そして、次の瞬間
モトレドの用意した必勝の策は非常に単純極まる、そして単純ゆえに対処のしようがない仕掛けでした。
勝負の舞台となる魔道船とは別に用意してあった小型帆船を、特定の条件を満たした任意のタイミングで突っ込ませるだけ。魔術師としては三流のモトレドには、思念だけで魔法を発動させる無詠唱のような高等技術は到底使えませんが、事前に術をかけた相手に指示を出すだけなら話は別です。
普通ならこれほどの霧の中で連携を取ってタイミングを合わせることは困難ですが、『本』による操作でもう一隻の乗組員を操れば済むことです。
もし今宵船を隠すのに必要な霧が出ていなかった場合に備え、そちらの船には大気を操作できる風魔法の使い手も乗っています。結果的には人工的に霧を用意する必要はありませんでしたが、それでも帆に風の魔法を当てることで本来の風向きを無視して猛烈なスピードで進ませることができるのです。
濃い霧の中とはいえ、あらかじめ決めておいた激突予定地点に真っ直ぐ突き進むだけであれば、視界が利かずとも問題はありません。
この策に必要な条件は互いが大きく賭け、そしてラック側が親番である時。
ラックが投げるタイミングに合わせて二隻の船が激突すれば、強い衝撃を受ければ転倒するようにあらかじめ細工してある卓が倒れるはずです。
サイコロが卓外に落ちたら負けというルールにより、その巡は無条件で勝利。
万が一、衝撃が足りずに卓が倒れなかったとしても、予測不能の大きな揺れによりロクな目は出ないはずです。
そして何より肝心なのは、コトが起こっているのが船外である以上、ラックやシモンがどれほど注意深かろうとも、事前に気付くことも対処することも不可能であるという点です。何かをしようとする気配までならばあるいは勘付くかもしれませんが、その「何か」の正体にまで気付けるはずがありません。
船の体格差によって小型帆船は即座に転覆。
乗組員は落水して全員溺死。
視界の悪い霧夜ゆえの不幸な事故であると主張すれば、イカサマとして立証される可能性は万が一にもありません。
死んでしまえば乗組員が精神操作を受けていたという痕跡は残りません。それについては学都を訪れるより以前に、行方不明になっても問題ない適当なゴロツキを使って検証してあります。
「今度は僕が親だったね。じゃ、勝ちにいこうか」
この大勝負においてもラックに一切の気負いはないようです。
これほどの好敵手との勝負を無粋な手段で台無しにすることに対し、モトレドがつい「惜しい」と思ってしまったのは仕方のないことなのでしょう。
(……悪いな、ニイさん)
数多の犯罪に手を染めながら寸毫の罪悪感すらも覚えなかった男が、心の中だけとはいえ、自然とラックに詫びていました。他人の不幸を自らの幸福と感じるような根っからの悪党といえども、かつての義父や今のラックのようなギャンブルで自らに勝る強者には敬意を抱くようです。
まるで真夏に雪が降るような珍事に当のモトレド本人も密かに驚いてはいましたが、だからといって今更止める気は毛頭ありません。
既に小型帆船の乗組員には命令を飛ばしてあります。
帆は風魔法によって千切れんばかりに膨らみ、船とは思えないほどのスピードに至っているはずです。ここ数日、深夜の河でリハーサルを繰り返した結果、衝突タイミングの微調整も完璧に仕上がっています。
あとはラックがサイコロを投げるに合わせて最高速に達した船をぶつけるだけ。
小型帆船の乗員たちには即座に河に身を投げさせ、そのまま溺死させれば勝利のシナリオは完成します。
(俺の、勝ちだ)
ラックは気負いなくサイコロを投じ、そして次の瞬間――――。
◆◆◆
そして、次の瞬間――――。
何も起こりませんでした。
船は揺れず、卓は倒れることなく、サイコロが卓外に零れ落ちることもなく。
何一つ、特別なことは起こらなかったのです。
「よしっ、いい感じだねぇ」
ラックの出した目は6、6、6の“18”。
“3”以外の全てに勝てる最高目です。
ラックが最高目を出してきたこと自体に驚きはありません。彼のダイスコントロールの技術があれば、その程度は当然のごとくやってくるでしょう。
「……馬鹿な!?」
「おやぁ、どうかしたのかい?」
だから、モトレドの動揺は必勝のイカサマが不発に終わったことによるものです。
傍目からは、相手が良い目を出してきたせいでプレッシャーがかかっているという風にも見えますが、その実情は全くの別物でした。
操っている船への指示が正常に飛ばなかったという線はありません。
操作中の他者に命令を与えたら、それが受諾された手応えのような魔力の感覚があります。操作中の相手が意識を失っていたり、急な病気や怪我で命令を実行できない状態になっていたとしたら、術者であるモトレドには把握できるはずなのです。
「手前ェら、今何をした……?」
「さぁね、何ってなんのことだい?」
「俺も貴様が何を言っているのか分からんな」
当然、聞いたところで答えが返ってくる道理はありません。
それに下手に深く追求すればイカサマの言いがかりを付けたとして、持ちチップの半分を罰則として支払わねばならなくなります。
そもそも、ラック達が何かしたとしたら、それはイカサマをしたのではなくイカサマを防いだという事。見破ったとしてもモトレドの勝ちにはなりません。
「話はそれだけかい? さあ、勝負を続けよう」
もはや勝利は揺るがない。
勝負続行を促すラックの声には、絶対的な自信が秘められていました。
次回、タネ明かし