ねむれねむれ
まだ相手がどこの誰かも分からないのに、すっかり勝った気でいる迷宮一同。
万が一に備えて、わざわざ助っ人に街の防衛を依頼したシモンの用心深さとは正反対です。いくら強くなったとはいえ、まだまだ実年齢一桁ゆえの人生経験の不足による影響があるのかもしれません。
『そういえば、ちょっと気になったので確認なのですけど』
そんな風に呑気に構えていた姉妹の四女モモが、長い髪の毛でジュースのグラスを器用に傾けながら女神にちょっとした疑問を投げかけました。
『レンリさんの考えによると、女神様がメンタルやばやばになったのは長年ロクに休めてなかった影響が少なからずありそうだってことでしたけど、その気になれば眠ること自体はできるのですよね?』
なにしろ女神には自前の肉体がないわけです。そんな薄らぼんやりとした幽霊みたいな存在が、果たして睡眠という機能を有しているのか否か。
『ほら、剣のレンリさんが刺さった直後くらいに女神様が転んで頭を打って気絶してたじゃないですか? この際、外部からの衝撃による気絶と自発的な休息としての睡眠との区別は置いておくとして、少なくとも神子さんに憑依している時なら意識を落とすことはできるんじゃないかと』
『ええ、できますよ。前に旅行で地球にお邪魔した時にも、宿の部屋では憑依状態のまま寝てましたし。魔王さん達がいたので十中八九大丈夫だろうという確信はありましたが、こっちの世界の様子が気になって熟睡できたとは言い難かったですけど』
『なるほど、なるほど。今にして思えば、あの時の旅行に女神様が同行したのは、自分がいない状態でも世界が問題なく回りそうかどうかのテストも兼ねてたのですねぇ』
『ええ、まあ、その……はい。あとはですね、なんと申しますか、死ぬ前の最期の思い出作り的な意味合いもあったりしまして』
『モモはどう返せばいいんですかね、コレ? まったく、楽しい旅行の思い出に水を差すような真似をしないで欲しいのです』
『うぅ、返す言葉もございません……』
女神としては答え辛い内容ですが、今となっては隠す意味もありません。それに、どこかの一家が不審に思わない自然な形で自分不在の状況を作るには、あの時の旅行を利用するのが好都合だったのでしょう。
『ううん、申し訳ありません。我の力で女神様をもっと明るい気分にして差し上げられたら良かったのですけれど』
『いえいえ、ちゃんとネムの力は効いていますよ。自分で言うのもなんですが、わたくしにしては思考がマイナス方向に寄りにくくなってる気がしますし。いえ、本当にわたくしが言うのもなんですが』
『くすくす、少しでもお役に立てたようで何よりですわ』
一口サイズのチョコレート菓子を摘まみながらも、ネムは女神に対して『復元』の能力を使い続けていたようです。長年に渡って密かに準備してきた計画が完全に頓挫したにも関わらず、こうして大して落ち込まずにのんびりご飯を食べていられるのには、先程解決を請け負ったレンリの存在だけでなくネムの尽力も幾らか影響していたのでしょう。
とはいえ、ただでさえ神同士では能力の効きが悪くなる上に、ワンオペ百万年で積もり積もった多大なるストレスを完全に解消するのは今のネムでも難しいようです。もし彼女だけで解決できていたらこの後のラスボス戦すら丸々イベントスキップできていたのでしょうが、無理なものは仕方ない。ちょっとでも精神状態がマシになっただけでも御の字です。
『追加。質問。やあやあ、済んだ話題を掘り返すようでなんだけど、さっきの睡眠トークでちょっと気になった部分があったからちょっといいかな?』
『はいはい、お次はヨミですね。気になった部分とはどこでしょう?』
『条件。確認。我は普段から幽霊と付き合い慣れてるから知ってるんだけど、肉体を持たない彼らでも眠ろうと思えば普通に眠れるらしいんだよね。ほら、女神様も言ってみれば死んだ神が幽霊になったみたいなものだし、別に人間に憑依しなくても眠れるのかなって』
ヨミの興味は先程モモが聞き残した部分にあるようです。
分厚いステーキをナイフで切り分けながら、そんな問いを口にしました。
人間が死後に成った幽霊と肉体を再生不可能なまでに破壊された神とを、そのまま単純にイコールで結べるかという疑問もありますし、普通の幽霊が眠れるからといって神子なしの女神が眠れるかはヨミにも不明。ならば本人ならぬ本神に直接聞いてしまうのが手っ取り早いということでしょう。
まだまだ幼い迷宮達にはイマイチ実感としてピンと来ないものの、女神の依代となり得る相性の良い人間が生まれるのは確率的に数百年に一度あるかどうか。
もし肉体がなければ睡眠を取れないというのであれば、前の神子が亡くなってから次の神子が誕生するまでのウン百年間をずっと不眠のまま過ごさねばなりません。考えただけでも如何にもメンタル面の健康に悪そうです。
『ええ、その通り。乗り移れる肉体がないと眠れないんですよ。それに依代がいたらいたで、眠ってる間に変なトラブルが起きないかが不安で結局は全然寝れないんですが……』
『憐憫。納得。なるほど、それは確かに心を病んで極端な思考に走りそうだ。肉体面の休息が不要な我々姉妹でも、精神面の休息のためや一種の娯楽としての睡眠は好んで取っているものね。それができなくなったらと思うとゾっとするよ』
いつでも自由に眠れる肉体と、寝ている間のことが気にならない胆力があれば、女神のメンタル問題は今よりずっとマシだったのかもしれません。
そうなっていればいたで、不眠不休での監視体制が崩れたせいで、どこかのタイミングでポロっと人類が滅亡していた可能性もありますが。
『だぅ? まま、ねんね?』
『あら? アイがわたくしの頭をナデナデと……もしかして、今の話の流れでわたくしを寝かしつけてくれようとしてくれてるんでしょうか?』
『あい! まま、いぃこ、いぃこ』
肉料理の付け合わせのマッシュポテトをモリモリ食べていたアイですが、ここまでの姉達の話を聞いて赤ん坊なりに何か思うところがあったのかもしれません。
握り締めていたスプーンを手放して、ソファの背に掴まり立ちをしながら、もう片方の手で女神の頭をナデナデとさすっています。多分、自分がルカに寝かしつけてもらう時の感じを思い出してやってみたのでしょう。
『ここは素直に甘えておくべきなんでしょうかねぇ? じゃあ、ちょっとだけ……』
長年染み付いた心配性は、そう簡単にどうにかなるものではありません。
この後に起こるであろう戦いとやらで、本当に女神が救われるかも不明。単にレンリが大ボラを吹いていただけという可能性も、過去の言動を振り返る限りでは困ったことに否定できる材料はないのです。
ですが、まあ、それはそれ。
ネムとアイのおかげもあって常に張り続けていた気を少しだけ緩めることができた女神は、ほんの数十分ほどの短い眠りへと落ちていきました。