シモンの好み
「「「カンパーイ!」」」
時刻は日が落ちて間もない頃。
迷宮都市のとある酒場で、三十名近い若者の集団が乾杯をしていました。
年齢に多少のばらつきはありますが、若者集団の構成はおおよそ十代半ばから二十代の前半くらい。しかし、まとまりがあるのは年齢層くらいで、あとは格好も性別もバラバラです。
身なりからするに普通の職人、冒険者、兵士、商人……それくらいなら何もおかしい事はありませんが、中には上等な仕立ての衣服を纏った、恐らくは高貴な身分に属するであろう者達も同じ集団に溶け込んでいました。
特に上下関係などもないようで、非常に和気藹々とした雰囲気です。事情を知らない他人が見ても、彼ら彼女らがどのような集まりなのか予想することはきっと難しいでしょう。
「いや、皆集まってくれて感謝するぞ」
「ん、ありがと」
「さあ、今日は俺の奢りだ。好きなだけ飲み食いしてくれ」
そんな若者達の中でも一際目立つ二人、シモンとライムが他の皆に集まってくれた礼を告げました。この場の面々は全員がこの二人の、迷宮都市に住む友人達なのです。子供の頃から一緒に遊んでいた、いわば幼馴染のようなものでしょう。
仕事や家庭の事情などで都合がつかなかった者もいたので、友人全員が集まれたワケではありません。それでもシモン達が学都から戻っていることを聞くと、これだけ大勢の人間が時間を作って会いにきてくれたのです。
本日、この酒場は翌朝までシモンが借り切っています。
立食パーティー形式で料理や飲み物は食べ放題の飲み放題。誰もが一切の遠慮をせずに、次から次へとジャンジャン飲んで食べていました。
恐らく夜通しの飲み会になるので、幼い子供のいる魔王の店ではなくコスモスに紹介してもらった店を会場にしたのですが、酒や料理の味は上等で建物も清潔。なにしろ紹介者が紹介者なので、シモンとライムは内心で少なからず不安を覚えていたのですが、予想外に真っ当かつ良い店でした。
「……それが逆に不安だが」
「それは失礼」
「うむ、そうだな。アイツとて、年がら年中頭がおかしいワケでは…………いや、まあ、年中おかしいはおかしいのだが悪い奴ではないしな」
少なくとも、現状では特に異常は見当たりません。
ならば、今のところは素直に感謝しておくべきでしょう。
◆◆◆
場の空気が変化してきたのは、皆ほどよく酔いが回り始めてきた頃。
「シモンさま、グラスが空ですよ。お酒のおかわりはいかがですか?」
「おお、かたじけない」
「シモンさん、こっちの煮込み美味しいわよ」
「うむ、そうだな。良い出汁が出ているようだ」
「シモンくん、口直しに果物はどうだい?」
「ああ、もらおうか」
適当な席を確保して会話を楽しみながら食事をしていたシモンに、何人もの美少女や美女や一部男性陣が様々な口実を設けては近寄ってきたのです。
料理や飲み物を勧めたり、彼の興味を惹きそうな話題を振ってみたりと、表面上はとても楽しげで平和的な雰囲気ですが、現在この場で起こっているのはある種の戦いでした。
シモンは、当然といえば当然ですが、それはもう物凄くモテます。
強くて、ハンサムで、教養もあって、背が高くて、人柄も良好。
大国の王弟という高貴な身分でありながらも適度な自由がある程度には偉すぎず、一方で自分の自由に使える私的な財産も持っています。
これ以上の優良物件は、世界中探してもそうそう見つからないでしょう。
昔から一緒に遊んでいた女友達が「あわよくば」と考えるのは、むしろ必然。
正妻とまでは言わずとも第二夫人や妾になれれば一生安泰ですし、財産や身分云々を抜きにしても、純粋に彼個人に好意を抱いていたとしても何の不思議もありません。
ただ、問題があるとすれば、
「ははは、久々に皆と話すと楽しいな」
シモンが周囲のアピールに全く気付いていない点でしょうか。
普段は相当に頭も切れますし、ちょっとした物事に対しても鋭さを発揮するのですが、こと色恋に関しては全く反応を見せないのです。
別に彼も恋愛感情と無縁というワケではありません。多分、そのハズです。
まだシモンが六歳くらいの頃、人生観がひっくり返るような衝撃的な恋をして、そして見事に失恋したことがありました。少なくとも幼少期の時点ではまともな恋愛感情を抱いていたのは確かです。
もしかしたら現在の恋愛不能っぷりは、当時植え付けられた数々のトラウマが少なからず影響しているのかもしれません。
「…………」
ムシャムシャバリバリと鶏の骨を噛み砕いていたライムは、そんなシモンをジッと見つめていました。彼を囲む女性陣への嫉妬心から殺気が漏れそうになっていましたが、そこはグッと堪えます。彼女達はライムにとっても友人なのです。
殴っていいのは敵か悪人だけだと師匠からもよく言われています。強敵と書いて「とも」と読むようなケースだと、どう判断すべきかちょっと迷いますが。
シモンが恋愛関係に鈍くなった原因が幼少時の一件にあるとすれば、ライムにも少なからず責任はあるでしょう。ライム自身、当時の行動自体に後悔はなくとも、それでも他にやりようがあったのではないかとも思っていました。
◆◆◆
それからまたしばらく経ち、もう日付が変わろうかという頃。
取り囲んでいた女性陣も眠くなったり酔っ払ったりで次第に人数が減り、シモンは男友達と互いの近況などを話していました。
「そういや、聞いた? ハンスの奴、結婚して最近子供も産まれたんだってさ」
「ほう、それはめでたいな。今度祝いに行かねば」
ハンスという人物はシモンの迷宮都市での友人の一人。今日も仲間内の伝手を通じて誘いはかけたのですが、残念ながら来ていませんでした。
子供が産まれたばかりの家庭が何かと慌ただしいのは、シモンも魔王一家の実例を見て知っています。会えなかったのは残念ですが、そういう事情であれば仕方がないでしょう。
ですが、そのハンス何某に関する話題はあくまで本題に入る前の振りだったようです。その男友達はシモンに対して、
「そういやさ、シモンって結婚とかしないの?」
と、周囲に残っていた女性陣も思わず飛び起きるような重大な質問を気軽にしていました。こういう話は同性同士のほうが気兼ねなく出来るのかもしれません。
「やっぱ、王族だとどっかの姫さんとかお嬢様なんかの許嫁とかいるもんなの?」
「いや? そういえば、俺は特にそういう相手はいないな」
ライム含め、幾人かの女性陣が心の中で密かにガッツポーズを決めました。
シモンに直接尋ねることが躊躇われる類の質問。なおかつ、いよいよ決定的になるまでは王宮の外に出てこない類の情報なので、恐らくはいないだろうと思ってはいてもこれまで確信が持てなかったのです。許嫁の不在というのは非常に有益な情報でした。
シモンも含めて、アルコールで舌の回りがよくなっているせいでしょうか。
「そういや聞いたことなかったけど、シモンってどんな娘がタイプなんだ?」
「タイプか……そうだな、あまり考えたことはないが」
更なる重要情報に繋がりそうな会話が出てきました。
シモンの好む女性のタイプ。
彼に狙いを定めている女性陣は、眠ったフリや全く関係ない話をしているフリをしながらも、全神経を聴覚に集中させて一言一句聞き逃さないようにしています。
「そうだな、まずは……髪は長いほうが好みだな」
この時点で、話を聞いていた半分近くが脱落しました。
「黒や茶もいいが、綺麗な金髪には目を惹かれる」
その半分が数秒後には更に半分以下になりました。
「背丈は、どちらかというと小柄なほうが可愛らしいと思う」
誰もが目を惹かれるような長身の金髪美女がガクっと肩を落としました。
「ふぅん、胸はどうだ? やっぱ、男ならデカいのには目が行くよな」
「いや、別に? 知り合いを見ていると、運動する時に邪魔じゃないのかとは思うが」
質問をした男友達に対する女性陣の好感度が密かに大きく下がりました。
肝心のシモンは女性の胸部に対して特にこだわりはないようです。
「見た目じゃなくて、他の部分はどうよ? つい守ってやりたくなるような、か弱いタイプとかいいと思うんだけど」
「騎士の端くれとしては、か弱い女性はつい庇護対象として見てしまうからなぁ。対等のパートナーとして付き合うならば、自分の身は自分で守れる強さが欲しい。俺と同じか、もっと強いくらいでいいかもしれんな」
シモンの強さはこの場の皆も知っています。
それと対等以上の達人など、世界中に十人いるかどうかというところでしょう。
酒の席での与太話とはいえ、あまりに好みの範囲が狭すぎました。
「…………」
この時点でギリギリ候補に引っかかるのはライム一人。
いえ、引っかかるどころか、まさに彼女のことをピンポイントで指しているかのようです。少し離れた席でお酒を注ぐフリをしていたライムも、つい緊張して手に汗を握り、持っていた葡萄酒の瓶を握り潰しそうになっていました。
そんな気も知らずに、男達は会話を続けます。
「ふんふん、もう一声ないか?」
「もう一声か、ふむ……? いや、いかんな。そういうのは良くない」
「あれ、いま何か言った?」
「いや、何でもないぞ。さあ、もっと飲もう!」
ライムは他の女性陣と同じように、ガクっと肩を落としました。
他の皆は気付かなかったようですが、鍛え抜かれたライムの聴覚は、シモンが小声で呟いた言葉をしっかり捉えていたのです。
『もう一声か、ふむ……人妻? いや、いかんな。そういうのは良くない』
考えてみれば、ここまでに出てきたシモンの好みは、彼が幼少期にフラれた相手、アリスの特徴をそのまま思い浮かべて言っているだけでした。別に彼が人妻マニアというワケではありません。
失恋したのはもう十年以上も前ですし、シモン自身普段は全く気にしていませんが、アリスの存在が彼の恋愛観に多大なる影響を与えているのは間違いないでしょう。異性に対する理想が妙な形で固定されています。これをトラウマと称すべきかはさておき、思いっきり変な拗らせ方をしていました。
しかし、今宵は貴重な収穫もありました。
偶然に拠る部分も多くありますが、師弟という関係性ゆえかアリスとライムには共通点が少なからずあるのです。もっと研鑽を積んでアリスに近付けば、それは即ちシモンの好みに近付くことにもなるかもしれません。
「……がんばる」
お酒が入ったせいか、あるいは他の原因ゆえか、頬を赤く染めたライムは人知れず決意を新たにするのでした。
一応補足しておくと、シモンの中ではもうアリスに対しては完全に諦めがついています。ただ、好みの基準がそこで完全に固定されてしまい、そこから外れるとそもそも恋愛対象外になってしまうという厄介な拗らせ方をしているのです。




