ルカは苦手を克服したい①
武術の世界では『歩法』の習得が重視されます。
歩法とは足運びの技術の総称。
簡単に言い表せば単なる歩き方や走り方であり、あえて習う必要など無いと考える者もいるでしょう。二歳か三歳くらいの幼子であっても出来る事を、どうしてやらねばならないのか、と。
その為に費やす時間を筋力鍛錬や技術の習得に向けたほうが強くなれると思うのも、まあ無理はないでしょう。
しかし、たかが歩き方と馬鹿にしてはなりません。
鍛錬を積んでいない普通人というのは、見る者が見れば意外なほどに効率の悪い歩き方をしている事が多いのです。
特に普段から椅子に座っている事の多い者や、運動の習慣が無い者の場合は顕著でしょう。単純な足の筋力や体力の多寡という問題もありますが、力が無駄に逃げているせいで体力の消耗が大きく疲れやすくなったり、たまに短い距離を走っただけで簡単に息切れしてしまったり。足の動かし方が下手なばかりに、足首やヒザに負担が集中して怪我を負いやすくなったりもします。
逆に歩法の技術を高いレベルで身に付けていれば、筋力を効率的に推進力に変換できるので疲れにくくなりますし、怪我もしにくくなります。それに同じ脚力でもより素早く動けたり、隙が減って動作を見切られにくくなるので、武術においても有効です。
歩法を極めた達人が魔力による身体強化と併用すれば、「縮地法」と呼ばれる転移魔法と見紛うような瞬間的な超加速すらも可能になります。まあ、当然そこまで至るのは容易ではありませんが。
いずれにせよ、魔物との戦闘や長距離の徒歩移動が日常である冒険者ならば、基本くらいは押さえておいて損はない技術と言えるでしょう。
◆◆◆
レンリ達が迷宮探索の合間に行っている騎士団での訓練。
そこでは摸擬試合や戦闘技術の習得以外にも、筋力トレーニングや走り込みなどの基礎的な鍛錬もメニューに含まれています。
「あぅ……また、最後……」
この日も、興味を持って自主参加している他の冒険者や騎士団所属の兵隊と一緒に走っていたのですが、ルカはいつものように最下位でした。毎回上位争いに加わっているルグはともかく、体力面で劣るレンリにすら負けています。
ここ数ヶ月で何度も迷宮を歩いてスタミナは付いてきていますし、脚力ならばこの場の誰よりもあるはずなのですが、その筋力が速さに繋がらないのです。
「もっと前傾になって、爪先で地面を弾くようにするんだよ」
「えっと……こ、こう……?」
「いや、完全に足裏が地面に着いてるし、体重がカカト寄りだし」
何度も何度もルグが根気良くフォームを教えているのですが、未だにベタ足の効率の悪い走り方を矯正できていません。学都に来るまでは家にいる事が多く、幼い頃から走った事などほとんどなかったという点を差し引いても、あまりに走り方が下手すぎました。
単に走るのが遅いというだけでなく、上下動を抑えて滑るように移動する歩き方や、急な方向転換に対応する運足などもなかなか覚えられません。
記憶力そのものは悪くないはずなのに、こと歩きや走りの身のこなしに関してだけは、何故かいつもベタ足のドタバタ走りになってしまうのです。まるで何かの呪いなんじゃないかと疑いたくなるほどに、歩法全般の習得に手こずっていました。
「まあ、根を詰めすぎても仕方ないさ。ゆっくり覚えていけばいいんだよ」
「だな。そろそろ休憩しようぜ」
「うん……ご、ごめんね……」
この日の特訓でも目立った収穫はありませんでした。
レンリやルグは気にしていませんが、ルカとしては申し訳ない気持ちで一杯です。
それに、迷宮内では足の速さが命に関わってくる可能性もあります。魔物から逃げる時にルカが遅れたせいで二人まで危険に晒したとあっては、死んでも死にきれないでしょう。
現在攻略を進めている『金剛星殻』の浅い区画であればそこまで危険な魔物はいないので、今すぐに生き死にに関わってくるというワケではないのですが、攻略を更に進めたり試練に挑んだりする事を考えるなら悠長に時間をかける事はできません。
(どうにかしないと……っ)
せめて人並み程度には走れないと、そう遠くない将来、仲間の足を引っ張ってしまうことになるでしょう。ルカにとってその予想は、とてもとても恐ろしいことでした。
◆歩き方で疲労度が変わってくるのはホントです。疲れやすい方は歩行時の姿勢をチェックしてみるのもよろしいかと。背筋が曲がっていたり、体重がカカト寄りになっていたら要注意。
◆創作界隈では割と有名な技ですけど、リアル武術の縮地法は“重心の変化によるスムーズな始動”と”相手の意識の緩みを突く”ことによる合わせ技で突然近付いたように見せかける技らしいです(流派によって多少の差異はあるみたいですが)。
本作は魔力で肉体を強化できるファンタジー世界なので、条件さえ揃えば短距離ワープじみた超高速移動も本当に実現できます。