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エスメラルダ伯爵


 エスメラルダ伯爵の住む領主館があるのは学都の北東部、豪邸が立ち並ぶ高級住宅街にあって一際目を引く大豪邸です。建物の規模自体はシモンの屋敷と同程度ですが、庭まで含めた土地面積はこちらのほうが倍ほども広いでしょう。


 特徴的なのは、その広い敷地を活用した果樹園や野菜を育てている畑でしょうか。

 貴族宅にありがちな観賞用に剪定された庭木や花園、芝生も全くないではありませんが、敷地の大半は荘園として食用作物を育てるのに利用しているようです。



「いや、キミがいてくれて助かったよ」


「なに、この程度ならお安い御用だ」



 シモンに面会の顔繋ぎを頼んだタイムの判断は正しかったようです。

 本日は騎士団長や王家としての公的な理由での訪問ではありませんが、シモンの顔を覚えていた門番はあっさりと二人を通してくれました。

 すぐさま使用人に館の応接室に案内され、伯爵氏との面会を希望する旨も伝えてあります。現在は出されたお茶を愉しみながら伯爵氏を待っている状況です。



「そういえば玄関ホールに肖像画が飾られていたが、あれは貴女の作品だったのだな」


「ああ、先代と先々代と先々々代の当主さんだよ。保存状態もいいし、大切にしてくれてるようで嬉しい限りだね」



 絵画というのは保存の仕方によって劣化の度合いが大きく変わってきます。

 大事に扱われている絵は数百年も残りますが、手入れや湿度管理を怠ると絵の具が色褪せたり、酷い場合には絵画の一部が剥げ落ちてしまったり。そういった絵画の修復を専門にする職人も存在するほどです。

 この館にあった肖像画は最も古い作品でも百年経っていない新しい物ばかりですが、描いた本人から見ても良い状態だと感じられるようです。



「そうそう他にも色々思い出してきたよ。あれ以外にもお嫁さんとか家族も一緒に並んでる構図のも描いた覚えがあるけど、それは別の所にでも飾ってあるのかな?」


「他の作品でしたら、旦那様やご家族の皆様用の居間に飾らせて頂いております」



 タイムの問いに答えたのは、ノックと共に入室してきた老齢の執事長。数十年来の家臣である彼は、タイムのこともキチンと記憶していたようです。

 初めてタイムと会ったのは五十年近く前の少年の頃。

 次に会ったのは今から二十年前。その頃と全く変わらず若々しいタイムを見て懐かしい記憶でも思い出したのか、皺だらけの目許を優しげに緩めていました。



「旦那様は間もなくこちらに参ります。恐縮ですが、もうしばしお待ちくだ……」



 と、老執事が言いかけたその時です。

 応接室の外、廊下のほうからドタドタと何人もの人間が駆けてくるような足音や話し声が聞こえてきました。



「旦那様ったら、廊下を走っちゃいけないっていつも言ってるじゃないですかぁ!」


「ああ、もうっ。ちゃんと靴の泥を落とさないから絨毯に汚れが! 洗濯するの大変なんですからね!」


「おお、済まぬ皆よ! 我輩、少しばかり気が急いてしまったようである!」



 館のメイドと思しき女性の声を受けて走るのは止めたようですが、それでもドスドスという象でも歩いているんじゃないかという重々しい足音が早歩きのペースで応接室へと近付いてきました。そして分厚い樫の扉が圧し折れてしまうのではないかという勢いでバンッと開かれ……、



「おおおおおおおぉっ! タイム先生、お久しぶりであります!!」


「やあ、久しぶり」



 身長は190cm、体重は確実に150kgは超えているであろうカイゼル髭の巨漢が、再会の感動に打ち震えながら部屋に入ってきました。







 

 ◆◆◆







 今代の当主であるセルジオ・エスメラルダ伯爵は、二十年前に会ったきりのタイムのことをハッキリと覚えていました。現在伯爵は四十手前。多感な十代の頃に出会ったタイムは強く印象に残っていたのでしょう。



「では、先生に我輩の姿を描いていただけるのですな! 父上やご先祖様の隣に並べるとは感無量であります!」


「ああ、期待してくれたまえよ」



 商談と言うにはあっさりしていますが、タイムの申し出はあっさり受諾されました。伯爵としても玄関ホールに飾られている歴代当主の肖像画に並ぶのは、長年の願いだったのだとか。依頼をしようにもタイムは各国を気分次第に渡り歩くような性格ですし、ただ待つことしかできなかったのでしょう。

 感動して血行が良くなったせいか、(いわお)のような筋肉が一層隆起して礼服が内圧で破れそうになっています。明らかに特注品サイズですが、それでも包みきれないほど伯爵の筋肉量(バルク)が凄まじいのでしょう。


 この時点で既に今日の用件は達されています。

 肖像画を描くにしても必要な画材の手配をしたり、モデルとなる伯爵がまとまった時間を都合しないといけない関係上、今すぐに描き始めるワケにはいきません。実際に製作に取り掛かるのはもう少し後になるでしょう。


 まあ、これが二十年前なら絵の具を取り寄せる為にわざわざ行商人に依頼したり、摘んできた木の実や草花を煎じてタイムが自分で顔料を作っていたのですから(エルフの村では絵筆や顔料も手作りが当たり前でした)、当時に比べたら格段に楽に準備を進められるでしょう。学都には画材を扱う商会もありますし、首都や迷宮都市からも数日あれば簡単に取り寄せることができます。



 しかし、久しぶりに顔を合わせた者同士。今日の用事はもう済んだからといって、それで即サヨナラというのは寂しいものがあります。積もる話もありますし、自然と世間話に花を咲かせる流れになりました。


 シモンだけは、やや蚊帳の外に置かれた感がありましたが、



「おお、では先生は殿下とお知り合いだったのですか!」


「うん、彼は妹の友人でね。昨日から彼の屋敷に世話になってるんだ」



 それでも共通の話題がないこともありません。

 加えて、シモンが興味を覚えざるを得ないような話もありました。



「いや、それにしてもセルジオ君は随分と印象が変わったね。前に会った時はどっちかというと線の細いタイプだったのに」



 今でこそゴリラか熊かのような巨躯ですが、タイムが前に会った十代の頃は線の細い病弱な美少年だったのだとか。書庫の隅でひっそりと文学でも嗜んでいそうなタイプと言えばなんとなく想像できるでしょうか。成長後の伯爵の姿しか知らないシモンとしては、耳を疑うような変わりようですが。



「そ、そうなのか領主殿?」


「いかにも。我が領地自慢の肉や野菜をモリモリ食べて畑仕事に精を出していたら、いつの間にか大きくなっていたのである。実は先程お二人が見えた時も野菜の収穫をしておりましてな。大急ぎで着替えてきた次第であります」


「彼のお父さんとかお祖父さんも若い頃は細身だったし、そういう家系なんだろうね」



 玄関ホールに飾られている歴代当主の肖像画も、年頃こそ多少違えど全員が筋骨隆々の巨漢ばかりでした。若い頃は華奢で弱々しくとも、成長に従って見違えるほど強く大きくなるような家系なのでしょう。背丈の低さに悩むルグあたりが知ったら羨みそうな体質です。

 また現在は敷地内で趣味的に行なっているだけですが、男爵時代は公務以外の時間は領民と一緒に畑仕事をするような貧乏貴族でした。日々の労働によっても身体が鍛えられていたのでしょう。







「それにしても、急にこんな街が出来ちゃった上、伯爵なんかにまでなっちゃって困ったんじゃないかい?」



 次にタイムはそんな話題を振りました。

 陞爵に表立って文句など言えないでしょうが、地方の男爵が急に二階級も出世した上、学都という国内有数の大都市の管理を任せられたのです。困ったことの一つや二つ、十や二十はあるでしょう。



「はっはっは! 先生にはお見通しですな。うむ、公務に関しては先代と今代の国王陛下が優秀な官吏を大勢寄越してくれたので何とかなっておるのですが……ここだけの話、お金のことで色々困っていましてな」


「なに?」



 伯爵のセリフに反応したのはシモンです。彼の知る限り、学都や伯爵家の財政状況は良好すぎるほど順調なはずでしたが、それなら「お金に困る」なんて言葉は普通出てきません。

 騎士団長職を休んでリアルタイムの情報から遠ざかっている間に、お金に困るような事態でも発生したのではないかと気を揉んでいたのですけれど。



「正直、儲かりすぎて困るのである」



 シモンの心配は杞憂だったようです。



「へえ、そりゃ贅沢な悩みもあったものだね」


「うむ、我輩もこんなことで悩む日が来ようとは思わなんだ」



 とはいえ、伯爵は別に冗談や自慢で言っているのではなく、本気でお金が貯まり過ぎて困っているようです。なにしろ彼の思いつく贅沢といえば、たまに普段より奮発してご馳走を食べる程度。生来の貴族としてはあまりに慎ましやかですが、田舎の貧乏貴族の発想などそんなものです。


 現在の学都は鉄道を利用した陸運や大河を介しての水運で、毎日膨大な量の交易が行なわれています。特に北部の大森林を切り拓いて迷宮都市との直通路線が通ってからは、G国と魔界間の貿易の玄関口となりました。諸々の税金や目まぐるしく行き来する人々が学都に落としていく金額は膨大な額になります。



「最初の頃は、徴税官が計算を間違えて取りすぎたのではないかと心配になったくらいでして」



 しかし、何度確認しても計算間違いや不正など全くありませんでした。

 課税額はキチンとG国の法に則った分だけが正確に納められており、伯爵家の収入となるのはそこから国庫に納める分や諸経費を除いた一部のみ。

 しかし、その一部だけであっても使い道が分からなくなって途方に暮れるほどの大金だったのです。その上、収入は一度きりでなく定期的に何度も繰り返し入ってきて、しかも時間の経過に伴ってドンドンと一回あたりの金額が増していきます。


 古い領主館を新しく建て直したり、使用人を増やしたり、給料を上げたり……その程度では到底使い切れません。

 市井の民であれば有事に備えて貯金をしておくのも一つの手ではあるのでしょうが、富裕層がお金を貯め込んで使わずにいると、経済全体の流れが滞って社会そのものの景気が悪くなってしまいます。


 お金持ちが贅沢をするのは、経済の循環を回すための義務と言っても過言ではありません。貯め込む一方で使わないなんていうのは最悪。節制は美徳かもしれませんが、それも時と場合を弁えねば悪徳にすらなり得るのです。

 資産額に比べて普段の消費が少なく、意識して使わないと質素な生活に傾きがちなシモンとしても耳の痛い話題でした。


 伯爵家の収入は今やそれほどの規模にまでに膨れ上がっていました。財政的には格上の侯爵家や公爵家にも比肩するか、下手をしたらそれ以上かもしれません。



「まあ、我輩も無い頭を絞って色々使い道を考えたのであるが……」



 例えば領内の街道の整備や、近隣の村落との馬車による定期便の運行事業、大勢の冒険者を自腹で雇って危険な魔物を排除したり等々。

 作業をする人足に給金を支払ったり、必要な資材の買い付けなどで貯まり過ぎたお金を領民に還元できないものかと、伯爵も努力はしたのです。結果的には領内での人の行き来がより活発になり、更に収入が増えてしまうことになりましたが。



「最近も大きな買い物をしましてな」


「あ、ああ……あの劇場か」



 そんな伯爵の、ここ数年で一番高い買い物が例の『エスメラルダ大劇場』。

 農村時代から旅の芝居職人や吟遊詩人の芸を愉しむ機会はありました。自分から村の酒場に足を運んだり、祭りの時期に芸人や領民達を当時の領主館に招いて大騒ぎするのは、当時の質素な暮らしの中での一大イベントだったのです。

 劇場を私的に購入しようなどという、彼らしからぬ大それた発想が出たのは、その頃の愉快な記憶があったからでしょう。


 シモンとしては、平和だったはずの赴任地に苦手な劇場が造られてしまい、複雑な心境のようですが。



「そうそう、前々から声をかけていた人気の一座がようやく振り向いてくれましてな。来週から公演が始まるのです。宜しければ先生や殿下も一緒に――――」


「…………っ!?」



 話が都合の悪い方向に流れ始めたのを悟ったシモンは、一人密かに動揺していました。いくら王弟の身分とはいえ、この地の有力者である伯爵の誘いとなれば簡単に断るワケにもいきません。

 かといって、これで誘いを受けてしまっては、いったい何の為にルカの頼みを断ったのか分からなくなってしまいます。伯爵ならば事情を正直に話せば無理強いはしないでしょうが、それはそれであまりに情けないものがありました。



「おおっ! 噂をすれば!」



 何気なく窓の方を見た伯爵が、勢いよく立ち上がりました。

 その視線の先には、遥か上空を飛ぶ大型飛空艇がありました。

 外洋を長期航海する大型帆船から帆を取っ払って、その代わりに浮力を維持する大型の魔法装置や推進力を生む翼をくっ付けた、どこか生物的な姿。船体は鮮やかな赤色ベースで一座の紋章が大きく描かれています。



「あれが噂の劇場艇ですな! ううむ、なんと絢爛な!」


「うんうん、私も見るのは久々だけど絵になるよねぇ」



 耳を澄ますと街中から市民の歓声が上がるのが聞こえてきました。

 彼らも空を悠然と往く劇場艇の姿に気が付いたのでしょう。ここ最近の新聞や口コミによる宣伝の甲斐もあってか、学都の住民はこの一大イベントを随分と楽しみにしていたようです。



「…………ううむ」



 ひたすらに周囲がテンションを上げていく中、試練の到来を予感したシモンは苦々しい気持ちを密かに押し殺すのでした。



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