月明かりの下で
「団長、失礼します」
「おお、そうか。レンリ嬢、叔父殿が迎えに来たようだ」
会議室での話の途中、一人の兵が迎えの到着を知らせに来ました。
詳しい事件内容についてはどの程度まで公開するかこれから検討する必要がありますが、昨夜までの厳戒態勢は既に解除され、ここ最近の事件が終息したということは午前中のうちに領主経由で布告されています。
一度犯人に狙われたせいで、用心の為に本部内で寝泊りしていたレンリ達ですが、事件が終わった以上はもはや留まる理由はありません。元々大した荷物などありませんし、皆すぐにでも帰る準備はできています。
「何かと不自由させて済まなかったな」
「いえいえ、お気になさらず」
『皆でお泊り楽しかったの!』
実際、迷宮での野営に比べれば快適な生活でした。
少々退屈だったのは否めませんが。
「さて、それじゃあ、私はそろそろ失礼するよ」
『じゃあ、我はまたお姉さんのお家にお泊りしようかしら』
最初にレンリとウルが腰を上げ、
「俺も帰るか。俺、今回ロクな目に遭ってなかったな……」
「帰る」
次いで、ルグとライムも後に続き、
「うん、バイバーイ。それじゃあ僕らもそろそろお暇しようか?」
「え、ええ、そうね」
「……いいの、かな……?」
「また住む所探さないとねー」
アルバトロス一家の四兄弟もさりげなく続こうとしたけれど、
「待て待て、流れで逃げようとするでない!」
見逃されるはずもなく引き止められていました。
まあ、それはそうでしょう。
「そなたらは俺と共に明日の朝イチで首都行きだ」
「首都?」
「うむ、最寄の裁判所がそこなのだ。そなたらには裁きを受けてもらわねばならんのでな」
これまでは騎士団に余力がなかった為に止むを得ず先送りになっていましたが、その罪がチャラになったワケではないのです。
最近忘れられがちですが、彼らは彼らで強盗事件の犯人なのです。むしろ、こうして拘束具も無しで、牢屋にブチ込まれてもいないだけで異例の優遇ですし、文句を言える立場ではありません。
「まあ、そう身構えるな」
とはいえ、シモンは四人を安心させるように明るい調子で言いました。
「此度の事件におけるそなたら兄弟の尽力は無視できぬ故、ある程度の酌量は望めるはずだ。イザとなったら俺が国王陛下に減刑を頼んでみよう」
「おお、持つべきものは権力者の友達だねぇ!」
いつの間にラックと友人になったのかはさておき、事件で世話になった恩を返すべくシモンが手を回すつもりのようです。
面子を潰された鉄道会社が高額な懸賞金をかけてはいましたが、元々彼らの罪状は狂言の人質事件や器物破損、傷害未遂等が主で、賞金額に見合うほどの重罪人というワケではありません。完全無罪まで持っていけるかは不明ですが、恐らく執行猶予くらいは勝ち取れるでしょう。
「はっはっは、まあちょっとした旅行のつもりで気楽にしているがよい。無事に放免となったら首都の観光案内でもしてやろう」
朗らかに笑うシモンを見て四人の緊張も幾分解れたようです。その後もしばらく首都の観光名所や、名物の土産物の話などを楽しげに話していました。
「さて、俺はまだ書類仕事が残っているのでこれで失礼する。明日は早いからよく休んでおくがいい」
◆◆◆
それから半日後の深夜。
シモンは執務室で一人書類作業をしていました。
普段は業務の補佐をしている秘書官も既に帰らせ、室内には彼一人です。
事件はどうにか終わったとはいえ、片付けねばならない仕事は山積みです。
例えば、ここ最近の激務で疲労困憊していた学都方面軍の人員へ休息を指示したり、やっと到着した三千人の援軍の扱いを指揮官と協議したり。
学都の兵は連日食事と睡眠以外はほとんど休まず巡回や聞き込み捜査に当たっていたせいで、一度しっかり休ませないと使い物になりません。
当初の予定とは少し違いますが、これから数日の間は首都からの援軍に業務を任せながら徐々に通常態勢への復帰を目指すことになりそうです。
「ふぅ……流石に堪えるな」
いくら体力があろうとも、細やかな神経を使う仕事がこうも続けば疲労の蓄積は馬鹿になりません。普段はだらしない姿を見せることなどないシモンですが、一人だけという気の緩みもあってか、表情には明らかな疲労の色がありました。
すっかり冷めていた眠気覚まし用のお茶を一息で飲み干すと、眉間や肩を揉んで身体の凝りを解していきます。気休め程度ですが、これだけでも気分的には随分と違ってくるものです。
そうして短い休憩を終え、再び書類仕事の残りに取り掛かろうとしたところで、部屋の扉が音もなく開きました。
「シモン」
「む、ライムか。なんだ、こんな時間に。忘れ物でもしたのか?」
来客の正体はライムでした。
自主的に本部の警護を手伝っていた彼女は、事件が終った現在、こんな夜遅い時間に本部にいる理由はありません。シモンにも親友の来訪理由が分からないようで首を傾げています。
ライムの考えは言葉にせずとも大方分かると豪語する彼であっても、時折こうして彼女が何を言いたいのか分からないことがあるのです。
「せっかくだ、俺も少し休憩するか」
「ん」
ともあれ、シモンは書いている途中だった書類を裏返して伏せてから立ち上がりました。
窓際に移動すると、夜空に青白い月が浮かんでいるのがよく見えます。
酒も肴もありませんが、椅子を二脚並べて急遽深夜の月見と相成りました。
「うむ、どこの世界でも月見は良いものだ」
「うん」
「そういえば二人だけというのは久しぶりだな」
「ん」
こうして幼馴染二人で話す時は、もっぱらシモンが話題を提供して、時々ライムが短い相槌を打つような形になります。時には話題が尽きることもありますが、それならそれで構いません。そういう時は一緒に静寂に浸るだけでも、それはそれで心地良いものです。
ですが、今宵のシモンはどこか不自然な雰囲気を纏っていました。
口調や表情は明るいものの、どこか無理をしているような違和感。
それこそ、ライムや古くからの知人くらいしか気付けない程度の些細な違いですが、必要以上に明るく見せて内側にある暗いものを押し殺しているような印象がありました。
「シモン」
「なんだ? そうだ、首都の土産は何がいい? 欲しい物があれば何でも買ってきてやろう」
「無理しないで」
「無理? 俺は無理など……」
ライムの言葉を聞いたシモンは、それでも真意に気付かないフリをして内心の動揺を誤魔化そうとしましたが、
「平気なフリなんてしないで」
続く言葉を受けて、もうそれ以上本心を隠すことが出来なくなったようです。
平気なフリ。
恐らくライムは昼間に皆と一緒に話を聞いていた時から、普段の彼と違うものを感じ取っていたのでしょう。殊更に明るく朗らかに振舞っていたのも、その奥にあるものを悟られない為。
そのまま、何分も経った頃。
ぽつり、と搾り出すような声が零れ落ちました。
「……助けられなかった」
手で顔を覆い俯いたシモンの声は、誰が聞いても分かるほどハッキリと震えていました。
いくら強く成長しようとも、彼はまだ少年の面影濃い十八歳の若者。すぐ間近で人の死に触れて、平気でいられるはずがなかったのです。
「分かってはいるのだ。いや、分かってるつもりだったのに……!」
事件の展開次第では、シモンが直接犯人を斬るような局面もあり得たかもしれません。
武の道を歩む者として、彼とて殺し殺される覚悟は出来ています。
仮に敵が戦意をもって襲い掛かってきたのを迎え撃ち、結果的にそれを殺めたのなら、シモンがこれほど思い悩むことは恐らく無かったでしょう。
ですが、あの時犯人はもう完全に戦意を喪失していました。
ならば、最早シモンにとって彼は敵ではなく守るべき対象。
無理心中を目論む『本』によって警戒心が引き下げられていようがそんな事は関係なく、救えるはずの相手を救えなかったという自責に苛まれていたのです。
相手は死んで当然の悪人。
自業自得。
どうせ、あそこで生き延びても死刑になったはず。
そんな風に割り切るにはシモンはまだ若く、そして己を騙せないほどに不器用で純粋すぎました。
先程までシモンが書いていたのは、後任へ向けた団長業務の引き継ぎ書類でした。
アルバトロスの四人は気付いていなかったようですが、本来であれば責任ある立場であるシモンが直接彼らの護送をする必要はありません。減刑の嘆願にしても手紙を送れば済む話です。
それをあえて首都に出向くのは、目の前で犯人を死なせたことや此度の事件での諸々の被害について、全て自らの責任であると断じ、その事についての裁定を求めるが故。
どのような処分が下されるか現時点ではシモン本人にも正確には分かりませんが、免職や降格、転属などの重罰が下ると予想して……否、そのような重い処分を自ら望んでいました。
客観的に見るならば、今の彼は平静を失って自罰的になりすぎているのでしょう。
しばらく時間を置いて頭を冷やせば、あれは仕方の無いことだったのだと飲み込めるようにもなるかもしれません。
ですが、今この場でそんな正論を伝えても、きっとシモンの心には響かない。
そんな理屈などとうに分かった上で、どうしようもない矛盾に心が軋みを上げているのです。
千言万語を尽くそうとも、今ここで苦しんでいる彼を癒すことは出来ないのでしょう。
「お疲れさま」
「……ライム?」
だから、ライムも言葉を重ねて慰めようとはしません。
椅子から立ち上がった彼女は、俯いたままのシモンの頭を正面から胸に抱きかかえました。
柔らかな栗色の髪の感触と共にじんわりと温かな体温が感じられ、彼もまた同じようにライムの熱や感触を感じているのでしょう。
早鐘のように鳴る心臓の鼓動にも気付かれてしまうかもしれません。
鉄面皮のライムも流石に気恥ずかしさを感じているのか、尖った耳の先が少しだけ赤くなっていますが、幸いそれを見る者は誰もいませんでした。
「がんばったね、シモン」
伝えた言葉はただそれだけ。
後は、慈母が幼子をあやすように、時折優しく背を撫でる程度。
論理的に考えての行動ではありませんが、ライムには今のシモンがまるで出会った頃のような小さく弱々しい存在に感じられたのです。幼い子供に対するように行動してしまったのは、きっとそのせいでしょう。
二人が出会った頃はほとんど変わらなかった背丈は、いつの間にかライムが見上げるほどに差が付いてしまいました。
背丈だけではありません。言葉にして伝えたことはありませんが、ライムにはシモンが驚くほどの早さでどんどんと離れていってしまうように感じることがありました。
性差や種族差、身分に伴う責任など要因は様々。
努力や工夫で埋められるモノもあれば、どうしようもないモノもあります。
今はどうにかしがみ付いているけれど、いつか彼が追いつけない所へ行ってしまうのではないかと不安を覚えることもありました。そして、その不安はいつか現実のものとなるのでしょう。その時を想像すると、とても悲しくて苦しくなってしまいます。
ですが、苦しいだけではありません。
こうして共にいることが少しでもシモンの救いになるのなら、それだけでライムもまた救われたような気持ちになるのです。
「……ライム」
「なに?」
そのまま、どれくらいの時間そうしていたでしょうか。
ふと、シモンが口を開きました。
「……ありがとう」
「ん、どういたしまして」
いつしかシモンの呼吸は穏やかな寝息へと変わり、ライムは彼が目覚めぬよう静かに部屋を後にしました。




