空飛ぶ約束
「鷲獅子に乗って空を飛んでみたい」
それが、ルグがルカに頼みたい事でした。
禁書事件の時にレンリやウルは乗っていましたが、人数の関係でルグは乗れませんでした。あれ以来、少しばかり羨ましく思っていたのだそうです。
まあ、事件の時はいずれにせよ霧が濃くて空を楽しむどころではありませんでしたし、事件優先で楽しむ余裕などありませんでした。
それに、当時ロノに乗って飛んでいたレンリやウルは、高空からの身投げモドキを強制されて酷い目に遭ったので、人選から漏れたのは幸運だったのかもしれませんが。
この世界において、ヒトが空を飛ぶというのは必ずしも有り得ない事ではありません。例えば、風や重力の操作に長けた魔法使いであれば鳥以上の速さで飛行することも可能ですし、自由自在な飛行とはいかずとも短時間の浮遊だけであれば出来る者は更に増えます。
それ以外でも、ヒトを乗せて飛ぶ為の魔法道具、飛空艇のようなモノに乗れば誰でも空に昇ることは出来るのです。
もっとも、前者については余程の魔法の才がなければ不可能ですし、飛空艇についても資金力と技術力に優れた大国でも数隻から多くとも十隻程度を保有するに留まっています。
元々は魔界から各国に寄贈された艇の構造を解析して製造にまで漕ぎつけたのですが、未だ安定した量産が出来るには至っていません。将来的には分かりませんが、現代では王族や大貴族、あるいは軍属の技術屋でもなければ乗る機会はないでしょう。
だから、鷲獅子に乗って自由に空を飛べるというのは、本来かなりスゴイことなのです。
普通の魔獣であれば気性が荒く、野生の個体を手懐けて騎乗することはまず無理。ですが、卵の頃から育てられヒトに慣れているロノは人語も理解していますし、命令にもキチンと従います。ルグが乗ってみたいと思ったのにも不思議はありません。
ともあれ、禁書事件が無事に解決し、ついでにアルバトロス一家が無罪放免となった現在であれば飛行に問題はないでしょう。
普通に考えれば、鷲獅子のような大型魔獣が都市の上空を飛んでいたら大騒ぎになりそうですが、シモンが大型獣の飼育許可証を取ってくれたお陰で多少の融通は利くのです。
それに、ルカとしては大変不本意で恥ずかしいのですが、ロノを含め一家の顔は新聞に掲載されて、今やちょっとした有名人になっています。
新居に入ってからの数日の間に、レイルが何度かロノを散歩に連れ出したのですが、街の人々は魔獣が子供を背に乗せて歩いていても「ああ、例の」と意外にもすんなり受け入れていたそうです。ちょっと順応力が高すぎる気がしないでもありませんが、これならルグを乗せて街の上空を飛んでも問題はないでしょう。
もっとも、それだと労力を負担するのは主にロノで、恩返しの趣旨からはやや外れてしまいますが、いつも世話になってばかりの借りを返せる貴重な機会。勿論、ルカとしては断る理由はありませんでした。
まあ、ルグはトレーニングの予定がありますし、ルカも今日は家事を手伝わないといけないので、即日すぐにとはいきません。
それに、真夏の一番暑い真っ昼間に陽光を遮る物のない空を飛ぶのは少々厳しいものがあります。肝心のロノだってイヤがるでしょう。
「じゃ、明日の朝にまた来るから」
「うん……ま、待ってる……ね」
翌朝の涼しいうちに空の散歩をすることを約束し、ルグは今度こそ去っていきました。
◆◆◆
その日の夕方。晩餐会の料理も作れそうな広すぎる厨房の一角で、ルカはリンと一緒に夕食の支度をしていました。ちなみにラックは朝からどこかに出かけて不在、レイルは庭の厩舎でロノのブラッシングをしています。
今夜のメニューは野菜たっぷりのラタトゥイユを絡めた冷製パスタ。
前の共同住宅には温度調節が出来る食料庫が無かったので作れる料理が限られていましたが、この屋敷には冷蔵・冷凍機能付きの魔法道具が備え付けられていたので、ある程度凝ったモノも作れるようになりました。
真っ赤に熟したトマト、丸々としたナス、色鮮やかなパプリカ、シャキっとしたズッキーニ、それに肉っ気がないと寂しいので細切れにしたベーコンもたっぷりと。ラタトゥイユ自体は朝食後に仕込んで冷やしてあるので(出来立てよりも多少時間を置いたほうが味が馴染んで美味しくなるのです)、あとはパスタを茹だったら冷水で締め、両方を絡めれば出来上がりです。
夕食の支度といっても、あとはパスタの茹で加減を見ながら食器の用意をする程度。手持ち無沙汰になった二人は自然とお喋りに興じていました。
「ふぅん、あの子、ルグだっけ? そんな約束したんだ」
「うん……ルグ君……お世話になってる、から」
現在の話題は昼間の一件について。
明朝の涼しい時間のうちに、ルグと一緒にロノに乗って空を飛ぶ約束をしています。
長い前髪で表情が隠れてしまい心の機微が読みにくいのですが、リンにはルカが珍しく気合を入れて張り切っているのがよく分かりました。
「へぇ、あのルカがねぇ。うん、いいんじゃないの? 悪い奴じゃないし……いや、どっちかというとアタシ達が悪い奴なんだけど」
「えと……ルグ君……いい子、だよ?」
ルカは単に恩返しをしようと張り切っているだけなのですが、リンは何やら深読みして面白がっている様子です。どうも、何かしらの誤解があるようですが。
「でも、それってウチの稼業的にどうなのかしら? あ、でも、そもそもアタシら今は一応堅気なんだっけ……それなら問題は無い、かな」
「お姉、ちゃん……?」
「ああ、いいのいいの。分かんないならそれで。ま、頑張りなさい」
「うん……がんばる、よ?」
あくまでよく分かっていない様子のルカを置いてけぼりにして、リンは一人で勝手に納得しています。ちょうどパスタが茹だったこともあり、この話はそこでお終いとなりました。
「やぁやぁ、ただいま帰ったよ、我が妹達!」
と、時を同じくして朝から外出していたはずのラックが厨房にやってきました。屋敷が広すぎるせいで気付いていませんでしたが、いつの間にか帰宅していたようです。
「ちょっと聞いてよ、二人とも。酷いんだよ、あのディーラー! 僕ぁなんにも悪いことしてないのに、カジノ出禁にするなんてさぁ。そりゃね、ちょっとカードをすり替えたりはしたけど、見破ったワケでもないのに疑いだけで追い出すなんて!」
まくし立てるような愚痴だけで、今日一日ラックが何をしていたか全部分かってしまいました。
どうやら、朝からカジノに入り浸って連勝を続けていたら、追い出されて出入り禁止にされてしまったようです。イカサマを見破られたワケではないのは流石の腕前ですが、一人の客が馬鹿勝ちを続けていたら不審がられるのは仕方ありません。
推定無罪ならぬ推定有罪で客を追い出すのは他の客の不信を招きかねませんし、カジノ側としても苦肉の決断なのでしょうが、この先もカモにされ続ける危険を考えたら早い段階での対処はむしろ英断と言えるでしょう。
「はいはい。それじゃ、ご飯にするわよ」
「妹の対応が素っ気無い!? まあ、言うだけ言ったらスッキリしたし、もう別にいいや。お昼抜いたから腹ペコだよ」
ラックとしても、本気で怒ったり落ち込んだりしていたワケではなかったのでしょう。
すぐに興味を食事に移し、あっさりと機嫌を直していました。
「そういえば、さっき二人で楽しそうに話してたみたいだけど、何かあったのかい?」
「あれ、廊下まで聞こえてた? 実はね」
「あの、ね……」
先程のルカとリンの会話は厨房の外にまで聞こえていたようです。
詳しい内容までは聞こえていなかったようですが、楽しげな雰囲気が気になっていたラックが尋ねると、妹二人が明朝のルカの約束について答えました。
最初は単なる雑談として聞いていたラックですが、
「ふはははは、閃いたぞぅ! ちょっと、職人街まで出かけてくるよ!」
「え、今から? 兄さん、パスタ伸びちゃうわよ!」
「後で食べるから取っておいて!」
突然笑い出したかと思うと、そのまま走り去っていきました。
「どうしたのかしら、兄さん?」
「えっと……さあ……?」




