心の防壁
「ごちそうさまでした」
熊と野菜たっぷりのハードな朝食を終える頃には、一同は割とまったりムードに染まっていました。保護なり勾留なりされている組や自主的に見張りの手伝いをしているライムはさておき、シモンはすぐにでも働き出しそうなものですが、
「団長は昼まで休んでいてください。それまでは私共で回しておきますので」
食事中に訪ねてきた副団長氏がそう言ったことで、もう数時間は休まないといけなくなりました。上が働き詰めだと下が休みにくくなる云々という理屈を持ち出されては、シモンとしても反対しづらかったようです。
それに、昨日の事件のことは遣いを出して首都の国王に連絡しています。
数日のうちには援軍が来るはずで、そうなれば学都の兵や騎士もきちんと休めるようになるでしょう。
無論、ここから更に数日も事件を長引かせる気はありませんが。
昨日のうちにレンリが持っていた『回心の章』は既に回収し、魔法的な封印を施した上で厳重に保管しています。
他所からの援軍が来たら現在以上に奪取の成功率は下がりますし、本自体も首都の王城にある禁書庫に封印されてしまうでしょう。恐らくその前に犯人のほうから仕掛けてくる、というのが現在の騎士団側の推測でした。
それはさておき。
「それで結局、昨日のアレはなんだったんです?」
レンリの疑問ももっともでしょう。
声には出さずとも、事件に巻き込まれた他の面々も同じく疑問に思っていました。
昨日の広場でのやり取りから、何かしらの手段で操られた人々が何故かレンリの持っていた本を狙って(正確には本を持っている可能性があったウルとルカも含めた三人を狙って)襲い掛かってきたのだと漠然とは理解していても、その本がなんなのかとか、詳しい内情までは知らされていません。
捜査上の機密に関わる内容も少なからず含まれますし、質問をしたレンリ自身も答えが返ってきたら儲けモノ程度の気持ちだったのですが、
「……ふむ。話さねばなるまいな」
シモンは、自身の責任の下、巻き込まれた彼らに事件について話すことを決めました。
「知らねばかえって危険に晒すことになりそうだしな」
一度狙われたレンリたちが再度狙われる可能性はそう高くありませんし、そもそもこうして騎士団本部内で保護しています。
ですが、極めて狡猾な黒幕相手に絶対に安全などということはありません。
もし再び危険に巻き込まれたならば、何も分からず襲われるより、どうして自分達が狙われているのかを知っていたほうが、多少なりとも安心できますし、行動の指針も定めやすくなります。
「こらから話すことは、くれぐれも他言無用に願う」
そう前置きした上で、シモンは昨日の事件の裏にあった事情。そして二冊一組の魔道書である『歪心の書』についての説明を始めました。
◆◆◆
事件の流れについて話し終えると、
「…………許せない」
「ひ……っ」
「殺気!? 殺気抑えて!」
事件自体とは無関係だったライムが激怒していました。
いつもの無表情は変わりませんし、怒声を上げたりするようなこともありませんが、全身から激しく放射される殺気が皆を怯えさせています。
この室内からでは分かりませんが、裏庭で熊肉の塊を食べていたロノがブルブル震えて怯え、周囲一帯の鳥や虫やその他諸々の動物達も一斉に恐慌状態になっていました。野生の本能が危険を察知したのでしょう。
ライムがこれほど怒っているのは、何も無辜の市民が巻き込まれたとか、大勢の怪我人が出たとかそういう理由だけではありません。それらも怒りの一因ではありますが、決定的な理由はシモンの覚悟や街を想う気持ちを踏みにじられたから。彼がどれほどこの街を大事に想い、そのために普段からどれだけ頑張っているかを誰よりも知っていたからこその怒りでした。
「ライムよ、一応言っておくが犯人を見つけても殺すでないぞ」
「……どうして?」
静かにキレているライムは、このままだったら本当に犯人を仕留めに行っていたかもしれません。騎士団総出で探して見つからない相手を彼女が探し出せる可能性は低いですが、それでも万が一ということはあります。もし相手が操った人員に護衛をさせているとしても、ライムなら相手が存在を認識する前に首をへし折る程度は造作もないでしょう。
本の性質、術者が死ぬとその時操られている者が心を破壊される、という話も聞いてはいましたが、いざ犯人を目の前にしたらどこまで理性が保つか分かりません。
「それに、だ」
「それに?」
「俺は、お前には手を汚して欲しくない」
「……そう」
シモンにそう言われるとライムは殺気を引っ込めました。
シモンに気遣われ大切にされているのだと言葉で伝えられ、若干気分が上向いたようです。彼女の望む方向性とはズレがあるのですが、それはさておき。
『あの本、そんなに危なかったのね』
「燃やし、ちゃう……のは……ダメ?」
この場の一同は本の危険性をやっと正しく認識しました。
ちなみに、確保しているほうの本を燃やしたり破壊するのは却下。
敵をおびき寄せる手段がなくなる上に、自暴自棄になった相手が何をするか分かりません。現在は本の危険性を正しく認識している騎士団側が所持しており、「いざとなれば破壊できる」からこそ相手の破滅的な選択に対する抑止力として機能するのです。
もちろん、いざとなれば最悪の事態を避けるべく、犠牲を承知で、破壊も視野に含めて判断しなければなりませんが。
しかし、『歪心の書』に対して別の視点から疑問を呈する者がいました。
「いや、それはおかしい。私もあの本には目を通したけど、あの術式であんな風に人を操るなんて無理なんだ」
昨日、まだ事件に巻き込まれる前に、レンリは『回心の章』を検分しています。
たしかに珍しい術式や呪文が記載されていましたし、魔道具としての性能も禁書に相応しく高度なものでしたが。
「どんな命令でも強制できるようにするのは無理。出来るのは、それこそ精々無条件で多少の好意を持たせるくらいじゃないかな? 恋のおまじないにしては強力だけど、それだけだ」
レンリの見立てでは、精々その程度の魔法。
だからこそ、実際に本に目を通した上でなお、一般に公開されている禁書目録の欺瞞情報にも疑いを持たなかったのです。
「ヒトには誰でも自我とか倫理観とかがあるだろう?」
『え、倫理観? お姉さんにもあるの?』
「あるよ!? すごくあるよ! こほんっ……まあそれは置いておいて、心を操ろうとした場合、そうした要素が操作を阻む壁になるんだ」
よっぽど根っからの悪人でもない限り、大抵のヒトは悪事に対して抵抗を持つものです。
物を壊す、盗む、他者を傷付ける。
日常的にそういうことを行っている者ですら、多少なりとも良心の呵責は感じます。
「こういう理由があって仕方なく」とか「あいつが悪いんだ」とか、犯人が捕まった後で言い訳を口にするのは単に罪を逃れたいというだけでなく、自身の心に行動の理由を納得させ自己矛盾を解消したいという無意識の働きがあるのです。
その心の働きが精神魔法に対しても防御壁として働き、望まぬ命令に対する安全装置として機能する、はずでした。
「一応、別種の魔法を重ねがけして抵抗を弱めるとか、時間をかけて洗脳してから操るとか、あとは単純にものすごく強い魔力の力業で支配力を高めるとか抜け道はありそうだけど、あれだけの人数相手だとどれも現実的じゃない」
一人二人ならともかく、百人近くにそのような手段を取るのは難しいでしょう。
「精神系は私も専門外だけど、そう外してはいないと思うよ」
というのが、レンリの見立てでした。
本来は二冊一組の魔道書なので、二冊が揃っていれば相乗効果で支配力を格段に高められる可能性はありますが、一冊だけでは支配力もそこまでではないはず。少なくとも、大人数にどんな命令でも聞かせられるようにするのはまず不可能。
……例外があるとすれば。
「ふむ……だが、本人達が望んでいたとしたらどうだ?」
「いや、それなら確かに犯罪でもなんでもやるでしょうけど……」
『シモンさん、どういうことなの?』
操られていた人々が、自ら望んで犯人に協力し、犯罪行為を含む命令を受けていた可能性。もちろん、普通に考えればそんな心理状態に陥ることはあり得ません。
ですが、もし仮にそういう心理が僅かなりともあれば、元々の自我や倫理観が防壁としての機能を失うか、そうでなくとも弱化するかもしれません。少なくとも、大幅に操りやすくなるのは確実です。
「あ、僕それ分かっちゃったかも。団長さんももう分かってるよね」
「ああ、現時点ではあくまで推測だがな」
「「「え!?」」」
シモンはともかく、話の間もずっとサイコロを転がして遊んでいたラックが魔法のタネに気付いたことに一同は驚きを隠せません。うち数名は、己がラックよりバカかもしれないという可能性にショックを受けていました。
「それってさ、多分こういう事なんじゃないかなぁ?」




