人質事件(偽)
突然目の前に降ってきたルグとその他二名に驚いたルカは、いつものように頭が真っ白になって逃げ出してしまいそうになりましたが、
「逃げたらダメ」
「え……え?」
ライムの冷静で的確な判断力がルカの逃走に待ったをかけました。
より具体的にはルグの首に腕を回し、彼を人質に取って脅しをかけています。
意味が分からない状況に、パニックに陥りかけたルカの思考も急激に引き戻され、ひとまず逃げ出すことはありませんでした。
「おおぅ、我が妹ながらカッ飛んでるなぁ」
「あ、あの……?」
『な、なんなのなの?』
「えっと……何かの遊びかな?」
「やあ、ルカちゃん。ウルちゃんも一日ぶりだね。元気? そっちの子もライムの友達かい? はじめまして、こんにちは。どうも、よろしくね」
肩に担がれる荷物状態から解放されたタイムは、あまりにも直截的な妹の行動に感心していましたが、そこまで大きな動揺はなさそうです。自分の妹ならばこれくらいはやるだろうという篤い信頼関係が伺えます。
とりあえずは、事態に理解が追いついておらずフリーズ中の顔見知り二人とレンリに平然と挨拶をしていました。
「……えぇと?」
ルカはこの状況でどうすべきか決めあぐねていましたが、それも仕方のないことでしょう。
ルグを人質にして逃げないようにと言っていますが、ライムの小柄で可憐な容姿では子供同士がじゃれているようにしか見えません。これが凶悪な人相の大男とかだったら分かりやすく緊迫感が出てくれるのでしょうが、ライムが犯人役というのは明らかに役者が不足しています。
実際、天下の往来でコトを起こしているにも関わらず、周囲の人々は微笑ましいものを見るような目で見守っていました。達人級の技量による裸絞も、遠目には少年の背中から少女が抱きついているくらいにしか見えないことでしょう。
それに、人質を取ってルカを足止めしたはいいものの、
「で、ライム。これからどうするの?」
「あ」
ライムが考えていたのはルカを逃がさないようにすることだけで、そこから先はあまり考えていませんでした。
いえ、一応彼女なりの思惑はあったのです。先程感じた違和感、ルグがルカに口も聞いてもらえないほど嫌われたという話ですが、万が一それが本当なら嫌われている当人を人質にしても効果はないはず。自分が嫌っている相手が危険に晒されても、犯人の言うことを聞く道理はありません。強く心配することもないでしょう。
「むぅ?」
そうしたライムの予想からすると、ルカの反応はなんとも中途半端。
逃げることはありませんでしたが、ルグをそれほど心配しているようには見えません。
ライムとしては二人が不仲というのは何かしらの行き違いが元の、ただの誤解なのではないか……と、かなり正確な推測をしていたのですが、これでは判断ができません。
「そのままだと怖さが足りないんじゃない?」
「なるほど」
ライムは姉のアドバイスを受け入れ、とりあえず周囲に軽めの殺気を放ってみました。具体的には、血に餓えた人食い熊が三十頭ほど現れたくらいの威圧感でしょうか。
「ひぃっ」
「な、なんだ!?」
「突然寒気が……」
途端に周囲の通行人が原因不明の寒気に慄き、馬車馬は足を止め、付近一帯の野良猫が逃げ出し、鳩や鴉は一斉に飛び去りました。殺気の余波でそういったアクシデントが多少起きてしまいましたが、キョトンと首を傾げていたルカ達に問答無用の緊迫感を持たせることには成功したようです。
「それに、せっかく人質を取ったんだからルカちゃんに何か要求しないと」
「忘れてた」
人質を取った後で何かしらの要求をするからこその人質事件。
このままだと単なる傷害未遂でしかありません。
「私もよく知らないけど、人質を殺されたくなければ何々しろ~みたいな感じのやつ? あ、でも『殺す』ってのはあんまりスマートじゃないよね」
「ん。それは可哀想」
「じゃあ、こんな感じのはどうかな?」
普通は事件を起こす前に決めておくべき事柄なのでしょうが、ライムとタイムは皆の前で堂々と相談をしています。ライブ感重視のアドリブ派犯人なのです。
その間も殺気は放出され続けているのでルカ達はやや怯えているのですが、驚異的なまでに緊迫感のない言動で大半が相殺されている気がしないでもありません。
ゴニョゴニョと相談していた姉妹ですが、ようやく方針が決まりました。
「えー、ルカちゃんに告ぐー」
「は、はい……」
「我々の命令に従わなければ人質が――――」
長々と話すのが苦手なライムは人質の保持に務め、実際に要求を伝える役目はタイムがすることになったようです。こういうのも一応は適材適所と呼ぶのでしょうか?
「人質が一生お婿に行けないような辱めを受けることになるよ。具体的には、彼のヌード画をたくさん街中にバラまくとか? いや、手っ取り早くこの場で服を破って強制ストリップの刑というのも」
「……っ!? っ!?」
これまで達観した様子で流れに身を任せていたルグも、これには平静ではいられません。彼女達に相談したことをこれでもかと後悔しながら全力でもがきましたが、完全に極まった裸絞からの脱出は不可能。
不思議とあまり息苦しくはないのですが、絶妙な力加減で喉を圧迫され、声帯が動かせなくなっているのです。
「罰ゲームか何かにしてはちょっと過激だね」
『でも、我たちには関係ないみたいなのよ?』
「うん。まあ、ダメだったら後でルー君にご飯でも奢ってあげようか。お腹がいっぱいになれば元気も出るだろうしさ」
ちなみに蚊帳の外に置かれたままのレンリとウルは、呑気に成り行きを見守っていました。しかも、ある程度刑が執行されることを前提に話しています。
ルカが彼を見捨てることはないでしょうけれど、その条件が必ずしも履行可能とは限りません。手の出しようがないからという理由もありますが、ある意味とても現実的な姿勢ではありました。
「あ、あの……それは流石に、どうかと……」
「ふっふっふ。人質の尊厳はキミの選択にかかっているのだよ」
「慈悲はない」
あまりに残酷な刑罰を想像してしまったのか、ルカは顔を赤くして彼女なりに精一杯抗議しましたが、血も涙もない犯人達が躊躇うことはないでしょう。というか、ワルモノごっこをやっているうちに興が乗ってきたのか二人とも妙にノリノリです。ルカが要求を断ったら本当に実行しかねません。
「人質を無事に返して欲しければ……」
そして凶悪犯からルカに要求が伝えられました。その条件が飲まれなかった場合、ルグは何かしらの洒落にならない辱めを受けることになります。
「逃げたりしないで、ちゃんと仲良くしなさい。友達同士ならそりゃ喧嘩することもあるかもだけど、ヒトの顔を見て逃げるとか、お姉さん良くないと思うよ?」
「ん。失礼」
「え……? あ、はい……わかり、ました」
斯くして、急に良識人のようなことを言ってきた凶悪犯達の命令に従う形で、ルカがルグの前から逃げることは禁止されたのでありました。今後、もしも約束が破られた場合には恐るべき処刑人達がルグの前に現れることでしょう。




