第二の試練⑨
暴走を続けるルカの前に現れたルグと、彼に肩を貸すレンリ。
この戦闘が始まってからもう一時間近くが経過しています。
ライムによる治療の甲斐もあって、どうにか意識を取り戻したのでしょう。
「痛っ……」
「大丈夫かい?」
「いや、あんまり大丈夫じゃないな。死ぬほど痛い。頭もグラグラする」
とはいえ、ルグは辛うじて意識を取り戻しただけで万全とは遠い状態です。
主な怪我は右足と左上腕の骨折、それと肋骨のヒビが何箇所か。
特に左腕は折れた骨が肉を突き破って体外に露出していたような酷い状態でした。
当然、出血も少なくありません。
ちょっとでも治療が遅れていたら、間違いなく失血死していたでしょう。
今だって貧血で朦朧としているはずです。頭がグラグラするというのも大量出血による症状。意識を保っているのが不思議なほどでした。
今だって衣服を切って折れた骨を肉の中に押し込み、どうにか表面上の傷だけ塞いだだけ。骨だって折れた部分を最低限繋いだだけです。
本来なら一刻も早く街に運んで、本格的な治療を受けさせなければなりませんが、ルグはこの状態のままルカに対峙することを選びました。
どうにか身を起こせるようになる前の朦朧とした状態でも、壁の向こうから聞こえてくる声や戦闘音は耳に入っていたようで、説明されずとも状況は大まかに把握していたようです。
「どうする?」
「いや……やります。多分、俺がなんとかしないといけないから」
「そう」
治療したライムは立場上止めるべきなのかもしれませんが、彼女は治療の技能を有しているだけで正式な医者というワケではありません。どちらかというと戦士寄りのメンタルをしている彼女は、ルグから並々ならぬ覚悟を感じ取ったのでしょう。
「一度だけ。それでダメなら諦めて」
ライムはルグ達の少し前に、危険が及んだならすぐ対応できる位置で警戒しています。ですが、いくら彼女でも今のルカの攻撃を凌ぎ切れるかは分かりません。
一度だけ説得の機会を与え、それでダメだった時は担ぎ上げてでもこの場から離脱させるつもりでした。
◆◆◆
『意識が戻りましたか、良かった!』
ゴゴとシモンは無事に戦況を維持していました。
途中からルカの視覚や聴覚に異常が顕れ始めたこともあり、防戦に徹するだけなら最早難しくありません。攻撃動作自体は素早くとも、もうロクに目標を捉えられていないのです。
無差別に壁から壁へと突撃を繰り返し、周囲の空間は破壊痕だらけの酷い有様になっています。ゴゴも回避の傍らで迷宮の修復を行なっていましたが、とても修理が間に合いません。まあ、そのおかげで壁で隔離していたルグ達が簡単に入ってこれたのですが。
『説得ですか。しかし、今のルカさんが説得に耳を貸すとは……』
ゴゴはルグ達を危険に晒すことに反対のようです。
確かに、説得に応じるような思考力が残っているとはとても見えない状態。そもそも、ちゃんと声が聞こえているかも怪しいものです。
論理的に考えれば、それで状況が改善すると思えないのも無理はありません。
「いや、ライムがやらせると決めたなら俺は賛成だ」
ですが、シモンは説得に賛成票を投じました。
疲れ果てればルカも動きを止めるだろうという当初の予想は、もうアテになりません。今のルカが命を削って無理に動いているのは察していましたが、残念ながら彼女の安全を確保したまま停止させる術がないのです。
これは敵を倒す戦いではなく、仲間を止めるための戦い。
目的を達するためには一か八かの賭けに出る必要がありました。
◆◆◆
「レン、少しの間でいい。あいつの動きを止める手はないか?」
「動きさえ止められれば、どうにか出来るってことかい?」
ルカとの対話を試みるにしても、壁から壁へ、床から天井へと絶えず動き回っている状態ではそれもままなりません。ほんの少しの間だけでも動きを止める必要がありました。
「この間とは反対だね。いいさ、やってみせようじゃないか。ゴゴ君、あとシモンさんも、私が合図をしたら――――どうかな、出来るかい?」
『え、ええ、それはまあ可能ですが……本気ですか?』
これはレンリだけで出来ることではありません。
ゴゴやシモンに作戦の概要を手短に伝えると、皆でタイミングを計りました。
レンリの動体視力では今のルカの姿はほとんど見えません。
しかし、移動と移動の合間、次の加速までの僅かな時間だけは辛うじて姿を捉えることが可能です。
「まだだ……まだ、角度が悪い……っと!?」
懸命に目を凝らし、ルカが衝突してきそうになったらライムに襟を引っ張って回避させられ、
「……よし、今だ!」
『もう、どうなっても知りませんよ!』
ルカが、レンリ達がいる面からしたら天井側、迷宮表層部の側に着地した瞬間、その天井が消失しました。
いえ、天井一枚どころではありません。
周囲の壁も床も周囲一帯の構造物全部が消え、その場の全員が迷宮表層部の更に外側、その先には何も存在しない黄昏色の空に放り出されたのです。
どのようなカラクリが使われたのかは一目瞭然。
巨大な球状である第二迷宮は今や大きく変形し、柔らかなゴムボールの一点を指で凹ましたような形状になっていました。レンリ達はその窪みの部分の中空にいる状態です。
ゴゴが管理者権限で迷宮の構造を操作できるならば、大元となる全体像にも干渉できるだろうと考えてのことでした。該当区画にいた他の探索者達は、突然の大きな揺れにさぞや驚いたことでしょうが。
そして、迷宮外に放り出されたことでもう一つ大きな変化がありました。
『金剛星殻』の内部は立体迷宮としての複雑さを増すべく天地不定の法則が適用されますが、迷宮表層より外側はその例外。逆立ちして虚空に足を向けても上に浮かび上がったりはしません。
つまり、迷宮外に出た今この状況においては重力は普通の世界と同様。
物体はただ下に、迷宮の中心方向に向けて落下するのみです。
天井への着地を失敗したルカも、それ以外の皆も重力に任せて落ち始めました。
「これなら……! うむ、流石に止まったか」
そして、この一方向にのみ重力が作用する状況であれば、シモンの重力反転術も十全に機能します。全員が空にフワフワと漂い、肝心のルカも身動きが取れずにいるようです。
こうして、ようやく拘束は適いました。
しかし、ここまではあくまで下準備。
ルカを正気に引き戻さないことには、根本的な問題は解決しません。
「さ、注文通り動きは止めたよ。私はあんまり働いてないけどね」
「いや、充分だ。ありがとう、レン。皆も」
「それより今度はキミの番だ。動きを止めればどうにか出来る考えがあるんだろ?」
「ああ、あとは俺に任せてくれ」
空中に漂っている状態では、片足が使えずとも肩を預ける必要はありません。
ルグは周囲に浮いている構造材の破片を蹴ってルカに近付き、左腕は動かないので右腕一本で彼女の肩を抱き寄せると、
『「「…………はい?」」』
外野の困惑を他所に、ルカの目を隠している長い前髪をかき上げました。