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シモンの特訓


 最近、ルカの一日に新たな日課が加わりました。

 午前中に家事の手伝いを済ませたら、ちょうどお昼時にルグやレンリと待ち合わせて、一緒にお昼を取るようにしているのです。時にはウルやゴゴもそこに加わります。

 食事の後は誰かに買い物の用事があればそれに付き合ったり、ただのんびりと散歩をしたり。ちなみに今日は、今度の劇場行きの服を見に行く予定です。大きな進展はないものの、ルカはそんな何でもない毎日が楽しくて仕方ありませんでした。



「ふふ、おはよう、お兄ちゃん……いって、きます」


「うん? ああ、いってらっしゃい」



 この日もルカは上機嫌で出かけていきました。

 昼頃にようやく起き出してきて、たまたま玄関近くにいたラックは、そんな彼女らしからぬ様子に軽い違和感を覚えましたが、あえて本人に指摘するようなことでもありません。そのまま軽く手を振って見送りました。


 ラックが食堂に足を向けると、ちょうど昼食が始まるタイミング。

 長女リンと次男レイル、今日は家主であるシモンも一緒にいます。居候中のタイムは領主館に絵仕事に行っており不在でした。

 今日のお昼は、昨夜の残り物の焼肉と生野菜を挟んだサンドイッチです。迷宮産の猪系魔物だという肉には少し癖があるのですが、食べ慣れると病みつきになります。生姜風味の濃いタレも良く合っていました。バターを塗ったトーストとも相性は悪くありません。

 


「最近やけにご機嫌だよねぇ?」


「心当たりはなくもないけど……ま、いいことじゃないの?」


「うんうん、いいことだー」


「うむ、違いない」



 サンドイッチを頬張りながら、ラックは先程のルカの様子について話を振ってみました。他の家族やシモンもルカの変化には気が付いていましたが、その原因に関しては各々で想像するに留まっています。

 隠し事が下手なルカですから、誘導尋問的に聞き出そうとすれば容易く理由を知ることはできることでしょうが、可能だからといって無理に暴くこともありません。何か良いことでもあったのだろうと、その件は軽く流しました。


 そして後に続く話題は、この日の午後の予定について。



「ねぇねぇ、シモン兄。また今日も観にいくんでしょ? オレも付いていっていい?」


「う、うむ、俺も本番に備えておかねばならんからな……」



 レイルに顔を向けられたシモンは微妙に青い顔をしています。あまり食も進んでおらず、ここ数日の間にパッと見て分かるくらいに痩せていました。


 一度はルカの頼みを断ったシモンですが、この地の有力者である伯爵から直々の招待を受けたことや、自身の不甲斐なさへの憤りもあったのでしょう。

 例え今回の招待を断ってやり過ごしたとしても、今後別の誰かに誘われないとも限りません。その度に姑息な言い訳を考えて、情けない気分になりながら断り続けて良いものか?


 いいや、そんなはずはない。


 丸々一昼夜悩んだ末に、シモンは自らの弱点を克服しようという一大決心をしたのです。ちなみに、一度断ってしまったルカには土下座で謝っておきました。向こうは全然気にしていなかった上に、物凄く恐縮されて何故か土下座し返されてしまいましたが。



「また薬屋に寄って胃薬を買っておかねば……」


「もう無くなったの? まったく、無理するわね。男って変なところで意地っ張りなんだから」



 弱点克服の為のシモンの特訓は熾烈を極めました。

 まず最初は劇場の周りを延々と練り歩いて、場所に対する苦手意識を薄めることから始めたのですが、この段階から既にキリキリと胃が痛みを訴えてきました。

 一時は粥すら受け付けないほど身体が弱っていたのですが、それでも胃薬や痛み止めの助けを借りながら我慢を続け、どうにか劇場付近の空気に耐えられるようになったのです。まるで水棲生物が陸に適応しようと進化するかのような、涙ぐましい努力でありました。


 しかし、そこまでは第一関門に過ぎません。

 肝心の芝居鑑賞に耐えられねば、これまでの忍耐も全て無意味となり果てます。

 特訓は第二段階へ、実際に観劇を耐える段階と進みました。本来は耐えるのではなく楽しむべきものなのですが、それについては一旦忘れておきましょう。それが出来れば、そもそも最初からこんな馬鹿馬鹿しい特訓なんて必要ありません。


 この第二段階に関しては、ある意味とてもタイミングが良かったと言えるでしょう。それというのも、件の劇場艇を擁する炎天一座の芸人達が、ここ数日学都(アカデミア)のあちこちで辻芝居やら曲芸やらを披露しているのです。街中の路上や公園や酒場などで、突発的なゲリライベントが始まるような状況といえば分かりやすいかもしれません。


 本来は劇のリハーサルに注力すべき時期にそんなことをしている暇があるのかというと、これが意外とあるのです。正確には暇な人員が少なからずいるのです。


 というのも、かの炎天一座の特殊性に起因する話なのですが、彼らは別に演劇の専門集団というワケではありません。演技専門の役者もいれば、歌や踊りをメインとする者、トリックや魔法を用いた奇術の専門家、訓練された動物を自在に操る者、楽器演奏のプロ、メイクや演出家、大道具・小道具といった裏方など。

 全員合わせて優に百人以上。そういった何かしらの得意分野を持つ者達による、なんでもありの総合エンターテイメント集団とでも称すべきでしょうか。


 今回の学都(アカデミア)での巡業は演劇がメインではありますが、その公演中は演者や必要なスタッフ以外の者達の手が空いてしまいます。

 ですが、一座の人間は誰も彼もが筋金入りのエンターテイナー。新しい土地に来て、おとなしく休んでいられるはずもありません。一座で借り切っている宿を飛び出しては、あちこちで気の向くままに芸を披露して小遣い稼ぎをしているのです。

 言うなれば街全体がステージになったような状況で、街の人々も基本的にはそんな彼らを好意的に受け入れていました。シモンにとっては、いつどこに罠が潜んでいるか分からない危険な環境ですが、特訓をするには都合が良いと言えなくもないでしょう。






 ◆◆◆






「……さて、そろそろ行くか」


「じゃ、アタシも付いてくわ。夕飯の買い物あるし、荷物持ちお願いね」


 昼食後、シモンはリンとレイルと一緒に三人で出かけることになりました。

 シモンは相変わらず悲壮な表情を浮かべていますが、これなら少なくとも人知れず行き倒れる心配はないでしょう。

 リンとレイルも、見物料をシモンの財布から出してもらえるので文句はありません。元々彼らの生活費は全額シモン持ちなのですが、個々が自由に使えるお小遣いはそう多くないのです。



「兄ちゃんはどうするー?」


「んー? 僕は別にいいかなぁ」



 出かけ際にレイルがラックも誘いましたが、彼はそれほど芝居見物に興味はないようです。実はタイムからはルカ以外の家族も劇場行きに誘われたのですが、ラックだけはそれも断っていました。シモンのように苦手とするのではなく、単純に興味が湧かないだけなのでしょう。



「僕ぁロノと一緒にそこらをひとっ飛びしてくるよ。もうすぐ営業開始だし宣伝もしないとねぇ」



 それにラックには他にやるべきことがありました。以前から役所に申請していた鷲獅子(グリフォン)による遊覧飛行事業。その営業許可が、つい先日ようやく下りたのです。




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