いざ迷宮へ
聖杖の下部に設けられた門から中に入ると、そこには中央のエントランスが。そして眼下には遥か先まで続く書棚の列が続いていました。直径十メートルほどの杖の内部とは思えないほど広大な空間に、紙とインクの匂いが満ちています。
照明器具のような物は見当たりませんが、まるで空間そのものが発光しているかのように明るく、視界は良好。見える範囲内にも書架の間を動き回る人々の姿が見て取れました。
「すごいな、どうなってるんだろ?」
「ふ、ふしぎ……?」
「空間拡張だよ。いや……聞いてはいたけど、この規模を実際に目の当たりにすると驚くね」
ルグやレンリや他の受講者たちも、背後に見える普通の街並と聖杖の内側の光景を見比べては驚いていました。
魔法による空間拡張自体はそれなりにメジャーな技術で、鞄や家屋に使用されることもありますが、熟練の術者でも元の体積の百倍程度の拡張が精々。しかも、魔力の供給が止まると拡張が解除されてしまいます。
この果てしない広さを維持するためには、どれほどの技術と魔力を要するのでしょう?
魔法自体をほとんど知らないルグやルカはもとより、空間魔法に関しては専門外のレンリにも想像すらできない領域です。まさに神業という他ありません。
エントランスの面積は外の聖杖広場とほぼ同等ですが、何箇所か設けられている階段で降りることもできるようです。
「下手に入り込むと遭難しますから注意してくださいね。まあ、ここの司書さんの許可がなければ、どっちにしろ閲覧はできないんですけれど」
興味深そうに景色を眺めていた受講者たちに、イマ隊長からの忠告が飛びました。
「この下の本棚には、これまでに誰かが迷宮から持ち帰った知識が、本の形で収められています。とはいえ、知識を発見した人が同意しなければ、勝手に頭の中身を本にされることはありませんから、安心してくださいね」
迷宮で発見した知識や器物の権利はそのまま発見者の所有物と見做されます。
王族だろうが犯罪者だろうが、その掟は平等です。
持ち帰った知識を万人に無償で公開するも自由、対価を求めるも自由。
あるいは貴重な知識を独占したいならば、それはそれで“有り”というわけです。
ぱんっ。
と、イマ隊長が拍手を打って、景色に目を奪われていた皆の注目を集めました。
エントランスには何箇所かに分かれた壁があり、そこには七枚の絵が架かっています。
森や海や空など、様々な景色を描いた風景画が、油絵とも水彩とも違う不可思議な画法で描かれていました。
「では皆さん、順番にこちらの絵に触れてくださいね」
隊長が手本を見せるかのように入口から一番近い森の絵に触れると、彼女の姿が一瞬にしてその場から“消失”しました。
絵に触れることで対応した迷宮まで転移する仕組みなのです。
存在そのものは有名ですが、転移術とは非常に高度な魔法で、使い手も稀少です(今回の転移は厳密には場所を移動するのではなく、重なり合った別位相の世界に移動する別物なのですが、客観的には似たようなものでしょう)。
初めて迷宮に入る者たちはイマ隊長が消えた光景を見て、ある者はおっかなびっくり、またある者は意気揚々と絵に触れていきました。
「ふむ……やはり、他の絵に触れても転移は発動しないか。ズルはできそうにないね」
「レン、何してるの? 置いてくよー」
中には、ズルをしていきなり『第二』以降の迷宮に行けないか試す者もいましたが、管理者の許可がない状態ではもちろん転移は発動しません。
レンリたち受講者と教官役の兵や冒険者も次々と転送されていき、ほどなくして全員の姿が杖内部のエントランスから消失しました。
◆◆◆
視界が一瞬歪み、足が支えを失ったと感じた次の瞬間、彼らは深い森の中の、開けた空間に立っていました。
自動的に出現位置が微調整されるのか、幸いにも先に転移した者の背中にぶつかったり、逆にぶつかられたりした者はいないようです。
もっとも、初めて迷宮に入った受講者たちの関心は、既にそんなところにはありません。
「ここが……」
視界の埋め尽くす樹木の群れ。
むせ返りそうなほどに濃密な土と植物の匂い。
どこからともなく聞こえる獣の咆哮。
つい数分前までいた学都の街中とは、あまりにも違う光景が広がっています。
一見するとただの深い森にも思えますが、ここはすでに異界。
元の世界の常識がどこまで通用するかは分かりません。
そして、その違いを実体験として学ぶことこそが、今回の彼らの目的なのです。
「では、皆さん改めまして……ようこそ、『第一迷宮・樹界庭園』へ!」
少しおどけた風に言うイマ隊長の歓迎の挨拶と共に、一部の参加者からは「悪夢」とも称される講習が本格的に幕を開けました。
最初のダンジョンは、しんりんちほーです(※あえて漢字変換しない)。
ここにはどんなフレンズがいるのかな?
わーい、たのしそー!