契約書
首都からの援軍が明朝には到着するという報告があった日の夕暮れ時。
事態は急速に動き出しました。
「なに、俺に?」
「はい。通常の郵便物に混ざって配達された物ですが……封筒の宛名をご覧下さい」
「『親愛なる騎士団長閣下へ、犯人より』か、ふざけた真似を」
事件の黒幕から、シモン宛てに郵便物が送られてきたのです。
封筒の中には紙が数枚。
ほとんどは通常の郵便にも使われるようなごく普通の白地の紙ですが、一枚だけは不吉な魔力を帯びた羊皮紙。羊皮紙のほうには、赤く染め抜かれた紙に黒いインクで短い文章が書かれていました。
「赤いのは呪具の類ですな」
「ああ、念の為素手で触れるなよ。残りは……招待状?」
念の為、赤紙には素手で触れぬよう用心し、先に白いほうの手紙に目を通すことにしました。
そこに書かれていたのは、シモンを勝負の場へと招待する旨。
場所と日時、勝負の条件。
そして、赤い羊皮紙についての詳細が書かれていました。
「勝負をして、こちらが勝てば発動中の術を解除、本を手放しておとなしく捕まる。奴が勝てば、こちらの持つ本を引き渡し、そして……」
その条件には、流石のシモンも眉をひそめました。
ですが、それも無理はありません。
「そういえば、俺を欲しいとか言っていたな。くそっ、気色の悪い!」
騎士団側が敗北した場合、シモンが自我を放棄し操作を受け入れること。先日の広場の事件で見せた実力に興味を引かれた故でしょう。条件の一つに、そう書かれていました。
無論、普通に考えたら、負けたからといって素直に従うはずがありません。
いくらシモンが義理固い頑固者であろうとも、内容が内容、相手が相手です。「はい、そうですか」と素直に言ったりはしないでしょう。こんな条件では相手にされなくて当然です。
そもそも犯人側が負けた時に約束を守る保証もないのに、馬鹿正直に勝負に乗るはずがありません。
……普通なら、たしかにその通り。
しかし、同封されていた赤い羊皮紙の存在が、事態を複雑にしていました。
「『不破の契約書』……、約束を破れなくなる呪具か。厄介だな」
赤い羊皮紙の正体は、『不破の契約書』という魔法道具。
契約不履行を許さない、約束を絶対に守らせる契約書でした。契約者の魂を強力な呪いによって縛り、契約内容を無理矢理履行させるという呪いの道具です。
これだけ見れば、使い道次第では非常に有用。
不正や詐欺対策などで、もっと広く使われていてもよさそうなものですが、そうなってはいません。非常に使いづらい、性質の悪い理由があるのです。
たとえば、この契約書を用いて借金の契約をした場合、期日までに返済が間に合わなければ、日付が変わった途端、契約者は呪いによって殺されます。どれほどの止むを得ない事情があろうが、あと一日あれば充分な金額が手に入ろうが、例外はありません。
約束を破れば死。
そして、一切の融通が利かない。
こんな物、悪徳金融業者だろうとも使いたがらないでしょう。
ついでに言えば、稀少な素材を使っているので契約書自体がかなり高価で、作れる魔道具師もそう多くはありません。
そもそも、現在はこんな物を扱う闇市場自体が存在しないはずですが、
「恐らく、スコルピオ由来の品であろう。今日まで動きがなかったのはコレが目的であったか」
かつてのスコルピオ一家には、この手の呪具を扱う部門もありました。
大半の商品は内部抗争の過程で軍資金として売却されるか、混乱の最中で紛失・散逸したと見られていますが、別部門とはいえ組織の上級幹部であったモトレドであれば、その手の道具を所有していても不思議はありません。
前回の事件から数日が開いたのは、どこかのアジトに保管してあった道具を取りに行く、あるいは操った誰かに取りに行かせるためだったのでしょう。
そして、確かにその甲斐はありました。
「……これは、好機だ」
双方共が契約書の呪いに縛られるなら、これまでずっと表舞台に出てこなかった黒幕を引きずり出し、一気に事件を解決する好機にもなり得ます。
大きなリスクを取ってでもリターンを求めたくなる。大博打に出たくなってもおかしくはない、と思わせるだけの効果はありました。
「団長、ですが……」
「ああ、どう考えても罠だな」
無論、こんな手を使う以上、相手は幾重にも罠を張っているのでしょう。
ですが、犯人自身の意思で『歪心の書』の術を解かせる方法は限られています。
術の解除についてはシモンも別口で手は打っているのですが、そちらの方法が指定の刻限に間に合うという保証はありません。
更に問題なのが、手紙の最後。
「『追伸。騎士団長閣下が指定の刻限に現れぬ場合、我が配下が本日深夜に学都全域に火を放ち、無差別に市民を殺傷することをお約束いたします。閣下におかれましては、くれぐれも賢明なご判断を』……だと」
勝負に応じなければ、無差別に放火と殺戮を行うという宣言。
ご丁寧に、この手紙の内容を公開したり別の理由を付けて市民を避難させようとしたら、その時点で予定を前倒しするという注釈まで付いています。
相手にとっては念の為の脅し文句程度の一文なのでしょうが、これにより選択の余地はなくなりました。現在は通常より遥かに街の巡回を強化していますが、それでも常時全ての場所を見張るのは不可能です。
この数日間でどれほどの手駒を増やせたかは不明。
しかし前回と違って最初から市民を標的に殺傷行動を取られたら、いくら敵方の人数が少なくとも犠牲者が出るのは避けられないでしょう。
時間の指定についても問題です。現在の時刻はすでに夕暮れ時で、指定されたのは僅か数時間後の午前零時。あまりにも時間がなさ過ぎました。せめて半日だけでも猶予があれば、また話は違ったのですが。
「……行くしかあるまい」
シモンの迷いは一瞬。
街を、民を守るため、罠と分かっている勝負に応じる覚悟を決めました。
◆半日あれば話は違ってくる、というのは鉄道を利用して迷宮都市の知人に連絡する事が出来るので。あちらの面々からはいつでも自由に連絡できますが、シモン側から連絡しようとすると最低そのくらいの時間がかかります。