戦に備えよ
ラスボスがどこの誰かは未だにさっぱり分からないけど、どうやらこの後でラストバトルが始まるらしい。そんな妙にふんわりした情報しかない現状ではありますが、この後で少なからず運動することになるのなら確かに着替えないわけにもいきません。
時刻はそろそろ日の入り近く。
何も知らずに日常生活を送っていた学都の住人達は、そろそろ仕事や学業を終えて帰宅するか、あるいはこれからが本番とばかりに酒場にでも繰り出し始める頃合いでしょう。
「彼らが羨ましい……」
「大酒をカッ喰らって寝たら、最初から全部夢だったことにならんものか……」
そんな平和な街の営みを横目に馬車なり徒歩なりで宿に急ぐお偉いさん達の本音は、まあ大体こんなところでしょうか。一部、魔界からの来賓やドワーフ皇帝の随行員として来ていた賢者などは、これから始まりそうな大騒ぎを楽しみにしていましたが、そんな血の気の多い連中はごく一部。
腕に覚えのない面々はこれから自分達が何をさせられる羽目になるのかと、戦々恐々としつつも指示を出して国許から連れてきた護衛に装備を整えさせたり、冒険者ギルドに駆け込んで臨時のボディガードを募ったりしていました。
「ふふふ、別にドレスも嫌いじゃないんだけど、やっぱり普段の格好だと気楽でいいね。さて、腹回りがラクになったことだし時間もあるし、会場まで戻りがてらに何軒か食べ物屋さんをハシゴしていこうか?」
各国のVIPを振り回しつつも、レンリの様子は相変わらず。
居候先のマールス邸に引き返して着慣れたジャケットにズボンの格好へと着替え、更には迷宮探索で使っていた大きめのカバンに怪しげな武器やら本やら道具やらをアレコレ詰め込んでおりました。
「まっ、準備はこんなものでいいかな。じゃあ、ルー君。重すぎて私じゃ持てないから代わりに持ってくれたまえ」
「はいはい、そう言うと思ったよ。持つのはいいけど、買い食いに夢中になって遅刻だけはしないようにな。さっきの流れで遅刻したら多分泣くぞ、あの神様?」
「はっはっは、なるべく時間を忘れないよう気を付けることを秘書が善処することを前向きに検討しておくよ!」
「誰だよ、秘書? ……まさか、俺じゃないだろな?」
もちろん、ルグやルカもそれぞれ帰宅して着替え済み。
さっきの休憩開始から数えて、現時点で早くも三十分以上は経っているでしょうか。
ただ単に式典会場の界港に戻るだけなら十五分もあれば余裕ですが、道々でいつもの調子であちこちのレストランを品切れ閉店に追い込んだり屋台を早じまいさせたりしていたら、約束の時間に間に合わないかもしれません。
そうなったらルグが言った通りに女神がメソメソ泣いて落ち込むのはまず確実。
本日の昼までとは色々事情が変わってきましたし、今も界港に残ったウル達が見張っているので問題はないでしょうが、仮にも自殺を目論んでいた相手にどうでもいい理由で余分なメンタルダメージを与えるのは避けたいところです。
「レンリちゃん……あのね、さっき道で……伯爵さん家の馬車、いっぱい見かけたから。多分、またパーティーのお料理、運んでくれてると……思う、よ?」
「なにっ、それは聞き捨てならないね! 伯爵さんが気を利かせておいてくれたのかな? どうせ、また食べるだろうからって。さあ、ルー君にルカ君や。さっさと引き返して最後の戦いにたっぷり備えようじゃあないか!」
「うん、まあ、寄り道しないで戻ってくれるなら別に何でもいいけどな。ルカもコイツの操縦が上手くなったなぁ……」
待ち合わせ場所で食べるなら流石に遅刻だけは免れるはず。
ルカの巧みな誘導により、どうにか女神への追加ダメージは避けられそうです。「とりあえず、この件に関してだけは」という但し書きは付きますが。
◆◆◆
レンリ達以外の面々はもう少し真面目に、この後で起きるらしい「何か」に備えておりました。あまりにも状況の不明点が多すぎますが、それでも探せばできることは色々あるものです。
「……というワケだ。いや、正直に全部話してなお意味が分からぬ部分が多すぎるのは承知しているが、貴殿らには万が一に備えて街の守りに当たって欲しいのだ」
シモンが気配を辿って探し出したのは、騎士団からの委託を受けてこの街の警備に当たっていた冒険者ガルド氏と、昨夜の前夜祭で街を大いに盛り上げて本日は貴重な休日だった歌姫フレイヤ。
後者に関してはお家デート中だったのか、最初からシモンの自宅の居間でラックと一緒にダラダラしていたので探す手間も省けました。先に見つけたガルド氏を屋敷に招いて、今は式典であった出来事を説明し終えたところです。
「ははぁ、同じ店の常連同士で前から顔馴染みじゃあったけどよ、あの神サンも色々苦労したんだなぁ。で、誰だか分かんねえけど誰かをブッ飛ばせば神サンが元気になるんだな? だったら何も迷うこたぁねえさ。それに元々警備の仕事中だったわけだしよ、別に何が変わるってワケでもねぇ」
「うんうん、要は敵が来たら燃やせばいいってことでしょ? なるべく街とかヒトは燃やさずに」
「う、うむ。そこは『なるべく』ではなく厳守してもらいたいが概ねその通りだ。もし杞憂に終わったら無駄働きをさせることになって申し訳ないのだが」
シモンが気にしていたのは街の防衛。
戦闘の規模が界港の敷地内だけで完結すればいいのですが、先程のレンリの曖昧な説明だと敵の強さも数も不明。展開によっては学都の街にまで何者かの魔の手が迫る可能性もないとは言い切れません。不明点が多すぎるせいで、シモンにもそのあたりはさっぱり分からないのですけれど。
「おっし、じゃあ街のことは引き受けた! 本音を言えば強い奴がいるんなら俺が戦闘りてぇが、今回はオメェらに譲ってやらぁ」
「うん、後ろは気にせず思いっきり戦闘ってきていいからね!」
いったい何が起きるのか、あるいは起きないかは不明なれど、こうして実力者達に心の備えが予めあるとないとで違ってくるモノもあるかもしれません。兎にも角にも、こうして背後の守りを気にせずとも良くなれば、シモンや他の皆が存分に前だけを見て戦えるというものでしょう。




