氷漬け
船内での勝負が、趨勢を決する十六巡目に至る少し前。
「一つ、思いついた」
魔道船の上空、鷲獅子の背の上で、ライムがとあるイカサマのアイデアを思いつきました。
「聞いて」
とはいえ、イカサマを見破られたら即負けというルールがある以上、安易に実行に移すわけにも参りません。その案は、同じくロノに乗っているレンリやウルやレイル、徴発した船で追いかける後続組にも別個体のウルとの思考共有を利用して伝え、実行前に検討することにしました。
発案したライムとしては、なかなか良いアイデアに思えましたし、確実に効果が見込める上に船室内にいるはずの犯人に気付かれる心配がまず無い点も秀逸です。
多少の問題点、魔道船の操船や周辺警戒を担当しているであろう操られている船員の存在が少々厄介ですが、そこは気配を消したライムが気絶させれば解決します。他の問題点を挙げるなら、効率的に行うにはレンリの協力が必要ということですが、それについては……、
『……あれ?』
本人の了承を得る前に事態が動き出してしまいました。
「ウル君、船内のほうで何かあったのかい?」
『ううん、お船の中じゃなくて』
だから、この少し後でレンリの身に降りかかった災難については全て事後承諾の形になります。
『え……ちょっ、待って!?』
「どうしたんだい?」
『下のお船に別の船が向かって来てるの!』
「それは後続の皆が来たんじゃないのかい? 思ったより早かっ……いや、まさか違うのか!?」
犯人の仕込みである小型帆船が、風魔法を利用した凄まじい速度で勝負の舞台である魔道船に向けて突進を仕掛けようとしていました。
濃密な夜霧のせいで上空から見下ろしても何も見えませんが、水面下で警戒網を敷いていた魚型のウル達のおかげで衝突前に発見できたのです。
この気付きこそ、まさに千載一遇の僥倖。
決して事前に予期して水中から警戒をしていたワケではありません。
聞いていた話によると何をしてくるか分からない相手だから、船や水晶河の地形も一応注意しておこうという程度の、ウルとしてもあくまで念の為の措置でしたが、今回はその用心が活きました。今宵の最大の功労者を挙げるとすれば彼女に違いありません。
「……なるほど」
敵の思惑に思い至ったライムが小さく呟きました。
船内で勝負をしているラックと、それを見守っているシモンには察することは出来ませんが、逆に言えば船外から状況を俯瞰すれば敵の仕掛けは単純明快。
任意のタイミングで船の衝突で船体を揺らし、ラックの出目を台無しにする。そして、船外の証拠を隠滅し不幸な事故であると強弁する。シンプルではありますが、それだけに対処は難しい大胆不敵なイカサマです。
『このままじゃ、ぶつかっちゃうの!』
そして、二隻の船が衝突するまでの猶予は最早ありません。
このままの速度ならもうあと十秒から十五秒。
ラックがサイを振るタイミングに合わせる為か、細かい加減速を繰り返していますが、このまま躊躇っていては衝突と敗北の未来は避けられないでしょう。
「ごめん」
だから、ライムはまだ検証の途中でレンリの了解も得ていませんが、独断で先程のアイデアを実行することにしました。一応、一言詫びているあたり申し訳なくは思っているようです。
「え、いや、待っ」
そうと決めたら即実行。
事態に頭が追いつかないレンリが言葉を発する間もありません。
襟首のあたりをガシっと掴まれたレンリと掴んだライム、そして……、
『ぐぇ』
咄嗟に手を伸ばしたレンリが反射的に握りしめてしまった人形サイズのウルは、まるでヒキガエルが潰れたような声を発し、全く視界の利かない霧の底に向けて猛烈なスピードで落ちていきました。
「これだと遅い」
「『――――ッ!?』」
それも自然落下のような生易しい速度ではありません。
ライムが無詠唱で発生させた、空気を固定した壁を次々と蹴ってどんどんと加速。
時間にすれば精々一秒か二秒くらいのことだったのでしょうが、不意の投身自殺モドキを強制されたレンリと、ついでに巻き込まれたウルには、落下の恐怖が永久に続くかのように感じられました。
余談ですが、例え下が深い水だとしても100m以上の高さから落ちた場合、水のクッション性には全く期待できません。なんの対策もなければ普通に墜落死します。特に今回のように加速でもついていようものなら、落下物にとっては鋼鉄の壁が迫ってくるのとなんら変わりません。
着水の直前に、ライムが作り出した分厚い風のクッションで怪我をしない程度にまで減速していなければ、グチャっという擬音が似合うミートソースめいた形状に変身していたでしょうが、間一髪そうはならなかったようです。
「あ、あれ……私、生きてる? げっ!?」
『こ、怖かったの……うぇ!?』
水に落ちた時はどうにか潰れずに済みました。
ですが、一難去ってまた一難。まだまだ安堵する暇はありません。
彼女達が落ちた場所は、勝負をしている魔道船のすぐ近く、手を伸ばせば届くくらいの位置でした。それだけならともかく、ちょうど二隻の船を結ぶ直線上で、必然、このままでは数秒後には二隻の船の間に挟まれてしまいます。下手をしなくても挽肉状の物体に成り果てかねない、なんというか普通に生きていれば一生縁が無いであろう、非常に珍しい種類のピンチが立て続けに迫ってきていました。
「大丈夫」
ですが、ライムはこんな状況でもいつも通りに平然としています。
彼女は、レンリにこのような指示を出しました。
「凍らせて」
「――――!?」
もう一瞬の猶予もありません。
レンリはただ自分が助かりたい一心でポケットからインクを取り出すと、無我夢中で温度低下の刻印を魔道船の水面近くの船体に描き、
「ありがとう」
次の瞬間、礼を伝えながら刻印に手を触れたライムが全力で魔力を注ぐと、河が凍りつきました。
霧の白さとは色合いの異なる、硬質な白さが周囲一帯を覆い尽くしたのです。
「船が……」
『と、止まってる……』
凍ったのは水面だけではありません。
どうやら周辺一帯が河底に至るまで完全に凍結したらしく、必然的に二隻の船も完全に停止していました。
いくら風を吹かせようとも、どれだけ速度が付いていようとも船体を支える水が凍らされ、ガッチリと固定化されてしまった以上はピクリとも動けません。こうなってしまっては、風の魔法を受けて加速する帆船だろうが最新式の外輪船だろうが同じ事です。
「これでよし」
「……あ、あの……すごく……さ、寒いんだけど……」
『我は寒いのは大丈夫だけど動けないの』
首から下が氷漬けになったレンリが寒さのあまりルカみたいな喋り方になっていたり、寒暖の感覚については痛覚と同じで自在にオンオフが切り替えられるものの、氷で全身固定されて動けないウルが不満を訴えていましたが、おおむね問題ありません。
少なくとも、同じく首から下が氷に埋まっているライムは問題なさそうにしています。別にエルフという種族が寒さに耐性を持つということはないのですが、鍛えているので大丈夫なのでしょう。
ちなみに、周囲の水面下にいた魚型のウルも人知れず巻き込まれていますし、すっかり凍りついた半径数十mの範囲内はもとより周辺の自然環境にも少なからずダメージを与えている気がしますが、それには目を瞑っておきましょう。大事の前の小事、毎度おなじみいわゆる止むを得ない犠牲というヤツです。
河を凍らせようというライムの案は、昨夕騎士団本部でレンリがタライに溜めた水を氷にして冷房として使おうとしていたことから着想を得てのアイデアです。
タライの水を凍らせるのとは規模が違いますが、そこは多大な魔力によるゴリ押しで無茶な発想を現実にしてしまいました。もっとも、考えた時点では暴走する船を止める気など毛頭なく、ラックに対して不利に働いていた波を抑えつつ、万が一に備えた逃走防止が目的でしたが。
ちなみにライム自身も物を凍らせるような魔法は使えますし、ならば別にレンリ達に新たなトラウマを植えつける必要はなかったようにも思えますが、そこには彼女達の魔法系統の種類の違いが関係しています。
ライムが使う種類の氷魔法は、杖や指の先から冷気のエネルギーを放出し、それに触れた空気や物体の温度を奪うモノ。対して、レンリが使う刻印魔法による冷却は、描かれた刻印を基点に広がる効果範囲内が均等に冷やされるのです。タライの水を凍らせた時も、刻印が描かれた部分からではなくタライの中身全体が同時に、均等に凍り付いていました。
その為、凍りついた範囲の割に氷の温度はそこまで低くはありません。ライム自身の魔法で無理矢理同じ成果を出そうとした場合、船の内外を問わず、大気中の霧も含めて絶対零度近くになる極寒地獄になっていた事でしょう。
刻印魔法は戦闘時の直接的な攻撃手段として使うにはあまり向いていない魔法系統なのですが、別種の魔法にはないメリットも色々あります。特に、魔剣に代表されるように、刻印を描いた本人でなくとも魔力を注げば術を発動できる点は非常に優れています。
効果範囲や冷却の度合いが、術者の意思や注がれる魔力量次第である程度変動するという性質も今回はプラスに働きました。範囲を船の喫水線下に限定したので、船内の温度もそこまで急激には変化しないはずです。まあ、船の外が凍っているのがバレたらバレたで、異常気象ということで誤魔化せば済む話です。相手も船の衝突を不幸な事故で押し通すつもりだったわけですし。
「……寒い……なんだか、眠くなってきたよ……あ、綺麗な川の向こうで爺様の従兄弟の娘の兄のお隣のご隠居さんの茶飲み友達が手を振ってる……」
『しっかりして、寝たら死んじゃうのよ!? あと、その人は完全に他人なの! こういう時はせめて身内が出てくるべきだと思うのよ!?』
まあ、今回は術を発動させたライムが慣れていなかったのと、細かい調整をする余裕がなかったせいで凍死者が出かけていましたが些細な問題です。
「よいしょ」
「……あれ、助かった? ……冷たっ!?」
『このまま氷漬けになるかと思ったの……』
当然の如く腕力で氷をバキバキと破壊して先に脱出したライムが、レンリとウルが埋まっている周囲の氷を拳で砕いて掘り起こし、すっかり凍りついた河面に引っ張り上げたので夏場に凍死者が出ることはなさそうです。
ウルはともかくレンリは水を吸った服や髪が少なからず凍り付いているので結構キツそうですが、そこは彼女も魔法使いですし自分の魔法でなんとかするでしょう。多分。
一応フォローのつもりなのか、ライムが火を熾したので死ぬことは無いはずです。きっと。
それはさておき、氷から抜け出たライムは火を熾してから、船の甲板にピョンと跳び乗り、
「全員片付いた」
『こ、殺してないのよね?』
姿を認識されるよりも早く、物音も立てずに、操られている人々をあっさり無力化したようです。彼らも事件の被害者だということはちゃんと覚えていたようで、怪我はさせていません。
二隻分の乗員を全員まとめて小型帆船の甲板に置いてあったマストロープでぐるぐる巻きに縛って拘束するところまで、特に盛り上がりもピンチもなく淡々と作業のようにコトを済ませていました。
この状況で改めて犯人が新たな命令を送ってきたら魔力の手応えから異変に気付くかもしれませんが、最早気付かれてもさほどの問題はありません。念の為、船から氷の上に降ろして霧の中に隠してしまえば彼らの身に何が起こったかも分からないでしょう。
「中の状況は?」
「ああ、そういえばそういう話だったね……」
『え、あ……えぇと、なんだか雰囲気が変わってる感じなのよ』
ともあれ、なんだかんだと船の外にいる面々は見事に自分達の役割を果たしました。
ライム以外の二人は途中からすっかり勝負の援護のことなど頭から飛んでいましたが、結果だけ見れば何一つ問題はありません。終わり良ければ全て良しと昔の人も言っています。
如何に最新の魔道船といえど、水を漕ぐための外輪がガッチリ凍りついていては逃走は不可能。まだ船内に他の仕込みが隠されていたとしても、それこそ無数のウルと武芸の達人であるシモン、ギャンブラーとしては超一流のラックの目を誤魔化せるとは考え難いものがあります。
生半可なイカサマならばむしろ大歓迎。
先程の船の仕掛けは、あくまで船外で全てが完結するからこそ、イカサマの気配を察されつつも見破られなかったのです。
『ふむふむ……これなら、もう後は任せても大丈夫みたいなの』
「そう、よかった」
大きな反則に対して、それ以上の反則をぶつけて無理矢理押し切るという力業。
以上が、この時船外で起こったことの全てでした。
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《以下、オマケ》
◆迷宮アカデミア イメージイラスト
レンリの髪色がイマイチしっくり来ないです。設定上は『磨いた鋼のような色合いのクセっ毛』ですが、もしかしたら今後設定を変えるかもしれません。
◆ライム成長後(ラフ画)
小さい(重要! テストに出ます)。
迷宮世界のエルフは三十歳くらいまでかけて成長し、その後千年以上に及ぶ人生の大半を全盛期の姿で過ごします。ライムはアカデミア作中時点で十九歳なので、エルフ基準だとまだ成長期なので望みはあるハズ。本人に自覚はないけど、実は日々の過酷な鍛錬が成長に悪影響を与えているとかいないとか。
服装は、彼女の師匠が趣味で作ったのを強引に押し付けられたモノ。タンスの中にはヒラヒラした可愛いやつが沢山眠っています。ライム本人は蹴り技が出しやすいという理由でスカートよりズボンを好んでいます。
長い髪は、その気になれば締め技に使うこともできるとかできないとか。
◆裸Yシャツと裸(下書き)
右向きと左向きの顔を練習したかっただけなのですが、気が付いたらこんな格好をしていました。後悔はしていない。肝心な部分は隠しているので多分セーフ。
レンリは沢山食べるせいか割と発育は良いほうです。
普段の振る舞いはアレですが、なんだかんだ育ちがいい上に性根がチキンなので、羞恥心や貞操観念についての感覚はかなり保守的だったり。




