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少女と熊


 樹界庭園。

 七つの迷宮群の中の最初の一つ。

 『第二』以降とは違い、誰しもが無条件で入れるという点で非常に特異である。


 故に、学都アカデミアを訪れた者ならば、大抵は一度ならずと入ってみる。

 好奇心や怖いもの見たさ、あるいは度胸試しや信仰心。

 理由は様々だが、彼らの多くは別段危険な目にも遭わず、適度なスリルを楽しむだけで無事に帰ってくる。運が良ければ、偶然に湧いた宝物を得ることもあるかもしれない。


 たとえ着の身着のままの徒手空拳であろうとも、場所を選べば散歩気分で迷宮探索を楽しめる。

 比較的浅い部分であれば、常日頃から軍関係者が訓練を兼ねた巡回を行っているために、魔物に襲われる心配もほとんどないであろう。







 ◆◆◆







「ところで、この『アカデミア』に限らず、迷宮の魔物って生きるための食事を必要としないってご存知ですか?」


 出発してから一時間後。

 最初の休憩で、イマ隊長はレンリたちにそんな話題を切り出しました。

 現在、受講者たちは元々の知り合い同士や、ここまでの道中で仲良くなった者同士で集まって休んでいる最中で、レンリとルグとルカの三人のところに隊長が入り込んできた形です。


 ちなみに、ここまでの道中は万事順調。

 途中で幾度か訓練中の軍関係者や冒険者、仕事中のきこりなどと出会いましたが、特にこれといったトラブルはありません。

 常時、数千人からの人々がいる『第一迷宮』の出発地点付近には、魔物や罠の類はほぼ残っていないようです。



「食事をしないんですか?」


「便利そう……かも……」


「食事ができないワケじゃないですよ。人や動物の味を覚えた魔物は趣味的に狩りをすることもありますし、縄張りを侵されたら噛み付いてきますし」


「ああ、だけど必須ではない。そもそも、不思議に思ったことはないかい? ここみたいな森林型はともかく狭い洞窟とか塔とか、そんな狭い範囲内で大型生物を含む生態系が成立するはずがない」



 どうやら、レンリはイマ隊長の言った話をすでに知っていたようです。

 ルグとルカに向けて、話の補足をするように言葉を続けました。



「迷宮の魔物というのは、宝や罠や迷宮そのものと同様に、霊脈中を流れる情報や生き物の想念が濃い魔力によって具象化したものなんだ」


「だから、同じ種類の魔物に見えても迷宮で自然発生した個体は魔力への親和性がより高く、魔力を吸収して生命力へ変換する能力を持つと推測される……でしたっけ。レンリさん、お詳しいですね」


「いや、それほどでも。身内にそっち方面に詳しいのがいましてね。ただの受け売りですよ」



 レンリとイマは二人で分かり合っていましたが、ルグとルカは完全にチンプンカンプンといった顔でポカンと彼女らのやり取りを眺めています。



「迷宮の魔物が外に出てこない習性も、その説を裏付けているね。魔力が濃い迷宮内であれば食事の必要がなくとも、その外には肉体を維持するための魔力がない。通常の個体と同様に食事をする必要が出てくるワケだ。ならば、わざわざ危険を冒して安全圏を出る必要はない、と」


「でも、外から入り込んだ魔物との見分けは出来ませんからね。『アカデミア』に関しては問題ないですけど、魔物の危険度の基準として考えるには不確定要素が多くて怖いですよ?」


「そういえばここだけの話、どこかの研究者が飽和魔力による魔物の具象化現象を研究してるって噂が……」



 このあたりでルグとルカは内容を理解するのを諦めたようです。

 マニア同士の会話に素人が首を突っ込んでも大抵ロクなことになりません。実に賢明な判断と言えるでしょう。

 


「……よく分からないけど、食費がかからないのは羨ましいな」


「う、うん……羨ましい……すごく……」


「あ、良かったらルカも飴食べる?」


「あ……ありがと……」



 まあ、それはそれとして、この休憩で皆ある程度の心身の回復はできたようです。

 約十分間の休憩を終えると、彼らは再び歩き出しました。







 ◆◆◆







 今回の講習では野営の準備と睡眠時間を除いて、一時間移動しては十分間休憩を入れ、それを延々繰り返すという行程になっています。

 出発地点から直線距離で十kmほどの距離にある山を目指し、途中で野営を挟みながら山裾をぐるりと一周。最後に出発点まで戻ってくるまでで丁度丸一日の計画です。



「この辺りからは魔物が出ることもありますから、注意してくださいねー」


「この辺にいるのは狼、熊、猪、鳥なんかの獣系が主だな。食えるところのない樹人トレントだとか気色悪い虫系の連中はあまり出ないぜ」



 移動中や休憩中に、教官役の兵や冒険者からそんなアドバイスが飛ぶこともあります。

 虫系の魔物が少ないという情報に、ルカや他女性参加者はホッとしていました。



「む、それは残念だ。虫は珍味だと聞くが……」


「ああ、芋虫は焼くと結構美味いんだけどなあ」



 食道楽の気があるレンリや、ごく当然のように虫を食材カテゴリで認識しているルグは何故か残念がっていましたが、今回は初心者向けの講習なので、比較的安全かつ狩りの仕方も学べるようなルートを選択しているのでしょう。




「……しっ、全員静かに!」


 突然、集団の後方を守っていた男性冒険者の一人が、声を上げました。

 彼が身振りで示した方向に視線を向けると、約200m先に一頭の熊型の魔物がのっしのっしと歩いているのが見えました。



「あれは……鋼鎧大熊アーマードベアか。もう、気付かれてるな」



 鋼鎧大熊アーマードベアとは、その名の通りに頭部や背中、四肢の各所が鋼鉄の鎧のような外殻に覆われた魔物です。

 分厚い筋肉と脂肪と毛皮だけでも厄介なのに、それを更に覆っている外殻による守りはまさに鉄壁。動きはそれほど速くありませんが、戦うとなると非常に厄介な相手です。

 唯一、腹部から胸部にかけての身体前面は甲殻による守りはありませんが、鋼鎧大熊は二足歩行が出来る熊類にしては立ち上がることが稀で、常に四つ足を地面に置いているために弱点はカバーされています。



「この人数に向かってくることはないだろうが……隊長、狩りますか?」


「そうですねぇ……いえ、ここは縄張りに入らないように注意しながらやり過ごし……あ」


「え? ……あ」



 小隊の部下と対処を相談していたイマ隊長が、「あ」と何かに気付いたような声を出しました。一拍遅れて、教官役の兵や冒険者たちも次々と何かに気付いたようで、口々に「あ」と呟いています。



「な……なに?」


「さあ?」



 ルカやレンリたちには、何が起こっているのやらさっぱり分かりません。

 他の受講者たちも、魔物が現れたのは分かっても、教官達のリアクションが何に対するものなのかが分からず困惑しているようです。



「……あ!?」



 と、ここでようやくルグも「あ」と気付きの声を上げました。



「女の子が魔物に!?」



 木々の隙間なのでこの距離からでは見えづらいのですが、なんと鋼鎧大熊のすぐそばを無防備にも非武装と思しき少女が歩いていたのです。

 ルグの声で他の受講者たちもやっと事態に気付き、腕に覚えのある何人かが助けようと駆け出そうとしましたが、



「ああ、皆さん……大丈夫です。あの方なら大丈夫。全然まったく問題ありませんから」



 イマ隊長が彼らを制止しました。

 少女を見殺しにするかのような隊長の判断に、非難の目を向ける者もいましたが、



「大丈夫ですよ。ほら、見ていてください」



 隊長がそう言った時……やっと、2m以内までに近付いたところで鋼鎧大熊は初めて謎の少女の存在に気付きました。200mは離れた講習関係者にはとっくに気付いていた熊が、少女の存在にはこの距離まで全く気付いていなかったのです。


 次の瞬間、滅多に立ち上がらないはずの鋼鎧大熊が、背後にひっくり返らんばかりの勢いで身を起こしました。いえ、正確にはアゴを蹴り上げられて無理矢理に上体を起き上がらせられていたのです。


 そして直後に、無防備になった胸部に向けて二連続の、



「うわっ……蹴りで肋骨をへし折って、次の蹴りで折れた骨を心臓に叩き込みましたよ」


「いや、流石ですねぇ……」



 と、まあそんな感じの攻撃を受けて、強靭な肉体を誇るはずの鋼鎧大熊は、あっさりと物言わぬお肉に変貌を遂げていました。


 余談ですが、鋼鎧大熊の肉は熊肉にしては臭みがマイルドで肉質も柔らかく、厳つい外見からは想像も出来ないほど美味しいのです。生姜や魔界産の味噌がよく合います。

 まあ、普通はリスクが高すぎるので、好んで狩るような物好きはほとんどいないのですが。



「ぜ、全然見えなかった……」


「最初の一発は見えたけど、二発目と三発目の繋ぎは……どうなってるんだ、アレ?」


「…………すごい」



 事情を知っているらしき教官達はともかく、信じられない光景を目の当たりにしたレンリ達受講者は、腰を抜かさんばかりに驚いていました。

 武術の心得のある者はかろうじて一連の技が見えたようですが、そうではない者は目に捉えることすら出来なかったようです。


 そして、受講者達が驚きによる放心から立ち直る前に、エルフ・・・の少女は本日の収穫である巨大な熊を軽々と担ぎ上げ、そのまま森の奥へと立ち去っていきました。



『あっ(察し)』案件再び。

例によってネタバレ禁止でお願いします。


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