朝の訓練
「レンの奴、最近よく寝込むなあ」
レンリが長風呂でのぼせて具合を悪くしてしまい、その彼女に雇われているルグは急遽スケジュールが空いてしまいました。
しかし、別にヒマを持て余すようなことはありません。
迷宮での実戦も良い訓練になりますが、それ以外の基礎的な鍛錬の積み重ねも同じくらい重要なのです。迷宮に入る日は体力を残しておかないと十全に動けないので鍛錬の強度を加減していますが、そうでないなら一日かけてじっくり鍛えることができます。
自然と日の出頃に目が覚めたルグは、着替えと身体をほぐす柔軟運動を終えると、いつものように走りこみに出かけました。故郷での生活習慣が未だ抜けていないおかげか、早起きも苦にはなりません。もっとも、反対に夜は早い時間に眠くなってしまうのですが。
「はっ……はっ……!」
走りこみのコースは学都の市壁沿いをグルリと一周することにしています。
普段は賑わう通りも、この時間であればほとんど人気はありません。精々が仕入れに向かう商店の関係者くらいでしょう。
距離にすれば20kmはあるでしょうか。寝起きの運動にしてはハードですが、走りこみ自体はルグが故郷にいた頃からの習慣なので、それほど負担には感じていないようです。
それに、魔力による身体強化を覚えてからは、むしろ余裕をもって走れるようになっていました。こうして普段から強化魔法を使用することで魔力の総量も上がりますし、意識せずとも自然に術を発動させられるようになる……とはレンリの言葉。もっとも、それを教えた彼女自身は、三人での騎士団の訓練にこそ参加していますが、そこまで熱心に自主鍛錬をしている様子はありません。言うは易し、行うは難しということなのでしょう。
最初のほうは遅めのペースで徐々に身体を温め、後半になるにつれて速く、より速く。最後の数百mはいつも短距離走のような速度になっています。
「っし、ゴール!」
こうして走り込みを終えたルグは、一人暮らしをしている部屋に戻りました。
しかし、まだまだ休憩ではありません。部屋に戻って木剣を掴むと、すぐさま近所の公園へと向かい素振りを始めたのです。
「一、二、三、四……」
唐竹、袈裟斬り、右薙ぎ、右斬り上げ、斬り上げ、左斬り上げ、左薙ぎ、逆袈裟、刺突。
まずは各種類を単発で五十回ずつ。
それが終わったら、二種類以上の斬撃を連撃として。
一発だけ強い打ち込みができても、それだけでは実戦で用いるには不十分。技と技の繋ぎをスムーズにする為にはこのような地道な練習を重ねるしかありません。
以前の我流剣術でも素振りはしていましたが、騎士団の訓練を受け始めてからは、より姿勢や型に気を遣うようになりました。
先人が長年かけて磨き上げてきた制式剣術は合理性の塊であり、鍛錬を重ねるほどに技の意味を読み解けるようになっていくのです。
素人目には無意味に見える動作にもキチンと合理的な意味があり、更には視線や足運び、果ては呼吸の間に至るまで、学ぶべきことは無数にあります。武術というのは、ある意味では学問にも似た性質を持っているのでしょう。
「……ふぅ、こんなもんか」
理想的な剣の軌道と実際のソレを重ねるべく素振りを続けていたら、いつしか完全に日が昇りきっていました。一応の回数を千回と定めてはいますが、既に千と二百を超えています。今朝は調子が良かったのか、ついつい張り切りすぎていたようです。
木剣を部屋に置いたらようやく朝食の時間。朝からよく動いたせいで、それはそれはお腹が空いていました。お腹の虫も盛大に合唱しています。
「今日は何食うかな?」
学都に来てからのルグは、いつの間にかほぼ毎食外食派になっていました。
当初は節約のために自炊をするつもりだったのですが、一人分だけを作るのは無駄が多く、手間の割には意外にも金銭的な節約にはそれほど繋がりません。それに、食べられる程度の物は作れてもそこまで料理上手というワケでもないので、自然と外食を選択することが多くなっていたのです。
それに、様々な国や地方の出身者が多い学都には、美味しい料理店や屋台が沢山あります。河川を利用した水上交易で、内陸だと高くなりがちな香辛料や珍しい食材、それらを用いた料理も、学都では比較的手が届きやすい値段で手に入るのです。
剣を買う為に浪費を控えているルグでも食事を楽しむ程度の余裕はあります。
この日はぶらぶらと中心街の広場の辺りへと向け、ちょうど営業を始めたばかりの二軒の屋台へと目を留めました。
「芋のコロッケか、羊肉のカレーか……むむ」
コロッケは店を開けたばかりで今なら揚げたてが買えそうですし、観察する限りでは新しい澄んだ油を使っているようです。値段が安めなのも魅力的です。
しかし、一方の羊肉カレーも捨てがたいものがあります。
値段は屋台料理にしては少し高めですが充分に許容範囲内ですし、何より空きっ腹にカレーの香りが響く事といったら。
各国の都市圏では庶民にも普及し始めてきたカレーという料理ですが、ルグの故郷である田舎の農村ではまだ知られていませんでした。学都で初めて食べた時には、刺激的な味と香りに随分と衝撃を受けたものです。
「よし、決めた!」
しばし腕を組んで思案していたルグは、カレーの屋台のほうへ向かいました。
二軒の前で散々悩んでいたせいか、コロッケの店主がちょっぴり悔しそうな顔をしています。
「すいません、カレー一皿、大盛りで!」
「あいよっ、大盛り一丁!」
この屋台では木製の深皿の上にライスとカレーが盛り付けられており、食べ終えたら食器を返す方式のようです。
カレーの器とスプーンを受け取ったルグは、しかし、そのまま食べ始めるのではなくコロッケの屋台へと直行しました。
「すいません! この上にコロッケ乗せてもらえますか?」
「あ、ああ、いいとも! 今日最初のお客だから一個オマケしとくよ」
「やった!」
そう、結局ルグは両方食べることにしたのです。それも別々ではなく、コロッケカレーという一品料理にして。優柔不断に見えるかもしれませんが、世の中、美味しければそれが正義なのです。
「へえ、コロッケ乗せか、美味そうだな」
「なるほど、そういうのもあるのか」
そんなルグのアイデアを見た通行人も、コロッケカレーに興味を引かれたようです。
次々と同じように両方を組み合わせる客が出てきました。
二人の屋台店主としては予想外の事態でしたが、これは嬉しい誤算というものでしょう。
ここは対抗するよりも協力したほうが良さそうだと強かに考えたようで、店側からも組み合わせて食べるのをオススメし始めたほどです。
「やあ、ありがとう、坊や」
「お陰で売れ行きが好調だよ」
「えっと、どういたしまして?」
食べ終えたルグが食器を返しにいった時に、二人の店主からお礼を言われました。
もっとも、普通に食事をしていただけのルグにはあまりピンと来ないようでしたが。
◆◆◆
「よし、と。そろそろ行くか」
こうして訓練と食事を終えたルグですが、まだまだ一日は始まったばかり。
自主的な訓練もいいですが、対人戦の感覚を磨くには試合をするのが一番です。
それに最近ではルグ達と同じように冒険者も訓練に参加しており、彼らからも学ぶべきことは山のようにあります。
とはいえ、今から訓練場に向かっても合同訓練の時間には少し早いのですが……。
今日は体調を崩しているレンリは参加しないでしょうが、ルカは恐らく来るはずです。
騎士団の中には知り合いも増えてきたとはいえ、まだまだ彼女の人見知りを突破できるほどではありません。一人にして不安がらせては悪いので、ルカより先に着くようにしているのです。わざわざ本人に言ったら、ルカは気を遣って無理をするに決まっているので、いつも偶然早く着いた体を装ってはいますが。
故郷の村では小さい子供達の面倒を普段からよく見ていたせいか、同じような世話を焼く対象として捉えているのでしょう。まあ、ルグと同い年かつ女子のルカのほうが背が高いことには目を瞑るとして。
食休みもほどほどに、ルグは騎士団の訓練場へと走り出しました。
◆この後は昼と夜の食事以外はずっとトレーニング。夕食後に公衆浴場で汗を流してから帰って、あとは寝るだけというのが、ルグの休日の流れです。お前、もうちょっと休め!




