秘密の素手喧嘩ラブパワー
続けてライムが繰り出したのは何の変哲もない左ジャブ。
拳闘を習い始めた初心者が一番最初に教わるであろう基本技が、ラメンティアの鼻を強く叩きました。
『はて?』
正直、心身へのダメージという点ではゼロに等しい効果しかありません。
潰れた鼻も血が噴き出すより早く完治しているくらいです。
実際、ラメンティアは顔面へ受けた打撃のことなど即座に忘れ、力いっぱいに大振りのストレートパンチで反撃を試みました。彼女の胸には未だ運命剣が刺さりっぱなしなのですが、攻撃動作に支障はなさそうです。
付け加えるなら、普通に殴るだけでは反則じみた『自由になる』力で拳がすり抜けてしまいますが、それについては先程すでに対策済み。『強弱』でライムの自由度を弱めることで、問題なく攻撃を当てられることは分かっています。
ラメンティアの身長180センチに対し、ライムの背丈は140センチ台前半程度。パンチを放てば自然と上から下へ打ち下ろす形になるわけで、直撃すれば小柄なエルフは地中深くにまでめり込むか、下手をしたらこの星を貫通して惑星の反対側から飛び出す羽目になりかねません。
『む、またか』
が、打ち下ろしのストレートに手応えはなし。
『自由になる』力は関係なく、単純に空振って狙いを外した形です。
代わりとばかりに、ライムによる左ハイキックがラメンティアの側頭部を叩いていました。やはりダメージとしては一瞬で完治する程度、頭部が半分潰れて頭蓋骨とその中身が激しくシェイクされたくらいの被害なら、やはり大した問題ではないといえばそうなのですが。
『これは、どういう手品だ?』
どうにも無視しがたい違和感がありました。
そもそもの話、ラメンティアの攻撃を見て避けることは不可能。
なにしろパンチもキックも、その全部が光速並みかそれ以上に速いのです。
光より速いのだから、当然の理屈として光の反射を頼りに映像情報の処理を行う視覚では対処不可能。打撃のテクニックという点では素人同然の大振りばかりですが、恵まれ過ぎたフィジカルをデタラメに振り回すだけで大抵の敵は問題なく倒せるでしょう。事実、つい先程のライム達も一度は手も足も出ずに敗北を喫したわけでして。
これが迷宮達相手なら、まだ理解できなくもありません。
アイが全人類プラスαにもたらした未知の超感覚によって、すでに迷宮達を知る者由来の信仰心がまだ彼女達をよく知らぬ者にまで伝播。信心を成長のためのエネルギーに変換できる幼神達が、この短い時間でさっきまでとは段違いの実力を手にしていることは、まだ手を合わせる前からラメンティアも敏感に感じ取っています。
しかし、いくら神レベルの実力があるとはいえ、生物学的には普通のエルフでしかないライムまで強くなっているのはどういう理屈か。そこのところがラメンティアにはどうも分かりませんでした。
『だが、まだ悪の脅威となるほどではないなぁ?』
とはいえ、パワーもスピードも現時点では圧倒的にラメンティアが勝っています。
急成長の理屈は不明なれど、十でも百でも次々攻撃を繰り出して、そのうち一つでも直撃すれば勝負あり。根本的な身体能力差は控えめに見ても軽く十倍以上。大の大人と幼児以上の開きがあるのです。
『くかかっ、引っ掛かったな!』
「ん?」
不慣れゆえかフェイントとしては稚拙なものでしたが、ラメンティアは自らが繰り出した拳を腕が伸び切る前に急停止。その代わりに天を真っ二つに裂くような前蹴りを放ちました。
先述の通り、見てからでは絶対に避けられない光の打撃。
ライムはその優れた戦闘勘によってか、蹴りの始動より早くから胸の前で両腕を十字に組んで防御の体勢を取っていましたが、これほどの速度の攻撃を前にしては防御の有無など些細な差。受けた両腕が折れるか、下手をすれば引き千切られて、ライムは一瞬にして大気圏を離脱して宇宙まで蹴り飛ばされてしまう……はず、だったのですが。
「ん……危ない」
確かにライムは大きく蹴り飛ばされました。
しかし、その距離はせいぜい十メートルかそこら。空中で器用に後ろ宙返りを決めて勢いを殺し、危なげなく両足で着地をしてみせました。蹴りを受けた部分を痛そうに手でさすってはいるものの、その両腕は折れても千切れてもおらず綺麗なものです。
「さ。続き」
『うむ、それは構わんが……ライムよ、そなたいったい何をした? 腕力や速度に関しては先程までとほとんど変わらんのに、どういうわけか攻めきれん』
神ならぬエルフでは、人々の応援を力にするにも限度があるでしょう。
実際、ライムの運動能力に関しては、さっきボロ負けした時とほとんど変わっていません。それにも関わらず不思議と攻め切ることができない。ライム側に決め手がない以上はラメンティアが負けることもないでしょうが、どうにも不気味なものがありました。
果たして、その強さの正体とは。
「見て」
『うん、なんだいきなり明後日の方向を指差しおって? シモンか、彼奴がどうかしたのか?』
「うん。強くなった理由」
なんとも気前の良いことに、ライムは自らの急成長の理由を説明してくれるようです。
その理由として指差したのがシモン。
とはいえ、これだけではライムとシモン以外にはまるで意味が分かりません。
ラメンティアだけでなく、巻き添えを喰わないよう離れた位置で見学しているレンリや他の仲間達にも理由が分からないようで、一様に首を傾げています。
「ん……分からない?」
そんなライムとしては、皆が分からないことが不思議な様子。
彼女としては、これ以上ないほど分かりやすく伝えたつもりなのでしょう。
なので、親切心に満ち溢れたライムは更に理解しやすいようにと、より詳細に説明してくれました。
「愛。愛の力」
『なるほど、愛かー……って、いやいやいや。ライムよ、流石にそれはないだろう』
「むぅ、本当。ラブパワー」
『嘘を吐いている風ではなさそうだが。いや、だが流石に……なぁ?』
ライム本人はふざけているわけでもなく本気で主張しているようですが、愛の力で素手喧嘩が強くなるなどという怪奇現象の実在性については、ラメンティアだけでなく仲間の皆も半信半疑。そんな反応を見たライムは、不服そうに頬をぷくっと膨らませておりましたが……。
「あー……その、横から失敬。俺から補足しても構わんだろうか?」
どうやら、そのあたりの秘密についてはシモンが分かりやすく説明してくれそうです。




