ゴゴ
『我の試練、もう今ここでやりますか? それとも、また別の機会に?』
ゴゴの一言と同時に、和やかだった雰囲気は一瞬で霧散しました。
代わりに場を満たすのは強い緊張。敵意どころか親愛の情すら感じる柔らかい物腰ではありますが、対応を一手誤れば笑顔のまま平然と刺しにきそうな予感。
闘技者の世界では、相手が格下であれば実際よりも小さく、格上であれば元の体格よりも大きく見えるような現象があります。無論、実際に体格が伸び縮みしているわけではありません。生存本能が危険な相手との戦闘を避けさせようとして見せる錯覚のようなものでしょう。
そして現在、ゴゴの外見は寸毫変わらぬ愛らしく小柄な少女のままですが、対峙する三人の目には見上げるほど巨大な怪物に変貌したかように見えていました。これが実力差の見せる錯覚であるのなら、三人との差はどれほどあるのでしょうか。
レンリ達とて、これまでに遥か格上の強者と対峙した経験は幾度かあります。
それらの実力者と比べてゴゴが格段に強いというわけでは恐らくないはずです……が、そもそもの強さの質が違う。これまでの三人の経験では量れない種類の強さを持っているのだと、まだ実際に戦うより前に既に気付かされていました。
何かのキッカケでそのまま戦端が開かれかねないような雰囲気でしたが、
「……いいや、やらない。今はね」
『ふふふ、賢明な判断ですね。慎重なのは良い事ですよ』
レンリがそう宣言すると、途端に周囲に満ちていた戦意が消えてなくなりました。
どうやらゴゴのほうも、無理に戦いに持ち込む気は無いようです。
「二人もそれでいいね?」
「ああ……」
「う……うん……」
改めて見てもゴゴの体躯は三人よりも一回り以上は小さく、あれほどの威圧感を放っていたのが信じられないほどです。
まるで今のやり取り自体が白昼夢だったかのようですが、あれが現実の出来事だった証拠にいつの間にか三人の全身は冷たい汗でじっとりと濡れていました。長距離を走った後のように心臓が早く打ち、ノドもひり付くほどに渇いています。
「試練って言っても、何をどう試すのかも知らないし、なんの準備もしてないしね。ぶっつけ本番でどうにかなるほど甘いものじゃないんだろう?」
『ええ、それはもう』
今回は元々新しい迷宮の下見のつもりで来ただけなのです。心構えもそれ以外の準備もロクに出来ていませんし、ここで退くのは決して悪い判断ではないでしょう。
「疲れた……今日はもう帰るよ」
『おや、そうですか? では、外までお送りしましょう』
ゴゴがパチンと指を鳴らすと、迷宮の壁が生き物のように蠢き、そして一直線の通路が出来上がりました。
『最寄の安全地帯に繋がっています。道中の魔物などはいませんのでご安心ください』
「……そりゃどうも」
安全地帯まで辿り着ければ、そこにある『戻り石』で迷宮の外まで転移することができます。
そんな至れり尽くせりの手厚い対応にも関わらずレンリの返事がやや不機嫌そうなのは、この場所に来るまでに(ルカが)苦労して掘った壁の穴も迷宮が動くのに合わせて埋められてしまったからです。
裏技を禁止すると明言されたわけではありませんが、ゴゴがその気になれば、この程度の対策はいつでもできるということなのでしょう。
『ふふふ。では、またのお越しをお待ちしております』
そんな丁重な見送りを背に受けながら、三人の第二迷宮初回の冒険は終了しました。