命を懸ける
かつて、数カ国にまたがって勢力を広げ、大陸中央の裏社会を牛耳っていた組織がありました。
スコルピオ一家。
アルバトロス一家のような零細組織とは武力も財力も比較にすらなりません。
それこそ全盛期においては国家にすら対抗できるほどの隆盛を誇っていました。
絶対的な支配者として君臨していた親分ドン・スコルピオ。そして彼の下で七つの部門を取り仕切る七人の部門長。その支配体制は磐石にして強固。
年老いたドン・スコルピオが病に倒れさえしなければ、そしていくつかのアクシデントがなければ、そのまま更に勢力を伸ばし、やがては大陸全土の裏側を手中に納めていたかもしれません。
ですが、そうはなりませんでした。
ドン亡き後に残された部門長たちのほとんどが、組織の跡目を争って互いに敵対するようになった……よくある話です。表でも裏でも、トップの威光が強すぎたワンマン組織の末路など、大方そのようなものでしょう。
その後はお決まりの裏切り、謀略、暗殺その他諸々のフルコース。
たちまち組織は分裂して喰い合いを始め、あれだけの規模を誇った組織があっという間に力を失っていったのです。
最後のトドメが、当時召喚され活動していた勇者の存在。
当の勇者からすれば、そのような事情は知りませんでしたし、有象無象の非合法組織などは本命の魔王を探すついでに過ぎなかったのですが、細かく分裂を繰り返し各地で抗争に明け暮れていた連中にとっては絶望的なトドメ。
逮捕された者達は各国の法に従って刑に処されることとなりました。
特に危険度が高いと判断された暗殺と薬物関連部門の主要な人員は即座に極刑に処され、他部門の高級幹部も数百年に及ぶ懲役刑が言い渡されました。長命種であるドワーフの幹部が一人いましたが、それ以外にとっては事実上の終身刑。こうしてめでたく幹部級のメンバーは、二度と娑婆には出て来れなくなったのです。
ただ一人、先代のドンが死ぬのとほぼ同時に姿を晦まし、最初から跡目争いに加わろうとしなかった賭博部門長のモトレドを除いては。
モトレドはスコルピオの姓を名乗ってはいますが、先代の実子ではありません。
他の部門長もスコルピオの姓を持ちますが、誰一人として実の血縁関係にはありません。彼らは皆、ドンに何かしらの才覚を見出され義理の親子として契りを結んだ仲でした。
北国の小さな漁師町で、ごく普通の漁民の五男として生まれたモトレドは、十二の頃に家を飛び出し、以来流れの博徒として生きていました。
彼の実家は子供にオモチャなど買う金のない貧しい家でしたが、漁師達がサイコロやカードで遊ぶのに交じって子供が賭け事をするのは漁村では日常茶飯事。
そこで鍛えた駆け引きの読みと、本物の賭場に出入りするようになってから命懸けで覚えた技術を用い、十五の頃には負け知らずの賭博師としてそれなりに知られるようになっていました。
転機が訪れたのは十八の時。
スコルピオ一家の仕切る賭場で大勝を続け、当時の賭博部門長すら倒してみせた彼の前に、まだ健在だったドンが姿を見せ、そして一対一の勝負をすることになったのです。
結果はモトレドの完敗。
貯め込んでいた全財産があっという間に泡と消え、それまで築き上げた自信は一夜にして粉微塵にされました。
そして、ドンの気紛れがなければ、その場で命すら失っていたかもしれません。
闇社会の賭場でそれほどの大敗をし、そして負け分を支払うことが出来なければ、見せしめとして殺されても不思議はありません。現に、その場で前の賭博部門長は、敗北のケジメとして私刑に遭い殺されていました。
払いきれない分は命で贖うのが、彼らの世界のルールなのです。
当時のモトレドも、そう理解しているつもりでした。
いつでも死ぬ覚悟は出来ている。
ですが、普段からそんな風に周囲に嘯き、また彼自身拠り所としていた覚悟など、いざとなれば吹けば飛ぶような脆いものでしかありませんでした。死の恐怖に身体が震え、歯の根がカチカチと鳴り、全身の血が凍りついたかのような寒気がありました。
死にたくない。
死ぬのが怖い。
その為ならば、他の全てを差し出したってかまわない。
実際、ドンの許しがなければ、みっともなく小便を漏らして泣き喚き、相手の靴でも舐めながら命乞いをしていたに違いありません。まあ、そうなる前に、ドン直々に新たな賭博部門長としてスカウトされたのですが。
いずれにせよ、その時の体験が彼の人生に深い影響を与えたことは間違いありません。
組織の部門長として、無敵のギャンブラーとして君臨した頃も。
あくまでドン個人に忠誠を誓っていた彼が、先代の死を契機に組織を離れた後も。
内心ずっと嫌悪していた義兄弟達の情報を、匿名で官憲に売り飛ばし捕らえさせた時も。
そして、『本』を手に入れて以降。
各地を転々として野に潜みながら、か細い糸を手繰るようにもう一冊の情報を集め、今回の事件を起こすに至るまでも。
◆◆◆
ギャンブルで負かした相手を操作する能力。
より正確には、その人物の支払い能力を超過した負債を負わせることによって、精神を著しく不安定にさせ、その上で負け分の対価として支配を受け入れさせるというのが、一連の事件の首謀者、モトレド・スコルピオが用いた手法でした。
決して楽に習得した能力ではありません。
そもそも魔法使いの家系の生まれでもなく、それまで修行を積んだ経験もなく、突然変異的な才能を持ってもいない彼に、魔法の習得など簡単に出来るものではなかったのです。
部門長時代に貯め込んだ私財を惜しみなく使って、高名な賢者に素性を隠して近付き教えを請い、貴重な資料を買い漁り、夜も寝ずに地道な努力を続け、ようやく『転心の章』を触媒とした術の発動に成功したのが約二年前。
それ以外の魔法は初歩的な術がいくつか使える程度で、魔法使いとしての実力を客観的に評価するならば、いいところ下の中といったところでしょう。総合的には、そこらの見習いの子供と同等かそれ以下。魔力量だって一般人とさして変わりません。
ですが、才能の有無など些細なこと。
ドンに負けた時、忠誠を示す為に、そして自身の弱さと決別する証として、自らの意思で片目を抉ったことに比べれば、その程度はなんということもありません。
真の意味で「命を懸ける」という言葉の重さを知っていれば、出来ぬことなど何一つないと断ずる前向きな狂信。
いかなる困難にも挫けず、決して諦めず、ひたむきに努力を続ける。
そして、その積み重ねの全てを以て悪を為す。
今現在、学都を脅かしている男は、そのような類稀なる悪人でありました。
忙しくていつもより更新が遅くなってしまいました。
その、ドラクエが忙しくてですね……。