初心者講習:水の補給について
「痛っ!」
出発してから約三時間と少し後。
集団の後ろの方を歩いていたレンリは足に鈍い痛みを覚えました。
「いたた……肉刺でも潰れたかな……」
「だ、大丈夫……?」
舗装されていない土の上を、荷物でいっぱいの鞄や武装を身に付けた状態でずっと歩いているのです。肉刺の一つや二つ潰れても不思議ではありません。隣を歩くルカも心配そうにオロオロしています。
「なに、このくらい問題ないさ。次の休憩で薬を塗っておけば大丈夫だろう」
「そ、そう……なら良かった……」
次の休憩までは体感で四十分といったところでしょう。
痛みを堪えながら歩くのは難儀ですが、耐えられないほどではない。この時点でのレンリはそのように判断しました。
「それにしても意外……と言っては君に失礼かもしれないが、ルカ君は随分タフなんだね。全然疲れていないみたいだ。私はもう足が棒のようだよ」
「そ、そう……? 荷物が少ないから……かな?」
実際に試してみれば分かりますが、荷物がある状態で三時間も歩くのは結構な重労働です。一時間おきに十分の休憩を挟んでいるとはいえ、普段運動しない人ならばグロッキーになっても不思議はありません。
しかしレンリが言うように、ルカは汗もほとんどかいておらず、疲れている様子がまるでありません。
日頃から鍛えている教官達や、受講者の中でもルグのように運動の習慣がある者は平気そうですが、彼らに輪をかけたタフネスぶりです。
ちなみに受講者たちの間でも歩くペースに差が出てきて、体力に余裕がありそうな者たち(ルカ以外)は自然と集団の前方へ、バテ気味の者は集団後方を歩いています。脱落者こそ出ていませんが、出発時よりも集団全体の列が倍近く伸びているようです。
「ふぅ、水ももう少なくなってきたな」
「わたしは……あと半分くらい」
レンリは歩きながら水筒を傾けますが、その重さは出発時の半分未満。
大量の汗をかいて喉が渇き、ついガブガブと飲んでしまったのです。
「どこかで補給が出来ればいいんだけど」
「ああ、それなら次の休憩地の脇に沢があるぜ」
レンリ達の会話が聞こえたのでしょう。
近くで隊列後方を守っていた冒険者が水場の情報を教えてくれました。
どうやら、次の休憩で水の補給ができそうです。
「そうか、それはありがたい!」
「よかった、ね」
とりあえず水の補給に関しては解決しそうだと分かり、レンリは足の痛みと喉の渇きを我慢しながら、どうにか次の休憩地までは辿り着きました。
「み、水……」
「レン、すごい顔してるけど大丈夫?」
途中で魔物は何回か見かけたものの襲撃されることはなく、受講者達は全員無事に休憩地まで到着しました。
彼らの半数はさらさらと流れている沢のほとりに立つと、早速手の平で掬い上げた水を飲もうとして、
「待った!」
と、口を付ける前にイマ隊長に止められました。
それでも構わずに飲もうとする者は、彼女の部下に手を押さえられています。
「ええと、皆さん? 流れている水をそのまま飲んではいけませんよ。お腹を壊すくらいならまだしも、最悪死んじゃいますから」
沢の水は透明感があり、濁っているようには見えません。
しかし、隊長の言葉は真剣そのものです。その様子を見て、不満そうな顔をしていた者たちも態度を改めて話を聞く姿勢を取りました。
「こういう水の中には、目に見えないくらい小さい病気の素とか身体の中で悪さをする虫の卵なんかが混ざっていることがあるんです。どんなに喉が渇いていても、飲む前には一度煮沸するのが基本ですよ」
野外活動に不慣れな人は、濁りのない綺麗な水があるとそのまま飲んでしまうことがありますが、それは絶対にしてはいけない危険行為。
口内の粘膜や消化器官を介して感染する病原菌、極小の寄生虫の卵や幼体などがいる場合があり、なおかつ大抵それらは肉眼では見えないほどに小さいのです。いくら綺麗な水でも安心はできません。
清潔な炭や砂を通すような濾過装置を持ち歩くか、煮沸消毒をすれば多くの場合は無毒化できるので、野外での長期活動においてはそういったことを忘れないように日頃から習慣化しておくべきでしょう。
「そういう時用にお鍋を持ち歩くと何かと便利ですよ。工夫すれば“煮る”だけじゃなくて“炒める”とか“蒸す”も出来ますし、お茶も淹れられます」
そう言うと、イマ隊長は実際に沢の水を手鍋に汲み、着火用の魔道具で手早く沸かし始めました。
「あら皆さん? のんびりしてたら休憩が終わっちゃいますけど、見ていていいんですか? 次の水場は三時間先の野営地までありませんよ」
と、この場で一番のんびりした雰囲気の隊長の言葉で、話を傾聴していた受講者達の“半分”は慌てて動き出しました。
まあ当然、火熾しやら何やらに関しても素人がいきなり上手くできるはずもなく、出発時間までに間に合わなかったのですが。
ちなみに、いきなり生水を飲もうとしなかった残り半分の受講者にとっては、飲み水の扱いは既知の常識だったようです。
◆◆◆
「私の場合、よく考えたら水筒に『発熱』か『浄化』あたりの刻印を描くだけで済んだ気がする……」
「魔法使いってそういうところ便利だよなあ」
水の補給を兼ねた休憩後。
結局湯沸しが間に合わず、果物の缶詰を開けて汁を飲み干すという荒業で水分の摂取をしたレンリは、今更ながらにそんなアイデアを閃いていました。
甘い汁を一気飲みしたせいで、感覚的には余計に喉が渇いてしまったようです。
オマケに水の補給を優先したせいで足に薬を塗る時間がなくなってしまい、再び痛いのを我慢しているという二重三重にキツい状況。いよいよ体力が残り少なくなってきたせいか、肩で息をしています。
「……ね、あそこ……果物ある、よ?」
と、その時。
同じく水の補給は出来なかったけれどレンリほどには消耗していないルカが、森の木に一つだけ瑞々しい果実が生っているのを見つけました。
大人の握り拳よりも大きな、熟れたリンゴのように赤い実です。
元々背が低い木の下のほうの枝に生っているので、それほど身長が高くないルカ達でも手を伸ばせば届きそうな位置にありました。
「お、いいね。齧れば喉も潤うだろ……あれ、もしかして?」
「あら、そうみたいですね。ルカさん、こんな浅い場所で見つけるとは運が良いですね」
レンリの疑問を、いつの間にか近くまで来ていたイマ隊長が肯定しました。
他の受講者達も「おお……!」とか「あれが!」などと口々に盛り上がっています。テンションが上がったせいか、すっかり消耗していたレンリも疲れなど忘れてしまったかの様子です。
「その通り! あれが、皆さんお目当ての『知恵の木の実』ですよ!」
隊長が果実の名前を出すと盛り上がりは更に大きくなりました。
中には口笛を吹いたり拍手をする者までいます。
「えっと……あの……なに……?」
まあこの期に及んでも、迷宮についてはロクな興味も知識もないルカは、自分が何を見つけたのか全然分かっていなかったのですが。
野外の生水に関してはガチで危ないので、山登りやキャンプをする際にはご注意ください。見た目が綺麗な水でもそのまま飲んではいけません。消化器官へのダメージならまだマシなほうで、菌や寄生虫の種類によっては脳ミソに回復不能のダメージを与えるようなのもいるので。