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王都喫茶店物語

 王都の住民は、頻繁にカフェを利用する。

 ちょっと暇があれば立ち寄って、くつろぎのひと時を楽しむのだ。

 瀟洒な高級店から労働者が気軽に入れる店など、店構えも客層に合わせて様々である。

 そして舞台となるカフェは、落ち着いた雰囲気の庶民的な店だった。

 近所の住民が茶飲み話に利用する、街角のちょっとした憩いの場だ。


 その時、店内には主婦とおぼしき女性達が四名、テーブルを囲んでいた。

 そろそろ夕餉の支度の時刻だろうに、一向に席を立つ気配はない。

 彼女達は一様に、店の奥の片隅に座る一人の男性客に注目していた。

 場違いな印象が、はなはだしい男である。

 血筋の良さを表すような、端正な面立ちの持ち主だった。

 高く形の良い鼻梁と、固く結ばれた唇には気品がある。

 着衣は派手な装飾こそ抑えているが、高級な仕立てであるのは一目瞭然。

 どこぞのやんごとなき御身分の方のお忍びかと、女性客が憶測するのも無理はなかった。


 そんな女性客客達の眼差しに、男性客が気付いた様子はない。

 彼は瞑目したまま腕を組み、背もたれに寄り掛かって微動だにしない。

 待ち合わせの風情なのだが相手は一向に現れず、かれこれ半時が過ぎている。

 彫像のように静止したままの男、そこに表れる変化は眉間の皺だけだ。

 時間を追うごとに、徐々に徐々に溝が深く刻まれ、本数が増えていく。

 たった今、また一本増えた。

 もし側に居る者があらば、いつ男性客が暴発するかと怯えたであろう。

 そして彼の口元がぴくぴくと引き攣り始めた時、新たな客が店に入ってきた。


 年の頃は男性客と同じ、三十代半ばであろうか。

 爽やかさが匂い立つような優男である。

 彼は店内を一瞥して男性客の姿を認めると、そのテーブルへと足を運ぶ。

 途中、自分に注目する女性客達に気付き、軽く会釈した。

 亜麻色の髪に、長いまつ毛。傍らを通り過ぎた後に漂う、清涼な香り。

 女性客達は陶然として、男を見送った。

 彼は男性客の前に立ち、穏やかに微笑んだ。

「やあ、お待たせ、カルドナ」


 椅子を引いて座ることさえ、男の所作は洗練されていた。

「彼と同じものを」

 注文を取りに来た店主に告げると、亜麻色の髪の男が首を傾げる。

「なんだか不機嫌そうだね?」

「――――いいや、別に不機嫌ではないぞ、ロールス」

 カルドナは閉じていた瞼を開き、その猛禽類のような眼差しを男に向ける。

「いささか怒りを抑えかねているだけだ」

「それを不機嫌って言うんだけどね。ああ、ありがとう」

 ロールスと呼ばれた男は、注文の香茶を運んできた店主にチップを渡した。

「いまさら貴様から、約束の時間に遅れた言い訳を聞こうとは思わん」

「いや、聞いてくれよ、カルドナ。僕が家を出ようとしたら」

「聞こうとは思わん」

「あ、はい」

 カルドナは組んでいた腕を解き、ロールスを真っ向から見据える。

「わざわざ人目をはばかって、こんな場所に呼び出した理由はなんだ?」

 遷都以来続く譜第貴族の中で、特に御三家と呼ばれていた有力家門。

 しかし現在、一家が欠けて残るのはスターシフ家とグランドルフ家のみ。

 鷹のような鋭い眼差しの男が、スターシフ家の当主カルドナ。

 亜麻色の髪をしたロールスが、グランドルフ家の当主である。


 先日の騒動の後で、王都は戒厳令の状態になった。

 ようやく夜間の外出禁止令が解かれたが、不穏な空気が払しょくされた訳ではない。

 そんな状況でた、グランドルフ家現当主から秘密会談を申し込まれたのである。 

 もし王家に悟られれば、政治的緊張が生じることは明白。

 それを敢えて為すからには、只事ではなかろう。

 相手の真意を推し量るように、カルドナの眼差しが凄みを増す。

 ロールスはそれに気圧されることなく、真剣な面持ちで語り始める。


「実は、妹に悪い虫がついたらしいんだ」

「帰らせてもらおう」


 ロールスが最後まで語り終える前に、席を立つカルドナ。

「待ってくれ! 話を聞いてくれ! お願いだよ!」

 哀れっぽい声で、ロールスが必死に懇願する。

 それを無視して席を離れようとしたカルドナは、ふと女性客達と目が合った。

 彼女達はパッと目を伏せ、素知らぬ顔をする。

 だが、横目でカルドナ達の様子を伺っては、ひそひそと言葉を交わし始めた。

 何となくバツが悪くなり、カルドナは再び腰を下ろした。

「ありがたい! 話を聞いてくれるんだね!」

「分かったから、もう少し声を低くしろ。聞くだけは聞いてやる」

 座り直したのに、すぐに席を立つのも億劫だと思っただけである。

 カルドナが先を促すと、ロールスは安堵の笑みを浮かべる。

「ああ、良かった。幼馴染みの君にしか、こんなこと相談できなくて」

 ただの腐れ縁だ。内心の愚痴を呑み下し、カルドナはため息を吐いた。

「それで? その悪い虫とやらを拉致して、国外の荒野にでも放り捨てればいいのか?」

「物騒なやつだな、君は!」

「声が大きいと言っているだろうが。貴様が相談というから、てっきりそういうことなのかと」

「違うよ! なんで僕が相談を持ち掛けると、犯罪行為を連想するんだよ!」

 バンバンと、ロールスがテーブルを叩く。

「本気にするな、ただの冗談だ」

「冗談なら、その危ない目付きは止めてよ!」

「余計なお世話だ。これは生まれつきだ」

 カルドナが、微かに口を尖らせた。


「それに万が一、妹にバレたら、僕が嫌われてしまうじゃないか」

「嫌われるも何も、アステル嬢は貴様に親愛の情の欠片もなかろう?」

 皮肉でも嫌味でもなく、カルドナは真顔で指摘する。

「酷いな君は! もうちょっと僕に優しくしてよ!」

「本当のことだろうが」

「違うよ、妹は、アステルは、あれだよ」

 両手で盛んにジェスチャーしながら、もどかしそうにロールスは説明を試みる。

「僕に興味も関心もなかったんだよ。つまり、兄とも妹とも思ってなかっただけで…………」

「うむ、悪かった。それ以上は止せ」

 さすがにカルドナも、気の毒そうな顔になる。

「父が亡くなり、母も保養地に転居して、ようやくあの子を家に迎えられるようになったんだ」

「うんうん」

「そんな矢先に、あの子に男が出来たという噂が耳に入ったんだ」

「ほう? アステル嬢がなあ」

 カルドナが、興味深げな表情になる。

 彼の知るアステルという女性は、およそ恋愛沙汰に興味があるようには見えなかったからだ。

「だが、あくまで噂だろう?」

「…………先日、噂の真偽を確かめようと、久しぶりにアステルに会いに行ったら」

「行ったのか、わざわざ」

「そうしたらね?」

「そうしたら?」

「アステルが、優しく接してくれたんだよ」

「…………」

「おまけに、僕を兄上と呼んでくれたんだよ?」

 ロールスの口元が、にへらと緩む。よほど嬉しかったらしい。

 カルドナは腕を組み、考え込んだ。

 ロールスとアステルは、義理の兄妹である。その仲は、お世辞にも良好といえるものではなかった。

 少なくともカルドナには、アステル嬢が実家に対して情を抱いているようには見えなかった。

「なるほど。男の噂も、俄然信憑性を増すな」

 彼女の心に、余裕が生まれたのかもしれない。

 良くも悪くも恋愛が女性を変えることがある。

 それを最近になって知ったカルドナは、苦々しげな顔付きなる。


「冗談じゃないよ! どこの馬の骨とも知らない男に、可愛い妹は渡せないよ!」

 憤慨するロールスに、カルドナは肩を竦める。

「こればっかりは本人次第だからな。周りが騒いでも、どうこうなるものでなし」

「妹にはね、グランドルフの娘として恥ずかしくない相手と結婚させてやりたいんだ!」

 ふーんと鼻を鳴らし、カルドナは香茶のカップを手にする。

 この店については、既にスターシフ家の諜報組織が裏を取っている。

 特に警戒することなく、カルドナはすっかり冷めた香茶を口に含んだ。


「それでね? いっそのこと君にアステルを(めと)ってもらおうと思うんだ」


 不覚にも、カルドナは香茶を吹き出した。

「ゴホッ、アステル嬢を!?」

「うん。君も奥方を亡くされてからだいぶ経つことだし、妹の結婚相手として申し分ないからね」

「お、おい、何を言っているのだ、貴様は」

「気心の知れた君なら安心して妹を任せられるよ、うん」

「ま、待ってくれ、本当に」

 らしからぬ動揺を見せ、カルドナはロールスを押し止める。

「なんだい、アステルでは不満なのかい?」

 途端にロールスの目付きが剣呑になった。


 内心の動揺を押し隠し、カルドナはこの場を逃れる方策を必死に考える。

 二大譜第貴族同士の婚姻という、政治的な影響だけではない。

 なにしろロールスの妹アステルは、嘘を見破るスキルの持ち主なのだ。

 しかも貴族家当主ともなれば、余人には明かせぬ秘密の類を、いくつも腹の中にため込んでいる。

 もしアステルが妻になれば、四六時中言動に注意しなくてはならなくなる。

 その気疲れは、相当なものになるだろう。

 カルドナは、ロールスが香茶のカップを傾けるのを眺めながら悩む。

 相手は同格の家門当主、あまり無碍にもできない。

 悩むカルドナの脳裏に、ふと思い浮かんだ面影があった。


「ロールス。レジーナを妻にしろ」


 ぶほっと、ロールスが香茶を噴出した。

 妹であるレジーナを、ロールスと結婚させる。

 それは非常に良いアイデアのように、カルドナは思えた。

 彼には、一つの懸念があった。それは一人の冒険者の存在である。

 当の冒険者が王都から去った後、ヘレンを呼び出し、問い質した。

 レジーナが、あの冒険者についてどう想っているのか、確認しようとしたのである。

 冒険者と別れた後の妹は、特に落ち込んでいる様子はない。

 しかし、どことなく変化が生じたように感じる。

 なんというか、以前よりも艶やかに、女性らしくなったように思えるのだ。


 しかし、監督役として送り込んだはずのヘレンは、回答を拒絶した。

 お嬢様の個人的な事情に関しては、お答えしかねますと。

 彼女がだんまりを決め込んだ以上、口を割らせるのは難しい。

 問題は、彼女が回答を拒んだ本当の理由である。

 ひょっとすると。カルドナは、自分の想像に焦りを覚えた。

 妹が深入りする前に手を打たねばと、考えた矢先だったのである。

 格好の生け贄が、目の前に現れたのは。


「僕には妻がいるんだよ!?」

 ロールスが訴えたが、カルドナは気にも留めた様子はない。

「ああ、彼女ならきっと、二人目の妻を温かく迎えてくれるだろう」

 貴族ならば複数の妻を持つこともあるが、なかなか複雑な問題を孕んでしまう。

 その点、ローレスの妻は賢夫人として名高く、レジーナとも知己でもある。

 彼女ならば妹を邪険に扱わないだろうと、カルドナは考えた。

「それに我が妹ながら、レジーナは気立ても良いやつだ。妻として申し分なかろう?」

 妹の夫として、ロールスはまずまず、辛うじて及第点に達している。

 なにより彼ならば、姉や叔母や従妹や姪など、親族の女達も文句が出ないはずだ。

 そこが大事だと、カルドナは内心で頷く。

「うむ、それがいい。さっそく話を進めよう」

 ローレスの話を聞き、危機意識が芽生えたカルドナ。

「ちょっと待ってよ!」

 さっそくとばかりに席を立とうとする彼を、焦ったロールスが引き留める。

「なんだ、義弟殿?」

「気が早すぎるよ!」

 ロールスが、悲鳴じみた叫びを上げる。

 その頬は引き攣り、顔面蒼白だった。


 なにしろ相手は、()()レジーナなのである。

 彼女がカルドナに勘当される原因となった事件も、ロールスの耳にしっかりと届いていた。

 それは彼女が、妹であるアステルを伴って、とある夜会に参加した時の話である。

 とある新興貴族の息子が、アステルにしつこく言い寄ったのだ。

 彼は新参者で社交界の噂に疎く、彼女の正体を知らなかったらしい。

 あいにくその時、レジーナは知り合いに挨拶するため、その場にいなかった。

 そして戻ってきた彼女が目撃したのは、男に強引に手を掴まれているアステルの姿だった。


 男の腕をねじり上げると、レジーナは容赦なくスキルを放ったそうだ。


 その新興貴族の息子が治療院送りになった後で聞き、ロールスは胸がすく思いだった。

 よくぞやってくれたと、レジーナに感謝も捧げた。

 しかし、しかしである。


 そのレジーナが妻となるならば、話は別である。

 感情を昂らせれば、たとえ貴族の息子でも治療院送りにするほど苛烈な女性なのだ。

 なにか気に食わないことがあれば、自分も同じ目に遭うかもしれないと、ロールスは怯えた。

「その、申し出は嬉しいけれど…………」

「なんだ、レジーナでは不足だとでも言う気か?」

 ロールスが口ごもると、もともと鋭いカルドナの目付きが恐いものになる。

「ち、違うよ! そうじゃなくて、今は君とアステルの婚姻についての話だろ!」

「そ、それは、いや、話を逸らすな!」

「それはこっちの台詞だよ! なんだよ、うちの可愛いアステルが嫌なのかい!」

 ロールスが席を立って叫ぶ。

「またそれか! 貴様はいつもそうだ! 二言目には妹のことを可愛い可愛いなどと臆面もなく!」

 カルドナもまた立ち上がり、ロールスに詰め寄る。

「だいたいだな! 可愛いというのなら、うちのレジーナ――――」


「お客様方、少々声を抑えて頂けますか?」


 いつの間にか、初老の店主がひっそりと、テーブルの傍らに立っていた。

「他のお客様もおりますので。それにあまり騒がれては、ご身分に差し障りましょう?」

 穏やかな声で諭すと、店主は一礼してカウンターに戻って行った。

 毒気が抜かれた二人の譜第貴族は、すとんと席に腰を落とした。

 彼らは揃って、店内をぐるりと見まわす。

 入り口に近いテーブルの女性客達が、ワクワクした顔で見詰めているのに気付いた。


「出るか」

「そうだね」


 二人の譜第貴族は支払いを済ませるると、そそくさとカフェを後にした。



※作中のカフェという単語は、作者の意訳です。

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