男心と秋の空
「また大きくなってるねぇ。食事が良いからかな?」
『くるるっ』
他の面々が出かけた後、ラックはロノに乗って飛ぶための準備をしていました。
鷲獅子としてはまだまだ子供のロノは、未だ成長の途上にあるのでしょう。学都に来た春頃と比べると、一回り近くも大きくなっていました。この屋敷に住み始めてからは栄養状態が一層良くなりましたし、更に成長速度が増したかもしれません。
現時点でもちょっとした馬車サイズなのですが、鷲獅子は大型の種だと全長10mを超えて20mに達する個体すらいる大型の魔獣です。ロノがどこまで大きくなるかは実際になってみないと分かりませんが、まだ当分は育ち続けることでしょう。
背に取り付ける鞍は最初に作った時から改良に改良を重ね、より安全性と快適性を高めた形状になっています。シモンの監修を受けながら馬具職人達と作り上げた自信作です。
丈夫な革をベースに金属部品で補強を入れているのは初期段階の試作品と同じですが、様々な体格の客を乗せることを考慮して、足を置く鐙の高さや腰部を固定するベルトもより細かな調整が可能になっています。
実際、この鞍によって乗り心地は相当に良くなりました。背中の毛を掴んで直に背に乗っていた頃とは比べ物になりません。ロノが成長することも見越しているので、ベルトで調整すれば当分は今の鞍を使い続けることができるはずです。
「よっし、あとはベルトで固定して、っと。付け心地は大丈夫かい?」
『キュウゥ』
「そうかそうか、そりゃ良かった」
当初はここまで凝る予定はなかったのですが、身内だけが乗るだけならともかく、お客を乗せて飛ぶとなると、やはり安全性が問題になってきます。
首都の役人達を説得するために提出した申請書類には、使用する鞍の寸法や材質まで細かく記載しましたし、実際に営業を始めた際の飛行時間や料金なども事細かに決めねばなりませんでした。なにしろ前例のない事業なので、仕方のないことではありますが。
そんな書類仕事にまったく縁の無かったラックは計画を思いついたことを後悔し、何度も諦めようとしたものです。シモンの助けがなければ早々に放り出していたに違いありません。
具体的にいつまでと決まってはいませんが、シモンも彼ら一家の面倒を永久に見るわけにはいきません。彼ら自身が自活する手段を得られるならば、それに越したことはないのです。シモンが親身に協力したのには、そういった理由もありました。
まあ、細かい過程についての詳細は省いておきましょう。
何十枚何百枚もの紙を無駄にし、インクで手を真っ黒に汚し、その後もひたすら待ちぼうけをくらい、それでも苦労の甲斐あってどうにか営業許可を得ることができたのです。
実際の営業開始は数日後を予定していますが、ちょくちょく街の上空を飛んでいたことが宣伝になっていたのか既に予約も入っています。料金設定は遊興としてはかなり割高に設定したのですが(独占商売の強みです)、この調子ならかなりの儲けが期待できるでしょう。
「あぁ~……働きたくないなぁ」
まあラックの口からは、この期に及んでそんな言葉がちょくちょく出ているのですが。とはいえ、他の誰かが変わるわけにもいきません。
仕事の性質上、客を乗せて飛ぶ間はロノに指示を与えるために兄弟の誰かが御者を務めねばなりません。しかし、ルカの性格ではとても客商売は無理ですし、リンには屋敷での家事仕事があります。
ロノと一番上手く意思疎通が取れるのはレイルなのですが、まさか五歳児にそこまで任せるわけにもいきません。乗り込む客だって不安になるでしょう。
というワケで、消去法で御者役はラック以外にいないのです。
性格はともかく見た目だけなら二枚目ですし、口もよく回るので見知らぬ客が相手でも問題はないでしょう。御者といってもロノに口頭で飛ぶ方向を指示するくらいなので、そう難しいことでもありません。
一日の飛行時間や飛行回数は、ロノの疲労も考慮してかなり少なめに設定してありますし、忙しすぎて自由時間が無くなるということもないはずです。
むしろ、簡単な仕事で大儲けできるという誰もが羨むような好条件なのですが……ラックは、ただ単純に労働と名の付く行為をしたくないだけなのです。筋金入りのダメ人間でした。
「……いーい風だねぇ」
結局、その件については考えるのを止め、頭を空っぽにして飛ぶことにしたようです。もう秋とはいえ昼間の日差しはポカポカと心地良く、飛行中に感じる風も柔らかくて眠気を誘います。このまま街の外の丘にでも飛んでいって、優雅に昼寝と洒落込むのもいいかもしれません。
眼下の街を見下ろすと、ロノを見上げて驚きのあまりポカンと口を開けたり、ラックに気付いて手を振ってくる人々もいました。前者は恐らく学都に来て間もない住人か観光客といったところでしょう。
鷲獅子なんて普通の人にとっては本で読んだか、話に聞いたことがあるだけの怪物です。それが街の上空を我が物顔で飛んでいるのですから、事情を知らなければ驚くのも無理はありません。
風に乗って漂ってくる香りは、どこかの屋台が肉串でも焼いている匂いでしょうか。まだ昼ご飯を食べたばかりですが、ついつい食欲が刺激されてしまいます。
大きな広場や公園などには、いくつもの人だかりが見えました。恐らくは話題の一座の芸人達が自慢の技を披露しているのでしょう。今頃、街のどこかでリンやレイルも楽しんでいるはずです。シモンだけは苦しんでいるかもしれませんが、まあ最悪でも死ぬことはないでしょう。
空から見下ろしていると、人々の生活の様子がとてもよく見えてきます。ぼんやりと眺めているだけでも面白く、ラックは下方に向けた視線を当て所なく彷徨わせていたのですが……、
『キュルルッ』
「うん、上がどうかしたのかい?」
突然、ロノが鋭い鳴き声で警戒を促してきました。
クチバシを上空に向けて、何かを訴えているようです。
普段は学都の上空を飛ぶのはロノや鳥達くらいですが、先日からは真っ赤な飛空艇もそこに加わりました。毎日郊外の平地に着陸しては人員や資材の搬出入をしているようですが、その時以外は昼も夜もずっと飛び続けています。
「ああ、あの艇がどうかした……ってぇ、ヤバっ!?」
ロノがいつになく慌てている理由は、ラックにも一目で分かりました。
空を行く劇場艇の、その少し下。
甲板で足でも滑らせたのか、それとも何らかの事故で放り出されたのかは不明ですが、高空を飛ぶ船から人が真っ逆さまに落ちていたのです。このまま地面に激突すればどうなるかなど想像したくもありませんし、想像するまでもありません。
「ロノ、全速力!」
『キュウ!』
受け止められるかどうかは距離的にギリギリですが、ここで何もしないという選択肢はありません。ラック達は空気を切り裂くような速さで、空を落ちる人影へと向けて飛翔しました。




