治療
広場の件がどうにか落ち着いてから約一時間後。
「街の状況はどうなっている?」
「はっ。新たな事件の兆候はありません。ひとまずは終息したと見てよろしいかと」
騎士団本部に戻ったシモンは休む間もなく執務室に篭り、部下からの報告を受けていました。ちなみに、先程狙われたレンリ達も本部まで来てはいますが、現在は別行動中です。
「人死にの報告は今のところありません。ですが、重態が四名と重軽傷者が三百以上。大半は事件に巻き込まれた市民のようです」
「重態者に関しては、医者の見立てではいずれも今夜がヤマだとか」
「どうにか保たせろ。一人も死なせるな!」
「はっ!」
あれほどの騒動だったにも関わらず、奇跡的に死者は出ていませんでした。
ですが、それもあくまで現時点では。
依然として予断を許さない状況には変わりありません。
特に建物の倒壊に巻き込まれたり、馬車に轢かれたりした者は、内臓破裂や開放性骨折による失血で、非常に危険な状態が続いています。高価な魔法薬等も惜しげなく使って治療に当たらせていますが、助かるかどうかは五分五分でしょう。
医者ならぬシモンは、生死の境を彷徨っている被害者を思えど何もできずに気を揉んでいたのですが、
「シモンさん! ライムさん連れてきました!」
「おお、待ちかねたぞ!」
そこに遣いを頼んだルグがライムを連れてきました。狩りにでも出ていたら今日中には捕まらない可能性もありましたが、幸い今日は家にいたのだとか。
「なに?」
「うむ、怪我人が大量に出てな。それで」
「分かった、治す」
シモンが言い終える前にライムは自分の役目を把握したようです。
流石の以心伝心ぶりでした。
「誰か、案内を頼む。では、頼んだぞ」
「うん」
僅か二言三言のやり取りを終え、ライムが案内の兵に連れられて退室すると、シモンはようやく大きな安堵と、そして僅かに罪悪感の混ざった息を吐きました。
「これで誰も死なずに済むだろう」
「いや、いいんですか? だって、あの人……」
「この際だ、止むを得まい。人命優先だ」
シモンとルグが謎のやり取りをしていると、それを不思議に思ったのでしょう。報告の順番待ちをしていた若い騎士が質問してきました。
「あの団長、それはどういう?」
「ああ、確かに知らねば分からぬか。実はな……あいつの治癒は滅茶苦茶痛い。あと怖い」
「はい?」
問うた騎士が理解できないのも無理はありません。
ですが、それはどうしようもない事実なのです。
一体どういう原理でそうなるのかは彼女自身やその師にも分かりませんが、ライムが治療をしようと魔法をかけると、例外なく全身に激痛が走るのです。
しかも麻酔の類も一切効果を発揮してくれません。
気絶したくても痛みで覚醒し、次の瞬間には再び気絶し……というループが、治療が終わるまで延々と繰り返されるのです。
「あいつの治癒関係の術はな、何故か物凄く痛いのだ。効果は異様に強いのだが、はっきり言って俺は奴の治療を受けたくない」
何か嫌な思い出でもあるのか、シモンはそう言い切りました。
ルグも、以前にライムの無茶な特訓を受けた時に、百本組手で怪我を癒されながら延々と叩きのめされた記憶を思い出したのか、恐怖でブルブルと震えています。普段は記憶の奥底に封印されていますが、レンリやルカ共々、あの件は三人のトラウマになっているのです。
「奴の姉弟子が腕の良い治癒師で、どうもそれに影響されたらしいのだが ……子供の頃に散々実験台にされてな。ちょっと擦り剥いたのを治すだけで、全身の骨が砕けたかのような痛みが走るのだぞ?」
「そ、それはなんとも……」
「念の為に呼んでおいたが、出来ればこの手は使いたくなかった……」
シモンとしても、ルグに呼び出しを頼んだ時点では怪我人の状況は分かっていませんでした。
命に別状のある患者がいなければ穏便にお帰り願うつもりだったのですが、結果的には呼んでおいて正解だったようです。
なにしろ、効果だけは一級品。
骨が折れて飛び出していようが、内臓が潰れていようが、死んでさえいなければ問題なく治ることでしょう。
「「「…………」」」
耳を澄ますと、開いていた窓からどこからともなく悲鳴が聞こえてきました。
◆◆◆
「兵には交代で食事と睡眠を取らせております。団長も少し休まれては?」
「いや、だが皆が動いているのに俺が寝るのもな」
そこから更に数時間。
日が暮れてからも、シモンは全く休むことなく動き続けていました。
ですが、流石に疲労が溜まっているのか普段の精彩を欠いている様子。
先の戦闘での魔力欠乏や手の怪我のせいもありますが、そもそも昨夜は本の捜索指揮で、一昨日は容疑者から供述を引き出すために、もう三日近くロクに睡眠を取っていないのです。
「終わった」
と、そこにライムが戻ってきました。
窓の外に意識を向ければ、いつの間にか悲鳴が止んでいます。
「む、流石に早いな」
「うん、みんな楽にしてきた」
「う……うむ。きちんと治してきたのだな? だよな?」
ライムの言い方だと全員にトドメを刺してきたように取れなくもありませんが、キチンと約三百名の怪我人を、泣こうが逃げようが一切の容赦なく治し尽くしてきただけです(操られて自我を喪失したままの被害者達は治療中も無反応でした。ある意味では幸運だったかもしれません)。
シモンとしては命の危険がある重態患者だけで良かったのですが、やってしまったものは今更仕方ありません。
「まあ、お陰で助かった。礼を言う」
「うん」
ですが、彼はまだ気付いていませんでした。
「それは?」
「む、俺の手がどうか……いや、待て!? 俺は遠慮しておく!」
「治す」
そう、ここにもう一人怪我人がいたという事実をすっかり忘れていたのです。
「暴れると治しにくい」
「待っ、話せば分か……いや分からんのだろうなぁ! ……ぐふぉ!?」
一瞬の隙を突いてライムのボディブローが深々と刺さり、シモンの身体がぐったりと力を失いました。万全の状態ならともかく、極度に疲労していたせいで反応できなかったようです。
「あの、今……」
部屋にいた若い騎士も、目の前で上司が襲われたことに動揺を隠せませんでしたが、
「疲れて寝ちゃった」
「いや今、拳で殴って……」
「疲れたから寝ただけ」
「……はい」
ライムの迫力に押されて、それ以上の追求を諦めました。賢明な判断と言えるでしょう。
一方で、経験豊富なベテラン騎士は、この事態にも動じず、むしろシモンを休ませる好機と見たようです。
「丁度良かった。団長、放っとくと全然休もうとしないんで、そのまま朝まで寝かせておいてもらえませんか?」
「分かった。怪我も治しておく」
「三階の会議室に保護した民間人を泊めてるんで、そこに寝かせられると思います。よかったらライムさんも泊まっていってください」
「ん、感謝」
ライムはベテラン騎士に礼を言うと、気絶したシモンを肩に担ぎ上げ、のっしのっしと執務室を後にしました。
久々の出番なのにあらゆる意味で強すぎる系エルフ。
本人も治療の副作用で痛みを与えるのは本意ではないのですが、あまりに適正が高すぎて患者の全身の痛覚神経まで活性化・鋭敏化してしまうという。
治療中は何故か発狂もできませんし、自殺もさせてもらえません。
あと本人は鋼鉄メンタルなので痛みを感じても当然の如く耐え切ります。