タイムと領主さん
「領主? そういえば、私もまだ会ったことないな。何の用だろうね?」
挨拶に出向こうと思ったものの、タイムはシモンと共に街の領主の下へと出かけているのだとか。レンリが疑問を覚えるのも無理はないでしょう。
「えっと、ね……」
ルカも全ての事情を把握しているワケではありませんが、昨日から今朝の間に、タイム本人やシモンから幾らかの話は聞いています。
ルカは決して喋るのが得意ではないのですが、そこはレンリやウルも慣れたもの。ゆっくりとお茶の香りを嗜みながら、話に耳を傾けました。
◆◆◆
「そういえば、この街には何用で?」
「ライムの顔を見に来たのもあるけど、ちょっと昔馴染みに会いにね」
昨晩、夕食後のことです。
シモンとライムの間でそのようなやり取りがありました。
タイムはその時々の気分次第で旅の行き先を決めるような無軌道な性格ですが、今回学都を訪れたのには珍しくちゃんとした理由があったようです。
「いやぁ、お姉さんいい飲みっぷりだねぇ! さ、もう一杯!」
「お? 悪いね、ラック君! っぷはぁ!」
「おいおい、ほどほどにな」
夕方前にたらふく熊肉を胃に納めたにも関わらず旺盛な食欲を発揮したタイムは、夕食のラムチョップを三人前ほど食べた上で買い置きの麦酒や葡萄酒を次々開けて、大層良い気分になっていました。
軽い性格同士でウマがあったのかラックと酒盛りを始め、シモンも二人に渋々付き合っているような状況です。チーズや干し肉などの簡単な肴を用意して、遠慮もなしに次々と空き瓶を量産していました。
ちなみにルカとリンとレイルの残り三人は、巻き込まれる前にさっさとお風呂に行ってしまいました。この屋敷には一度に十人以上も入れるような浴場があるのです。
給水や湯沸しは備え付けの魔法装置でやるので、規模に比して準備の手間はそこまで大変ではありません。お風呂好きのリンなど、家事仕事で汚れるからという理由もありますが、日に二回三回と入ることも珍しくないほどです。
学都に来た理由の半分はライムの顔を見ることだったということですが、そちらの目的は労せず達されています。
「ふむ、昔馴染みとな?」
残るもう半分、タイムの言う昔馴染みについてシモンは聞いてみました。
シモンとタイムも知り合ってから長いですが、最初に知り合った迷宮都市以外の場所で会うというのは非常に珍しい経験です。考えてみれば、お互い他の地方での相手の交友関係など全く知りません。
「昔からこの辺を治めてた田舎貴族でね。エスメラルダ男爵っていうんだけど知らない? なにせ、私もこの辺に来るのは二十年ぶりくらいだから、今どうしてるかは知らないんだよ」
「エスメラルダ? ああ、それは領主殿のことだな」
タイムの言う昔馴染みとは、シモンも知るこの地方の領主、エスメラルダ氏なる人物のことでした。どうやら、この分だともう一つの目的もすぐに成就できそうです。ライムの住処についても最初に尋ねたルカ達がいきなり知っていましたし、人の縁に恵まれやすいというか、タイムの運が相当に良いのでしょう。
「彼の御仁なら、現在は陞爵して伯爵になっているがな」
「へえ、二階級も上がるとは上手くやったものだね」
タイムの知っていたエスメラルダ氏は男爵でしたが、シモンによると現在は伯爵になっているようです。爵位というものは、通常は何代もかけて少しずつ功績を重ねて上げていくモノ。一階級くらいならともかく、二十年で二階級の陞爵というのは貴族社会の常識から考えると異例のスピード出世と言えるでしょう。
余談ですが、爵位制度という仕組みには国ごとや年代ごとに細かいルールの差異があります。この時代のG国においては上から順に、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、準男爵、騎士爵。他にも細かな例外はありますが、主となるのはこれらの区分になります。
公爵や侯爵家ともなれば王家との血縁も少なくありませんし、生まれた時点で何不自由ない生涯が約束されたようなものでしょう。
また、ややこしい話になりますが、職業としての上位軍人である「騎士」と、爵位を持つ「騎士爵」は全くの別物です。
生まれが平民でも軍人や学者が大きな功績を挙げれば(具体例としては、強大な魔物を退治する。有益な研究成果を発表する等)、最下級の貴族である騎士爵を得られることもありますが、それ以上の陞爵はほとんどありません。
騎士爵位はあくまで個人に与えられる位であり、家そのものが対象ではないのです。爵位を持つ当人が没すれば平民に逆戻り。貴族としての責務は最低限で済みますが、事実上の名誉称号のような扱いです。
それでも爵位がある間は子女の結婚相手や就職先を探すのに苦労しないでしょうし、何代か続けて騎士爵位を獲得すれば準男爵以上に陞爵する可能性も全く無いではありません。経済的に豊かになれば子供に十分な教育を施せますし、普通の平民に比べれば活躍の場も増えやすくなるのです。
そして件のエスメラルダ氏ですが、伯爵ともなると押しも押されぬ大貴族。
広大なG国全体でも十数家しかないような名家です。
「私が知ってるあの家の人達は、善良で健康なだけが取り柄の貧乏貴族だったからねぇ。あの一族は世渡りが上手そうなタイプでもなかったから、学都が出来たあたりで取り潰しにでもなってないかと心配してたんだよ」
タイムの心配も決して杞憂と笑うことはできないでしょう。
現在の学都は神造迷宮のおかげで世界中から注目され、日に日に発展していくような大都市ですが、それ以前はのどかな田舎の農業地帯だったのです。
元々あった畑や村落を潰して都市計画を進める時点で、将来的にこの地が大きな利益を生むであろうことは早い段階で分かっていました。
そんな状況において、抜け目のない中央のお歴々が、数々の利権が集中して甘い汁を吸えるであろう領主の座を、たまたまこの地を治めていただけの田舎貴族にそのまま任せておこうなどと考えるでしょうか。
勿論、そんなワケがありません。
どうにか排除して代わりにその座を手にしようという狡猾な企みがありました。
元の領主は別の適当な土地に飛ばしてしまうか、いっそ何か理由を付けて貴族籍を奪ってしまうか。当時は地方の一男爵でしかなく、中央へのコネもなかった領主氏に抵抗の術はありません。やり方はいくらでもある……ハズでした。
もっとも、現状を見ての通り、それらの企みは実行されずに終わりました。
シモンの父である前王、当時はまだ現役であった国王が忠臣に報いるという名目で伯爵位を与えて氏の味方に回ったのを皮切りに、何故だか最重要の交易相手である魔界や他の有力な友好国から、外交ルートを通じて領主氏を支持する政治的な働きかけがあったのです。
これでは高位貴族であっても下手に手は出せません。
迂闊に手を出せば、国内外から完全に孤立してしまうでしょう。
その時期の詳細についてはあるいは別の場所で語られるかもしれませんが……なんやかんやと政治的な駆け引きがあった末に丸く収まり、エスメラルダ氏がそのまま継続的にこの地の領主を務めることになったのです。
まあ、それらは既に済んだ話です。
杞憂で済んだのなら今更深く追求する意味もありません。
そもそもの本題であるタイムと領主氏との関係ですが、
「善良で健康か……うむ、領主殿はまさにそんな感じだな。貴女の知り合いとは知らなかったが」
「もう七十年か八十年前くらいになるかな? 多分、今から数えて先々代か先々々代くらいだと思うんだけど、その時の当主さんの肖像画を描く仕事を請けてね。当時は私もあんまり名が売れてなかったから、絵描きになって一番の大仕事ってことで張り切ったものだよ」
言ってみれば単純至極。
画家と絵の依頼主という、とても分かりやすい関係でした。
「で、その時の縁がなんとなく続いてね、二十年か三十年おきくらいに肖像画を描きに来てるのさ」
それほど長く縁が続いているのは、タイムがエルフだからこそ。
人間の画家では七十年も八十年も描き続けることは到底できません。
「あ、そうだ。明日にでも挨拶に行こうと思うんだけど、よかったら顔繋ぎをしてくれないかな? 昔からの家臣の人がいれば私を覚えてるかもしれないけど、私を知らない人もいるだろうしさ。門番相手に揉めるのも困るしね」
「ああ、そういうことなら構わんよ」
タイムがシモンを伴って領主館に向かった理由は、大凡そんなところでした。
前回のゴーレム魔法解説に続いて今回は爵位についての解説回でした。
こういう細かい設定とか考えるの好きなんです。




