シモンの弱点
「俺は劇場とか芝居の類だけはどうにも苦手なのだ。いや、本当にすまぬ」
昼間のゴゴの助言によって、『エスメラルダ大劇場』の貴賓席に、シモンの従者という名目で入ることを思いついたルカですが、早くもその計画は雲行きが怪しくなってきました。
「むぅ、我ながら情けないとは思うのだが……」
「い、いえ……そんな……」
ルカから見たシモンは欠点など無い完璧な青年に思えますが、そんな彼にもいくつかの弱点があります。その一つが芝居鑑賞という行為や、劇場という場所そのもの。迂闊に立ち入ろうものならば顔は青褪めて脂汗がだらだら流れ、息切れ、発熱、頭痛、腹痛などの体調不良すら引き起こしかねないほど苦手にしているのです。
このG国には芸術に理解のある王族や貴族が多く、才能のある個人や集団への資金や機会の提供、宣伝への協力といった後援活動も盛んにされています。趣味的な貴族同士の間では、人気のある作家や劇団の後援者である事や、無名の才能を見出したという実績が一種のステータスとして評価される風潮があるのです。
演劇の分野においては、首都にある王立劇場をはじめとして主要な都市には大抵劇場がありますし、路上で行なわれる辻芝居なども珍しくありません。
劇場などない田舎の町村であっても旅の芝居職人が訪れることがままあるので、高貴な身分の者に限らず平民の中にも芝居好きは数多くいます。
そんなお国柄なものですから、芝居が苦手なシモンは何かと苦労をすることが多いのです。社交の場で舞台観賞に誘われることも珍しくありませんし、人気の役者や舞台が話題に上ることも少なくありません。
相手が目下の身分であっても毎度断っていては角が立ちますし、ましてや宮廷内の序列が上の兄姉や親族の誘いを簡単に断ることもできません。
可能な限り別種の用事を入れて自然に誘いを断れるようにしたり、取り寄せた脚本を読んで話題を合わせられるように上演内容を覚えたり、王城の使用人に仕事の一環として観賞してもらった上で感想を教えてもらったり……まあ、そんな具合に涙ぐましい努力をしているのです。
シモンが学都での仕事に没頭したり迷宮都市に長いこと留学したりして、故郷であるG国の首都にあまり寄り付かないのは、あるいはそうした苦労を避けようという無意識の働きがあるのかもしれません。
無論、努力家のシモンはその弱点を克服しようと努めました。
体調不良を抑える魔法薬を事前に服用したり、精神統一によって心を無にしようとしたり。それによって同じ劇場関係の催しでも、奇術や曲芸、演奏会などであれば辛うじて耐えられるようにはなったのです。
しかし、それでも残念ながら……。
「どうしても演劇の類だけは駄目でなぁ……」
「そ、そう……なん、ですか」
ならば、ルカとしてもこれ以上無理は言えません。
残念ながら、シモンに頼むのは諦めたほうがいいようです。
「あの……聞いても、いいです……か?」
とはいえ、こうなると純粋に疑問が湧いてきます。
すなわち、どうしてシモンはここまで演劇の類が苦手なのか?
「うむ、話せば長くなるのだが……」
頼みを断った負い目も手伝っているのでしょう。
決して楽しい話ではないのですが、シモンは自身の弱点の理由を語り始めました。
◆◆◆
その発端はシモンの幼少期の記憶にあります。
既に別の場所で語られた物語ゆえ詳細は省きますが、幼いシモンが大失恋をした際に、彼の姉である姫君達がその話に興味を抱いたのが発端です。
やんごとなき身分のお姫様方とはいえ、年若い乙女とあって他人の色恋は大好物。
また二十人もいる兄弟姉妹の中で一番下の弟であるシモンは、常日頃から大層可愛がられていました。その彼が当事者とあるという事実も、彼女らの興味をより強く惹いたのでしょう。
王宮で鍛え抜かれた社交術や話術を無駄に発揮してシモン本人から聞き出したり、事情を知る使用人から得た断片的な情報を組み合わせたりと……いえ、それだけならまだ良かったのです。内輪だけで話のネタにして盛り上がる程度なら、それほど珍しい話でもないでしょう。
先に明言しておきますが、彼女達に悪気があったワケではないのです。
シモンは今でも姉達のことを敬愛していますし、美人揃いで人当たりも良いので国民からも人気があります。多少のワガママを言うくらいはしても、基本的には淑やかで優しい、貴人の手本となるような女性達なのです。
ただ、あまりにも高貴っぷりが突き抜けて浮世離れしている部分があるというか、感性が常人の範疇に収まらないのが問題なのですが。
そんなシモンの姉達の一人が、とある劇団の後援者をしていたのがシモンにとっては不運でした。シモンの失恋を肴に身内で散々盛り上がった後で、よりにもよってそれをネタとして提供して作家に脚本を書かせ、舞台劇として上演させたのです。しかも、その舞台がヒットして人気が出てしまい、国内外で繰り返し上演されることになってしまいました。
一応、登場人物の名前や年齢や肩書きなどは、流石に不味いと思った作家が自主的な判断で改変して観客には分からなくしたのが救いですが、それでも当事者が見れば一発で元ネタが分かります。
しかも、話はそこで終わりません。
一番最初は失恋エンドで終わる悲恋劇だけでしたが、ハッピーエンドで終わるストーリー改変版やコメディ色を強くした喜劇バージョンなどの派生作品もどんどんと増えていきました。
中には主人公とヒロイン役が両方男性や、逆に女性同士にした脚本。ヒロインそっちのけで主人公と恋敵の貴公子が男同士の熱い友情に目覚める熱血青春モノ。何故か主人公とヒロインが決闘をする事になるバトル系などのイロモノも多々出てきます。
まあ、こうした追随の流れは演劇に限らずヒット作品の常なのでしょう。
幼い頃のシモンは留学先の迷宮都市から首都に戻る度に、姉達にそうした自分の失恋が元ネタになった劇の観賞に付き合わされ、時には感想まで求められました。
彼にしてみれば傷口に塩をすり込まれるようなものでしょう。
悪意があってやっているならシモンも抵抗したかもしれませんが、そういう悪感情は一切なく、純粋に一緒に楽しもうと誘っているのは分かりましたし、断ると悲しそうな顔をするので我慢するしかありません。そうやって無理をして耐え続け、気付いた頃には演劇全般がすっかり苦手になっていたのです。
◆◆◆
「……まあ、そんな具合でな。すまないが」
本筋に関係ない細かい部分は省いていましたが、そういった一連の事情を語り終えたシモンは自嘲混じりの疲れた笑みを浮かべていました。
「あ、あの……ごめんなさい」
苦い記憶を思い出させてしまったことに、ルカは申し訳なさを覚えていました。
……が、それはそれとして、
(シモンさんに頼んだらサインとか貰えないかな? あ、でも、こんなに気にしてるのに頼んだりしたら悪いよね? ううん、でも、やっぱり欲しいかも……)
シモンが意図せずモデルになった件の芝居ですが、ルカもまたその作品のファンだったのです。普通は知ることのできない作品の裏事情を知って内心驚き、そして元ネタとなった本人から話を聞けたことで、申し訳なく思うと同時に密かに喜んでもいたのでした。いけないとは思いつつも反射的に嬉しくなってしまうのは、ファン心理の難しいところでしょう。
ちなみに、サインを頼むのは辛うじて我慢しました。
シモンの失恋話についての詳細は前作の本編最終章をお読みください。




