女神とレンリ
女神が肉体を失ってから実に百万年。
それだけの長きに渡り、彼女は世界を守り続けてきたわけです。
ですが、しかし。
それは百万年の間ずっと成功し続けてきたという意味ではありません。
むしろ、その逆。
失敗と苦悩に満ち満ちている道程でした。
少なくとも女神自身には、そう感じられていたのです。
『う、うぅぁぁっ……ごめんなさい……』
神力に潤沢な余裕がある現代など、歴史的に見れば例外もいいところ。大半は大赤字の火の車が常で、それはイコール人類の庇護を十全に行えないことを意味しています。
例えば、大体同じくらいの人間が住む国が二つあり、これからそのどちらもが大災害で滅びようとしている。救えるのは女神だけだが、リソース不足により『奇跡』を行使できるのは片方だけ。もう一方に関しては、残念ながら見捨てるほかありません。
まだ産まれて間もない赤ん坊がいました。
将来の夢を語る少年少女がいました。
地道に腕を磨いてきた職人がいました。
幸せな家庭を夢見る恋人達がいました。
子や孫を優しく見守る老人がいました。
守るべき人々の為、技を磨く戦士がいました。
彼ら全ての幸福を願う善き王がいました。
その全てが理不尽に見舞われて死にました。
ただ女神に選ばれなかったからというだけの理由で。
中途半端な対応をしていては、その両方の国が間違いなく全滅していたことでしょう。そういう意味では決断が誤りだったとまでは言えません。女神は自身にできる範囲で正しいことをしたのです。心の底から、そんな風に思えていれば良かったのでしょうけれど。
『ごめん、なさい……わたくしが、もっと……ちゃんと……っ』
ですが、正しいからといって罪悪感や責任感と無縁でいられるわけもなし。
あの決断は本当に正しかったのか?
もっと上手いやり方があったのではないか?
そんな考えが幾度となく浮かび、激しい罪の意識と後悔に苛まれながらも、目の前にはもう次の同じような決断が迫っている。そんなことを数限りなく、気が休まる暇もなく延々繰り返してきたのです。
他の世界には複数の神々がいることもありますが、生憎とこの世界の神はつい最近まで女神ただ一柱のみ。責任を誰かと分かち合うことも、同じ立場の誰かと語らって孤独を癒すこともできません。
いっそ、跡形もなく消えてしまいたい。
いつしかそのような望みを得るも、愛すべき人類を想えばそれもできず。
何の備えもなくただ消えて、それで神の庇護を失った世界で残った人類までもが滅びてしまえば、それまでの女神の決断も努力も何もかもが無意味になってしまう。罪悪感に苛まれながら見過ごしてきた数多の犠牲者の死が、まったくの無駄だったことになってしまう。
それだけはできない。
絶対にしてはいけない。
自分がいなくなっても問題なく世界が存続するという確信が必要でした。
そのために欠かせないモノは何か?
無力な神である己に代わる、次代の神。
それも一柱のみではなく盤石を期すべく複数の神々を。
そんなにも強大な神々を新たに創り出すとなると、そのために要するコストは膨大なモノとなります。戦争も災害も疫病もなく、ほとんどそれだけに注力できるようなタイミングなど、そうそうあるものではありません。
待って、待って、ひたすらに待って。
今このタイミングなら計画を実行に移せるという千載一遇の好機が訪れたのが、今から僅か十数年前のことです……が、そこから先も決して安楽な道程ではありませんでした。
神の幼体である迷宮達を創ったまでは良いものの、まず完成から間もなくアイが赤ん坊と化していつ起きるとも知れぬ長い眠りに。続いて、行動力があり過ぎて手に負えなくなったネムをやむを得ず封印。
他の五人に関しても、ひどく怒りっぽかったり怠け者だったりで、決して楽観はできませんでした。正直、女神としても七人全員ではなく内何人かが神として覚醒すれば御の字と考えていたくらいです。七人全員が七柱の神となった今の状況は、まさに百万年に一度あるかないかの大奇跡としか言えません。
『うあ、わぁぁ……ごめ、ごめんなさい……』
そうして創り出した新時代の神々に、ここまで情が湧いてしまうのは更なる計算外でしたが。これまで見守ってきた人々と同じか、もしかしたらそれ以上に愛しい娘達。彼女達がこれから先に成長して一人前になるのを見守っていきたい。そんな気持ちも決してウソではないのです。
こことは違う流れを辿った歴史において、そんな彼女達をひどく悲しませてしまったと知り、新たな罪悪感や迷いが生じたことも間違いありません。
最早、生きるも死ぬも後悔しかない。
何をどうすればいいのか、どこに救いがあるのか分からない。
『ごめん、なさい……わたくしが神様で……ごめんなさい……っ』
世界を守り続けてきた偉大なる神は、弱々しくすすり泣くことしかできませんでした。
◆◆◆
が、しかし。
『……え?』
幼子のように俯いて泣いていた女神でしたが、ふと、自分の頭が柔らかな感触に包まれているのを感じました。
「よく頑張ったね。大丈夫だよ。もう大丈夫」
『……レンリ、さん? あの、何を?』
別にレンリは大したことをしたわけではありません。
昔からたまにやっているのと同じように、泣いている子をそっと抱きしめて背中をポンポンと軽く叩いてやった、その程度。幼い頃に似たようなことをしてもらった覚えがあるヒトも多いのではないでしょうか。女神にとっては歴々の神子達に憑依してきた経験全部を含めても、これが初めての体験でしたが。
さて、そんなレンリはというと女神の困惑をよそに立ち上がり……。
「は」
『は、はい?』
「はははははは、はっはっはっはっは! あーっはっはっはっは!」
『ひぇっ!? だ、大丈夫ですか? 主に頭のほうが……』
女神が戸惑うのも無理はありません。
突然の大笑いに驚いて、思わず涙も引っ込んでしまいました。
これまでも怪しい部分は多々あったけど、さてはとうとう完全におかしくなってしまったか……なんて視線が仲間達から向けられますが、当のレンリはまったく気にする素振りもなく。
「ははは、安心したまえ! そして感謝したまえ! この私が神様をマルっと助けてあげようじゃあないか!」
『え、ええと……お気持ちはありがたいのですけど、わたくし自身も自分の何がどうなれば救われるのか、もう全然分からないのですけど……?』
「そんなの別に大した問題じゃあないさ! うんうん、楽勝だとも。別にヒトが神様を救っちゃいけないなんて決まりはないわけだしね。まあ、決まりがあっても破るけど。それとも人間如きがおこがましいとか言うのかな?」
『い、いえ、そんなことは決して……助けて、いただけるのですか……?』
「うん? 声が小さくてよく聞こえなかったね。さあ、もっと大きな声でいってみよう!」
『た、助けてください! お願いします!』
「よし、任された! 大船に乗ったつもりでドンと構えているといい。あっはっはっはっは!」
果たして、如何なる手段でこの心優しくも不器用極まる女神を救うつもりであるのやら。具体的なところはさておいて、レンリは色々こじらせた面倒くさい神様のメンタルケアを自信満々に引き受けたのでありました。