船上問答
シモンとラックが乗り込んだ魔道船は、そのまま静かに河港を離れました。
「へぇ、いい船だねぇ」
「だろ?」
この状況においても緊張感のないラックは、呑気に船についての感想を述べています。一方のモトレドも、無邪気にオモチャを自慢する子供のように振舞っていました。
「意外と揺れないんだねぇ、快適快適」
「海に出るともうちょっと揺れるけどな。でも、このまま外洋に出ても大丈夫なんだぜ」
「そりゃすごいなぁ」
水上にも関わらず揺れはほとんどなく、甲板にいても船体側面の外輪が回転する音は微かにしか聞こえません。持ち主はともかく、船自体は掛け値なしに良い物なのでしょう。
「……なるほどな。いくら街中を探しても見つからんはずだ」
「別に逃げ隠れするためにコイツを用意したワケじゃないぜ。俺は漁師町の出でな、船の上ってのはなんか落ち着くんだ」
シモンは小さく嘆息しつつ、連日の捜査でも欠片も居場所についての手がかりがなかったことに納得していました。
陸路や鉄道の乗客については逐一街への出入りをチェックしていましたが、このような深夜に密かに船で侵入されては捕捉するのはまず不可能です。この時期の夜は河上の霧が多く見通しが悪くなり操船の難度が増すことから、一般の漁船や商船もほとんど航行していません。灯りを消していれば船が目撃される心配はまずありません。
「ところで、なんで船なのか分かるか?」
純粋に逃げ隠れするのが目的ならば、この船の存在は最後の最後、目的の本を入手して逃げる瞬間まで秘匿する手もあったはずです。
それにも関わらず、あえて勝負の場として船上を選んだ理由はいくつかありました。
「包囲や追跡を防ぐ目的もあろうが……」
シモンは説明されずとも既に勘付いていました。
勝負の最中、捜査員に包囲されて逃げ道を塞がれるのを防ぐ為や、追跡を難しくする目的もありますが、一番の目的は別にあります。
「国境、か」
「正解。流石に察しがいい」
「国境? ねぇねぇ、仲間外れにされると寂しいから、僕にも分かるように教えてくれない?」
シモンとモトレドだけが少ない言葉数で納得し合っている横で、ラックは全然分かっていませんでした。基本、彼はギャンブルと逃げ足以外のことはダメダメなダメ野郎なのです。
「ああ、このデカい河はそのまま隣国との国境線になってるんだよ。だから」
「だから、我が国の騎士団は河の向こうまで追いかけることはできぬ。正式な越境手続きを踏む時間はない。かといって、無断で軍組織が国境線を越えれば、それは宣戦布告と取られかねん」
この水晶河はそのまま隣のA国との国境になっています。
一人二人程度ならともかく、人海戦術を取り得るような数の軍人を無断で他国に送り込んだら、重大な挑発行為や宣戦布告と受け取られかねないのです。
学都が属するG国とA国は長年良好な関係にありますし、即開戦となる可能性はほぼゼロとはいえ、あくまでも“ほぼ”ゼロである以上は迂闊な行動は取れません。それに用意周到なモトレドのことですから、対岸に目撃者役や事を荒立てる役の人員を用意していてもおかしくはないでしょう。
正式な外交手続きを踏んでから越境するか、A国の捜査機関に犯人追跡を依頼する手もありますが、どちらにせよ時間がかかりすぎます。対岸に渡り一度見失ってしまえば、モトレドを捕らえることは難しくなります。
「だから、なんとしてもこの船の上で全てを終わらせねばならんのだ」
「ふぅん、よく分からないけど大変だねぇ」
ラックは、あまり大変じゃなさそうに言いました。
◆◆◆
「こっちの船室に勝負の用意がある。ついて来な」
シモンとラックは、モトレドの後を付いて船室に移動しました。
中型船とはいえ水晶河で航行可能なほぼ限界サイズだけあって、船内は意外にも広々としています。案内された広間も、アルバトロス一家がちょっと前まで住んでいた共同住宅の部屋以上の面積がありますし、それ以外にも船員用の寝室や厨房、物資を保管・運搬する為の船倉まであるようです。
「……何もしないんだな」
と、ここまで案内したモトレドが背を向けたままポツリと呟きました。
「なんだと?」
「俺が隙を見せた瞬間にチョイと殴りつけて捕まえればいい。アンタなら造作もないだろう?」
確かに、シモンから見ればモトレドは戦いの素人。
背を向けて案内している間でなくとも、船に乗って姿を見せた時から、その気になればいつでも拘束することはできます。
「殺せないにしても、そうやって取り押さえてから拷問なりなんなりすれば、俺もうっかり術を解いちまうかもしれないぜ?」
操られている被害者が道連れになってしまうので殺すことはできませんが、問答無用で意識を奪ってしまえば、いくらでも対処の方法は……。
「馬鹿を言え。貴様が無策でいるはずがなかろう」
「あ、やっぱ分かるか?」
しかし、それもまた罠の一つ。
「失神しただけじゃ術は解けないからな。で、俺が何かしらの危害を受けた場合は、即座に人形共が街に火を放って、殺せるだけ殺してから自殺する……って命令をしておいたんだ」
「……悪趣味な奴め」
「それはそれで面白いと思ったんだけどな。くくっ、残念残念」
普通に考えればそういう話はもっと早くに、それこそ姿を現す前に手紙で伝えておくべきなのでしょう。だからこそ抑止力として機能し、身の安全が保証されるのですから。
あえて種明かしのタイミングをここまで遅らせたのは、シモン達を試しているつもりか、あるいは本当にそれはそれで構わないと思っていたのか。
あれほど本に執着していた以上、一時の愉悦と引き換えに何もかもを棒に振るようなことはしないはず……と考えるのは真っ当な感性を持っていればこそ。偏執狂的に積み上げた準備を「なんとなく」で躊躇いなく投げ捨てかねないのがギャンブラーという人種なのだと、今のシモンは知っています。
異なる価値観の破綻者を相手にする以上、常識で考えても仕方がありません。
少なくとも『不破の契約書』の効力で、勝負が付いた際に確実に契約が履行されるというだけでも御の字です。まあ、それがなければ、そもそもギャンブル勝負など受けていなかったでしょうが。
「それより早く勝負を始めるぞ」
「まあ、焦らなくてもいいだろうよ。それに聞きたいことが山ほどあるってツラしてるぜ?」
苛立ちを押し殺しながら、シモンは勝負の開始を促しましたが、モトレドはまだ始めるつもりはないのか、のらりくらりとかわします。
「聞いたところで、どうせはぐらかすつもりであろう。長話で岸から離れる時間を稼ぐつもりか?」
シモンや仲間達もいくつか手は打っているとはいえ、船が岸から離れれば追跡は難しくなりますし、勝負の援護に使える手も限られてきます。
「ま、そういう理由もなくはないけどな。こっちは時間を稼ぎたい。そっちは話を聞きたい。お互いに益があると思うがね。それに今更嘘を吐く理由もないだろうよ。どうせ、お前らは勝負が終われば俺の忠実な部下になってるワケだし?」
モトレドの真意はともかく、聞きたいことがあれば本当のことを話す、と言っています。無論、だからといって無条件で信じられるはずがありませんが、
「一つ、教えろ」
シモンとしては、どうしても確認しておかねばならない事があるのも確かです。
一つだけに質問を絞り、そして問いました。
「貴様に『歪心の書』の、欺瞞情報ではない本当の能力を教えたのは誰だ? 知る者は我が国や他国の重臣以上に限られるはずだ。誰にそれを聞いた?」
本来の使い道を知らなければ、『歪心の書』はほぼ無害な恋のおまじないレベルの魔道書でしかありません。偶然入手して効力を調べたとしても、ここまで執着するほどのモノではないはずなのです。ギャンブルで心を折って対象を支配するという裏技にしても、元は魔法の素人であったモトレドが独力で編み出したとは考えにくいものがあります。
誰かが、それも各国の中枢に近い人物が教えた可能性をシモンは深く危惧していました。
返答次第では、それこそ本当にどこかの国と戦争になりかねません。本の回収に成功したとしても、その情報を把握しない限りは安心できないのです。
「……コイツがな」
しかし、その問いに対する返答は、幸か不幸か予想から大きく外れたものでした。
モトレドはずっと手にしていた紫色の本の表紙を優しく撫ぜながら、
「この本が俺に教えてくれたのさ」
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