仕込みと成果
ルカの投擲した壺が割れ、中に入っていた白い粉末が黒ゴーレムの身体に降りかかり……しかし、特に目立った変化はありませんでした。
わざわざ事前に壺を埋めておくような手間をかけている以上、なんの意味も無いとは考えにくいのですが、その意味が分からないというのは魔法兵達からするとどうにも不気味に思えます。
一旦ルカやレンリ達から距離を取ってゴーレムの状態を確認してみましたが、離れた位置から魔力を送っているトム達には、そして擬似的な思考力を得ているゴーレム自身にも特に異変は見出せませんでした。
「えと……わたし、何か、失敗……しちゃった?」
「いや、ルカ君のせいじゃないさ。変身するなんて予想外だったからね、多分そのせいで幾らか壊れたのかな」
実のところ、この時点で思うような効果が出ていないのはレンリ達にとっても同様。ゴーレムの変身というのは全くの想定外でしたし、その変化が仕掛けに影響を及ぼしているのだろう……とレンリは推測していました。
「仕方ない。だったら直接描くしかないか。ルー君、アイツの動きを十秒……いや、五秒だけ止められるかい? 出来れば転ばせるのがベストなんだけど」
「五秒か。うん、まあ、多分イケると思う。何度もは無理だろうけど」
「ああ、チャンスは一回で充分だ。任せたまえ」
しかし、多少予定が狂ったくらいでは勝利を諦めるには及びません。
レンリからルグへの指示は黒ゴーレムの動きを五秒止める事。難業ではありますが、それだけの時間があれば「勝てる」という確信がレンリにはあるようです。
「ルカ君は他の壺を探して、隙があったら投げてくれたら嬉しいかな」
「うん……わかった、よ」
ルカへの指示は、引き続き埋めてある壺を探して投げつける事。一回目の投擲は不発に終わったように見えますが、二度三度と繰り返せば効果は強く出てくるはずなのです。
試合場の中には全部で二十個も先程と同じ壺を埋めてあります。
もしかしたらゴーレムに踏まれて割れた物もあるかもしれませんが、全部が駄目になっているということはないでしょう。
「っと、ここまでか」
……と、ちょうど指示を出し終えた時点で、黒ゴーレムが三人との間合いを詰めてきました。どうやら、作戦タイムはここまでのようです。
レンリとルカは再び木陰に隠れながら移動を開始。
ルグは相手の注意を引き付けるべく、一人で黒ゴーレムへと立ち向かいました。
◆◆◆
『おや?』
高い木の上でポップコーンを摘みながら呑気に観戦していたゴゴですが、とある違和感に気付いて首を傾げました。
『どうしたの?』
『いえ……姉さん、この辺りって最近雨が降りましたか?』
『ううん? 本体の記録だと、この辺は最近晴ればっかりだったみたいよ』
ウルやゴゴの本体である迷宮には、過去迷宮内で発生したあらゆる事象が細かく記録されています。天候、地形、探索者や魔物の動向など、調べようと思ったら分からないことはありません。
化身である彼女達はその記録を自由に確認できるのですが、ウルによると最近この近辺では雨は降っていなかったようです。
『でも、ほら。あの辺りの地面は随分濡れてますし、水溜りもいくつかありますよ』
『あ、言われてみれば確かにそうなの』
『ついでに、もう一つ。地面が濡れているのは、勝負の範囲に設定されている円の内側だけみたいです。その外側の土は乾いていますから』
ゴゴが違和感を持ったのはその点でした。
雨は恐らく降っていない。
それにも関わらず、試合場に設定されている範囲内だけは地面が濡れている。
そして付け加えるなら、先程ルカが壺を掘り出したように、レンリ達が事前にこの場所に仕掛けを施していたのは間違いない。
『恐らく、なんらかの意図があってレンリさん達が水を撒いておいたんでしょうね。その狙いまでは我には分かりませんが』
『おお、すごいの! “めーたんてー”みたいなのよ!』
『いやぁ、肝心の部分が分からない迷探偵で恐縮です。それより、姉さんなら記録を当たって何が狙いか分かるのでは?』
第二迷宮の担当であるゴゴには『樹界庭園』の記録へのアクセス権限がありませんが、ウルが確認すれば謎は一瞬で解けるでしょう。
ですが、ウルはちょっとだけ迷ってから首を横に振りました。
『こういうのは“ねたばれ”を知っちゃうと面白くないもの。ここはあえて確認しないでおくのがお利口なのよ』
◆◆◆
黒ゴーレムは立ち向かってきたルグに真っ向から……相手をすることなく、大きく跳び越えて回避しました。トム達もルグの持つ巨大化剣の破壊力は警戒しているのでしょう。
防御力も機動力も大きく上がった黒ゴーレムですが、だからといってその性能を過信してはいないようです。
「おいおい、普通あの流れで私のほうに来るかい!?」
まずは弱い相手から順に排除しようと考えたのか、木陰に隠れようとしていたレンリのほうへと向かってきました。先程は派手に動くルカに注目して見失ってしまいましたが、遮蔽物になり得る木も少なくなってきました。三人が散開した時点から注視していれば、姿を追うのは難しくなかったことでしょう。
会話の内容までは聞こえずとも、レンリが他の二人に指示を出していたのは遠目からでも明らかでしたし、司令塔を最初に潰すのは悪い判断ではありません。
元々足が速いルグや、爆発的な瞬間加速が出来るルカに比べると、レンリのスピードは三人の中では見劣りします。歩幅の広い黒ゴーレムにあっという間に距離を詰められてしまいました。
しかも場所は試合場の端ギリギリの位置。
これ以上後ろに下がったら場外負けになってしまいます。
黒ゴーレムは、身を低く屈めて巨大な腕を伸ばしてきました。
本気の勝負とはいえ、流石に黒ゴーレムの本気の踏み付けやローキックが直撃すれば殺してしまいかねません。逃げ道を塞いだ上で場外に押し出すか、あるいはレンリの身体を掴んで範囲外に放り出すつもりなのでしょう。
絶体絶命のピンチとしか思えない状態でしたが、
「やれやれ、あらかじめ描いておいて正解だったようだね」
追い詰められたように見えたレンリの姿が、突然消えました。いえ、文字通り目にも留まらぬ速さで動き、股を通り抜ける形でゴーレムの背後へ回ったのです。
「『身体制御』の30%ってトコかな。いてて……」
使ったのはレンリの奥の手の一つである『身体制御』の術。
通常の『身体強化』と違い、肉体の限界以上の性能を引き出した上で、達人並みの技量を無理矢理再現するという荒業。長袖で隠していましたが、今回の勝負に当たってレンリは予め自分の手足に『身体制御』の刻印を描いておいたのです。
まだ術式の構成が甘いせいか、骨格や筋肉組織に大きな負担がかかるので多用はできませんし、使うと物凄く痛いのでレンリ自身進んで使いたい術ではありません。
今回は出力は全開時の三割程度に抑えることで、どうにか骨折や筋断裂などを起こすことなく回避動作を成功させたようです。それでも多少の痛みはあったようですが、リスクに見合うだけの成果は得られたと言えるでしょう。
それに、成果はもう一つありました。
「……よかった。ちゃんと冷えてたみたいだ」
レンリは足の間を通り抜けた時にゴーレムの黒い体表に触れ、作戦が予定通りに進行している事を密かに確信していました。