学都のルグ
学都に到着した翌朝。
「次は東街のお屋敷に頼む! 中央広場から入った先のでかい庭がある家で、住所は……」
「はい、行ってきます!」
まだ日が昇って間もないような早朝にも関わらず、ルグは何故だかパン屋『若草亭』の手伝いで、焼き立てパンの配達をしていました。見習いの小僧たちと一緒に何度も店と配達先を往復しているのですが、まるで目の回るような忙しさです。
とはいえ、別に彼が昨晩から今朝までの間にパン屋に就職したわけではありません。
これには、さして深くもない理由があったのです。
◆◆◆
『若草亭』は学都西側の職人街にあるパン屋で、味が良いので評判のお店です。通常の店舗売り以外に、契約している個人宅や店屋への配達もしていて評判は上々。
学都内には他にもパンを売る店は沢山あるのですが、職人街から離れた東街のお屋敷や駅周辺の高級レストランの中にも、あえて『若草亭』のパンを使っているところがあるほどです。
ところが、この日の『若草亭』は予期せぬアクシデントに見舞われていました。
普段は見習いの小僧たちが、契約している食堂や個人宅にパンを届ける手筈になっているのですが、夜が明けたら配達に使う荷車が倉庫から無くなっていたのです。
「おかしいなぁ……」
「あんなの誰が盗んだんだろ?」
倉庫内には他に価値がありそうな家財なども少しはあったのですが、無くなっているのは年季が入って車輪がガタつき始めた荷車一台と、雨天時にパンを覆って守るための帆布が一枚。
『後で返します。ごめんなさい』と書かれた紙が現場に残されていたので、どうやら盗難事件らしいとは分かりましたが、これはどうにも釈然としません。
しかし、被害がオンボロ荷車一台とボロ布一枚とはいえ、『若草亭』の親方以下従業員一同は大いに困りました。このままだと、いつもの時間にパンを届ける事ができないのです。
店で販売する分と違い、配達分に関しては事前にお金をもらって契約しているので、配達が遅れたら店の信用にも関わります。
普段は荷台一杯に油紙に包んだパンを積んで都市内を移動しながら、数人がかりで手分けして効率よく配達をしているのですが、荷車が使えないとなるとそのやり方ができないのです。
同じような荷車を近隣の馴染みの商店にでも借りられたら良かったのですが、今は折り悪く河沿いの市が開く時間。荷車を持っている店はどこも仕入れに使っている真っ最中で、他所に貸す余裕なんてありません。
いざとなれば直接パンを抱えて走るしかありませんが、人がいっぺんに持てるパンの量なんてカゴや布を使ってもたかが知れています。それに、いちいち店まで走って追加分を取りに戻る方法を実行するには、体力も人数も、どう考えても足りません。
「困ったね」
「困ったな」
「困ったぞ」
もう間もなく窯の中のパンが焼きあがる時間です。
彼らは、とてもとても困っていました。
「ん? 君たち、そんな顔してどうかしたの?」
と、見習い小僧たちが店の前で悩んでいるところに、何も知らないルグが通りかかりました。
昨晩は騎士団の宿舎を借りて寝たのですが、普段の習慣通りに夜明けと同時にパッチリ目が覚め、学都見物がてら走り込みをしていたのです。
「じゃあ、俺も手伝うよ!」
そして根が善良かつ単純なルグ少年は、パン屋の事情を知ると迷わず手伝いを申し出ました。
突然の助っ人の申し出に『若草亭』一同も最初は戸惑っていましたが、猫の手も借りたい状況なのはたしかでした。
それに今回の業務内容は単純です。
清潔な油紙に包まれたパンを、指定の住所まで走って届けるだけ。
代金は事前に貰っているので、お金を持ち逃げされるような心配はありません。
そんなワケで、念の為に店の親方にも確認し、彼らはルグに臨時の助っ人を頼むことにしたのです。
「それなら頼めるかな?」
「はい、任せてください!」
普段の配達はそこまでキツくもないのですが、今回に限っては体力勝負。
そして、ルグの足の速さと体力は並ではありません。
まだ土地勘がないので最初の数軒こそ迷いそうになりましたが、その遅れは足の速さですぐに取り戻し、道に慣れてくると更にぐんぐんと加速。
何度も店と配達先を往復し、どんどん配っていきました。
そうして配り始めてから、およそ一時間も経ったでしょうか。
他の見習いたちも必死に走り、どうにかこうにか遅れずに全部の配達先にパンを届けることができました。ルグ以外の面々は普段これほど走る習慣がないようで、息も絶え絶えといった有様です。
ともあれ、無事に配達を終えたルグはパン屋の親方にお礼を言われ、
「配達ご苦労さん。いや、本当にありがとう、助かったよ」
「いやいや、お安い御用です!」
「そうだ! よかったらお礼にウチのパンを持っていってくれ」
「おお、こんなに沢山っ! ありがとうございます!」
なりゆきで朝食を調達し、焼き立てのパンを頬張りながら荷物を置いてある宿舎へと戻りました。
◆◆◆
「えっと、さっきのが裏口だから……ここが正面口か。でっかいなぁ」
朝の運動と朝食を済ませたルグは騎士団の宿舎に預けてあった旅行鞄を回収し、その足で中央街にある冒険者ギルドへと向かいました。
彼の故郷の近くの街にもギルドはありましたが、人が多く集まる学都のギルドは建物の大きさからして違います。あまりに建物が大きいので、最初は職員用の裏口を正面口と勘違いしてしまったほどです。
ギルドは石造りの四階建てで、多くの職員や冒険者や依頼を出しに来た人々がひっきりなしに出入りしています。建物外の掲示板に貼り出されているのは賞金首の手配書でしょうか。
「あ、昨日の強盗」
よく見たら、手配書には昨日の事件の犯人一味の似顔絵が載っていました。
昨日の事情聴取で得た情報を元に、早くも手配書を作り上げたのでしょう。ギルド前の掲示板に貼り出されているということは、騎士団とギルドで捜査情報を共有しているのかもしれません。
一人頭金貨百二十枚という高額な懸賞金が懸かっていることもあり、昨日のグランニュート号事件はかなりの注目を集めているようです。腕自慢の冒険者や興味本位の野次馬などが掲示板の前に大勢たむろしていました。
「百二十枚か……惜しかったなー」
昨日、あと一歩というところまで強盗を追い詰めたこともあり、ルグもついついそんな皮算用を。
もっとも、昨日の時点では賞金は懸かっていなかったので、仮に捕まえていたとしてもそれだけの報奨金をもらえたかは怪しいですが。
「それにしても、人が多いなあ」
学都の中央街。
天を突くようにそびえ立つ聖杖の周辺は大規模な商店や施設が多く、大勢の人々で賑わっています。道路幅が広いので狭苦しくは感じませんが、ルグの視界の範囲内だけでも何百人いるか分からないほどです。
と、その時。
「ん、あの子は……?」
ギルドの建物前にいたルグは、とある少女の姿に気付いて声をかけました。