十六巡目の大勝負
モトレド・スコルピオは己の弱点を自覚している。
物事に対し真剣に取り組もうとしても、つい「遊び」を求めてしまうのです。
今宵の勝負についても例外ではありません。
主たる目的である『回心の章』の入手を第一に考えるならば、ラックの代打ちを認めるべきではなかった。いいえ、それ以前に形式上のものだけとはいえ、ギャンブルでの勝負を持ちかけたのも好手とは言えないでしょう。
モトレドにとっての最悪の事態は、彼の知らないところで求めているもう一冊が破壊、あるいは封印されるなどして永久に手に入らなくなってしまうこと。
仮に騎士団側がそんな短慮をしたならば、報復としての無差別大量殺人を実行するつもりでした。ですが、例えコトを起こした後で逃げおおせたとしてもそれは単なる負け惜しみ、事実上の敗北に等しい状況です。
そして為政者の匙加減次第では、現在精神操作を受けている百数十人と報復によって出るであろう被害者を見捨ててでも、それ以外の人々を確実に守るという判断も充分にありえました。
学都の最高権力者である領主や、治安維持の責任者であるシモンには、小を殺して大を生かすような冷徹さはありませんが、不用意に時間をかけすぎたら首都の王国政府からそのような指示が来ないとも限りません。
勝負を提案したのは、相手にある程度の希望を与えることで自棄を起こさせにくくする為。
しかし、本当にそれだけが目的だったのでしょうか?
否。
そうではない。
それだけではありません。
本当に効率を求めるならば、例えば騎士団内部の人間の家族や恋人を人質にとって、保管されている本を盗み出させるとか、成功するかどうかはさておき、もっとやりようはあったはずです。
それを分かっていながら、わざわざ船や契約書を用意してまで非効率な勝負を持ちかけた理由は、あえて言葉にするなら「つまらないから」、あるいは「楽しみたいから」ということになるのでしょう。
それに加えて、好敵手たり得る相手と実力で勝負をして獲物を勝ち取る実感が欲しかったというのもあるでしょうか。
つまりは、自己満足を得るために手間隙をかけて非効率な方法を選択したのです。
そのような心の余分は、紛れもなく弱点と言うべきものでしょう。その悪癖を自覚していながらロクに治す気もないあたり筋金入りです。
ですが、それでも今回は人生を賭けた大勝負。
本当にあるのか、それとも妄想や別人格の類なのかについての疑問はさておき、『本の声』の再三の忠告もあって、いざという時に備えた必勝の策も用意してありました。
一度実行したならば、まず間違いなく勝利は確実。
そしてイカサマの証拠を押さえられる心配も皆無。
とはいえ、その必勝法に頼らねばならないというのは、言い換えるならば真っ当な実力勝負では勝てないと自ら認めるにも等しいことです。
だから、密かに仕掛けを発動させ勝利を確信した瞬間、モトレドの表情は勝利の笑みではなく苦虫を噛み潰したような苦々しいものでありました。
◆◆◆
「明日は晴れるかなぁ?」
勝負の最中、チップを並べた卓から顔を上げないままラックが呟くと、シモンは表情に出さぬよう注意しながら警戒を一段深めました。
「……うむ、ここ最近の風からするとしばらくは晴れが続きそうだな」
ラックの呟きはあらかじめ決めておいた合言葉。
「明日」「明後日」「来週」という時間を表す言葉と、「晴れ」「雨」「くもり」の天気を表す言葉の組み合わせで、相手に真意を悟らせずに意思疎通が出来るのです。
ちなみに「明日」と「晴れ」の組み合わせだと、「相手が何か仕掛ける気配あり。ただし、その正体は不明」という意味になります。
ここまでの勝負の流れは、十五巡を数えてほぼ互角。
チップの数はややラックが勝っています。
一番最初に水上の不利を受けながらも即座に適応し、ここまで盛り返した点を鑑みるに、ラックが優勢と言っても過言ではないでしょう。それを証明するかのように、シモンが見る敵の表情は非常に苦々しいものになっていました。
◆◆◆
「……チマチマ賭けるのにも飽きてきたな」
十六巡目の開始前。
これまで黙々と勝負をしていたモトレドが口を開きました。
「なあ、ニイさん。そろそろ大勝負といかないか?」
「奇遇だねぇ。僕もボチボチそう言おうと思ってたのさ」
ラックとしても、流れが来ている今のうちに大きく賭けるのは決して悪い判断とは言えません。
相手側に何かを仕掛けてくる気配があるとはいえ、イカサマを見破ることができればその場で勝利が確定するチャンスにもなり得ます。
平地での練習中であれば百発百中でサイの目を操れるラックでも、本番の真剣勝負という緊張感、そして船の揺れというランダム要素が加わるこの場所では、狙い通りに目が出せる割合は今のところ七割程度。モトレドもほぼ同じ程度の成功率です。
単純な技術面ではほぼ互角かほんの僅かにラックが上回っていますが、それだけでは決定的な勝因になるほどの差ではありません。
問題は、技術力よりも精神力。
零コンマ数ミリグラムの繊細な力加減や回転力をコントロールする技術は、どんな時であろうとも平静を維持できる大地のような精神に支えられています。
仮に、彼らのどちらかが大きく動揺するようなことがあれば、その極めて精緻な技を維持することは困難。少なくとも、一度調子が崩れたらこの勝負の間に立て直すのはまず無理です。
逆に言えば、この十六巡目の大勝負に勝ったなら、ただ単に大量のチップを手にするというだけでなく、精神的駆け引きにおいて圧倒的有利に立てるのは間違いありません。
「今度は僕が親だったね。じゃ、勝ちにいこうか」
十六巡目の先手、親番はラック。
彼は、これまでと変わらぬ気楽そうな調子でサイコロを放りました。
そして、その次の瞬間――――。




