ルールと波風
「ルールは簡単だ」
ランプの灯りだけが照らす薄暗い船室で、モトレドはゲームについての説明を始めました。
「三つのサイコロを交互に振って、合計数の多いほうが勝ち。細かいルールはいくつかあるが基本はそれだけだ。簡単だろ?」
「む、そのルールは……?」
覚えのあるルールにシモンが小さく反応します。
「なんだ、アンタも知ってたのか。ニイさんが教えたのかい?」
「ああ。チップが無かったからルールは簡易版だけどね」
そのゲームは、地下独房でラックに教えられたのと同じ内容でした。
どうやら、以前にラックがモトレドと勝負したのがこのルールだったようです。
もっとも、シモン達を相手にした時のルールは本式ではないようですが。
「そうだったのか。簡易版というのは?」
「交互にサイコロを振るのは一緒だけど、正式版だとチップの取り合いになる。ただ、ここからがちょっと違ってね」
先にサイコロを振る先手が親。
後にサイコロを振る後手が子。
これを交互に繰り返すのは簡易版と一緒ですが、両者が引き分けの場合は親側の勝利。
最大目は6が三つの“18”ですが、最弱の“3”のみ“18”に勝つことが出来る。
子の側は親の目を見た後でチップ一枚を支払いその巡目を投げずにパス出来る。
番手が回ってきてから一分間以内に三つのサイコロを投げ終えなかった場合は、その巡目は負けとなる。また、投げたサイコロが卓上から場外に落ちた場合も同様。
巡目終了時にチップの精算を行い、勝利した側が賭けたのと同数のチップを受け取る。
最初に同数のチップを持って、先に相手の全てのチップを奪うか、あらかじめ設定した制限時間終了時に一枚でも多くのチップを持っていた側の勝利となります。
「一応確認しとくけど、これで間違ってないよね? 後出しでルール違反だとか言われても困るからねぇ」
「……大丈夫、その通りで合ってるぜ」
ラックが一つ一つルールを述べて確認しました。
シモンも聞いたルールを持参した紙に書き出して検討しましたが、シンプルな内容だけにルールの隙間や盲点を突いた裏技や必勝法は無さそうです。
室内に潜んだウル経由で他の仲間も勝負内容を把握して、複数人で話し合いましたが、同意見のようです。ちなみに、この場にいないメンバーがルールの不備や敵のイカサマに気付いた時は、モトレドの死角となる背後で虫型のウルが決められた動きをする作戦になっています。万が一見られてもまず気付かれる心配はありませんし、船室の壁や床板の隙間からウルが逃げれば証拠は残りません。
また、イカサマの類は現行犯で正確に指摘できた場合は、その時点での形勢に関わらずイカサマをした側の敗北となります。逆に、イカサマを指摘してそれを証明できなかった場合は、指摘した側がその時点での持ちチップの半分(奇数の場合は一枚引いた数の半分)を支払う取り決めです。
「制限時間はどうしようかねぇ?」
「そうだな、じゃあ日の出までで。そこまで長引くとは思えないけどな。ここまで、何か異存はあるかい?」
「いや、問題ない」
「僕も大丈夫だと思うよ」
簡易版との最大の違いは引き分けが存在しない点でしょうか。
地下独房の時のように最大目の“18”を連発して引き分けを続けるという手は使えません。
また親の状態であまりに強い目を出しても、勝負を降りられてしまえば無駄になります。最弱の“3”が“18”に勝てるというのは、それを防ぐ為のルールなのでしょう。
「じゃあ、始める前にコレに署名を」
ルール確認が終わったところで、勝負の条件を絶対とする為、『不破の契約書』への署名を三人とも行いました。その条件は以下の通り。
シモン側が勝利した場合、モトレドは現在行使している術を解除し『転心の章』を引き渡す。そして、そのまま逮捕され法の裁きを受けること。モトレド側が勝利した場合、シモンとラックは精神操作を受け入れ、『回心の章』を引き渡すこと。
別の解釈や読み方が出来ないように、記載された契約内容は非常にシンプル。
署名と同時に契約書が赤黒い光を発し、三名の全身を覆いました。
不吉な光そのものはすぐに消えましたが、これで魂が縛られたのでしょう。契約を違えた時は死の呪いが降りかかるはずです。呪いを解除する為にはゲームに勝つしかありません。
◆◆◆
条件の確認を終え、勝負を始める間際。
いつの間にか船は停止していましたが、船体はゆっくりユラユラと揺れています。
このサイズの船が転覆するほどではありませんが、風が強くなって河面が波立ってきたようです。その揺れは船室にいてもはっきり感じ取れました。
「風が出てきたみたいだ。ちょっとマズイかもねぇ」
「そうなのか?」
珍しく愚痴っぽく言ったラックにシモンが尋ねました。
「サイコロの出目がどうなるかってのは、結局は単純な物理現象だからねぇ。同じ高さ、同じ角度、同じ力加減……ま、そういった条件を揃えて同じように投げれば毎回同じ目が出せるんだけど」
「……なるほど、波か」
「そういうこと」
サイコロで狙った目を出す技術は数十種類にも及びますが、その全ての技が常に使えるわけではありません。
細い針や糊などの小道具を使うもの。
第三者に見せかけた協力者の助けを必要とするもの。
あらかじめサイコロ自体におもりや空洞を仕込むもの。
そういった大掛かりな技は、証拠が残りやすいために玄人相手ならそうそう使えるものではありません。イカサマが暴かれた時点で即敗北というルールであれば尚更です。
ラックも服の各所に何種類か小道具を仕込んできていますが、今回の勝負ではまず使う機会はないと考えていました。使った道具の処分をウルに頼めることを考慮しても、そういうあからさまな手が通じるほど甘い相手ではありません。
そこで勝負のカギとなるのが、純粋な投げ方のテクニック。
力加減や角度、高さ、回転。それらの要因を毎回寸分の違いもなく揃えて投げることで、何回でも同じ目を出すことが可能です。
もちろん簡単ではありませんが、イカサマとして立証するのはまず不可能ですし、ラックは熟練の域に達した技術を有しています。これが地上の建物であれば、何十回何百回でも狙いを外すことはないでしょう。
しかし、水に浮く船は常に揺れています。
ほとんど波の影響を受けないサイズの、この水晶河で航行可能な限界サイズの中型船であろうと、それは同じこと。「ほとんど無い」のと「無い」の間には、果てしない差があるのです。
波によるランダムな揺れは、繊細極まるサイコロの技術に大きく影響します。
ただし、それは相手にとっても同じことのはずですが……、
「俺は漁師町の生まれでな、船の上ってのは落ち着くんだ」
モトレドは自信に満ちた様子で先程の雑談と同じことを呟きました。
しかし、その意味合いは大きく異なります。
恐らくはあらかじめ修練を積んで、船上の揺れ具合を込みで力加減を調整する技や波を読む感覚を磨いてきたのでしょう。
ならば、水上の不利をモトレドが受けることはありません。
風が吹き、河が荒れるほどに有利に働きます。今宵はそこまでの悪天候ではありませんが、まったく波がなかろうと、それでも五分。
卑怯卑劣を山と重ねた者が、ここへ来てまさかの正道。小手先のイカサマではなく、地道な修練で磨いた技を頼りにするならば付け入る隙はありません。
「さあ、勝負を始めようぜ」
公正ではあれど公平では無し。
勝負が始まる前から、ラック達の前には早くも暗雲が立ち込めていました。




