはいえ、今よりも一座の規模が小さかった頃は、演劇系の興行にも助演として幾度も出たので全くの素人ではないですし、舞台慣れしている上に勘が良いので単純な演技力そのものは本職にも見劣りしない水準に達しています。

 ですが、彼女には台本の覚えがとにかく悪いという欠点があったのです。台詞の少ない脇役ならともかく、ずっと舞台に出ずっぱりの主演というのは荷が重く思えても仕方ないでしょう。


 しかし今回は何を考えたのか(もしくは考えなかったのか)本人が出演を希望していましたし、それに何より世間での「歌姫」の人気は本物です。各国の王侯貴族から一般庶民までフレイヤのファンは多く、大都市での興行の際は面会の申し込み状や晩餐会への招待状が山のように送られてきます。

 礼儀作法に自信のない彼女がボロを出さないようにと、相手がよほどの大物でもなければオルテシア女史が丁重に断るようにしているのですが、それがますます高嶺の花としての価値を高め、招待状の数を増やす結果になったのは皮肉なものです。


 それほどの人気歌手であるフレイヤが主演女優として舞台に立つとなれば、反響は凄まじいものになるでしょう。演技の技術そのものは第一線で活躍する役者には及ばないかもしれませんが、話題性や金銭的利益を考えれば実行に移す価値は十分にあるでしょう。


 そして、実際の反響は想像通りの……いえ、想像を遥かに超えて大きいものでした。何ヶ月も前から宣伝した甲斐もあり、学都の劇場には毎日大勢のファンが早朝から抽選に参加すべく詰め掛けていました。

 公演の期間は半月を予定していますが、三日前の時点で既に全日全席のチケットが売り切れたという報せが入っています。それでもなお、キャンセル待ち狙いで毎日劇場に通う者が少なからずいるというのですから、人気の熱は収まるどころかより激しくなる一方です。


 ここまでくれば始まる前から成功が約束されたようなもの。

 あとは準備を終えて開演まで漕ぎ着ければ勝ったも同然なのですが、



「今日は夕方までにリハーサルを通しで三セット。場面ごとのリハは苦手な部分を重点的に最低でも五本ずつ。そうそう、衣装班から衣装合わせも頼まれていました。それは台本読みと並行しながらやりましょう」


「……え、あの、休憩はどこ?」


「大丈夫、ちゃんとありますよ。夕食の時に三分ほどですが存分に休んでください。ああ、そうやって時間を浪費しようがどうしようが、全部の予定を消化しない限り今夜は寝れませんので」


「ふぎゃ――――っ!」



 甲板に寝転んだままのフレイヤでしたが、あまりに殺人的なスケジュールを聞かされたショックで、突如奇声を上げながら跳ね起きました。そのまま反射的に逃げ出そうと走り出したのですが、生憎ここは空の上。演劇の練習が出来るほどの広さとはいえ、本気で走ったらすぐに甲板の端に着いてしまいます。

 座長の奇行や女史とのこんなやり取りはいつものことなので、他の役者や裏方のスタッフもそんな様子を微笑ましく見守っていたのですが、



「「「あ」」」



 フレイヤも甲板端の手すりの手前で止まろうとはしたらしいのですが、制動をかけようと踏み出した足が、先程床に放り投げた台本を思いっきり踏んづけていました。

 そして、紙というのは案外滑りの良い物なのです。

 小柄な身体全体が疾走の勢いをそのままにツルッと滑って一回転。高めに設置してあるはずの手すりを奇跡的なスムーズさで引っかからずに乗り越えて、そのまま地上に向けて落ちていってしまいました。




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