【未完成】侍女と王女
こちらのシリーズを読んでいる方がいるようなので、没ネタを投稿しました。
執筆途中で、申し訳ありません。
「もう一声で」
「ああもうくそ! 分かった! 一五でいい!」
「いよ、太い腹」
「ほめてねえだろ!」
値切り交渉に負けた、恰幅の良すぎる店主が怒鳴る。
そして相手の手提げかごに、果物を次々と放り込んだ。
「また来ますね」
「二度とくんな毎度アリ!」
いつもの悪態を背に、彼女は果物売りの店舗を離れる。
お釣りから貨幣を一枚抜き取ると、ニンマリと笑う。
本人に、主家の金を着服しているつもりはない。
値切り交渉を成功させた自分への、正当な報酬なのだ。
彼女の名は、サーシャ。
譜第貴族スターシフ家には、レジーナという令嬢がいる。
彼女に仕える専属侍女は三名いるが、その内の一人であった。
商店街を歩きながら、サーシャは周囲の店舗に目を配る。
同僚のヘレンに頼まれた食材の他に、なにかお買い得品はないかと探す。
レジーナの家宅では、サーシャが買い出しの仕事を担っている。
ちょっとばかり釣銭をごまかしているのは、主人や同僚も承知している。
しかしサーシャは商品の目利きに優れ、駆け引きも巧みである。
彼女に任せておけば、結局は安上がりとなる。
だから子供のお駄賃ぐらいの端金は、目こぼしされているのだ。
サーシャはふと、微妙な気配の変化を感じ取った。
常に観察を怠らない彼女は、通りを歩く人々の視線を追う。
その先にいたのは、一人で歩く男装の女性だった。
すらりとした長身で肩幅は広め、その姿勢には優美さが感じられる。
飾り気はないが、仕立ての良い衣装を着ている。
やわらかな生成りのリネンシャツに、焦げ茶の革のベスト。
ズボンはしっかりとした帆布地で、編み上げのブーツが脚にぴったり馴染んでいる。
眉と肩口で一直線に切り揃えた、手入れの行き届いた濃い金色の髪。
その容貌は気品が自然とにじんで、美しい。
サーシャは首を傾げた。どこかで見た覚えがある。
人の顔を記憶するのは得意なのに、なぜか名前が出てこない。
じっと観察していると、相手の女性もこちらに気付いたようである。
親しげな表情で近寄ってくると、軽く手を挙げた。
「あなた。確かレジーナさんの家の方よね?」
「えっ?」
戸惑うサーシャを見て、その女性はバツが悪そうになる。
「えーと。あの、覚えていないかしら? ほら、アステルさんと一緒に」
主人の友人の名前が出た瞬間、連鎖的に記憶が閃いた。
相手の正体を悟ると、思わず叫んだ。
「でっ! でん――――」
「ちょっと!?」
女性は慌ててサーシャの口を手でふさぐと、路地裏へと引きずり込んだ。
とっさに思い出せなかったのも無理はないだろう。
本来ならば街中で、ばったり出くわすような相手ではない。
視線を伏せ、両手でスカートの端を軽く摘み、品よく広げながら膝を折る。
その姿勢のまま、サーシャは頭を垂れて恭しく声をかけた。
「りゅ、リュミエル殿下には、ご機嫌うるわしく」
「いきなりごめんね? ほら、街中で殿下呼びされると困るから」
「ご無礼をいたしました」
身をやつしているのは、当然人目をはばかっているからだ。
それなのに大声で殿下などと呼べば、注目を浴びてしまう。
動揺したせいであるが、貴族に仕える侍女としては失態だ。
サーシャの頭脳は急いで状況を把握しようとする。
「まさかとは思いますが、お一人ですか?」
さりげなく周囲を見回すが、護衛らしき人影はない。
「そうよ?」
シレッと答える王女殿下。
そうよ、ではない。身分のある女性が独り歩きなど非常識である。
つまり、自分の主人であるレジーナと同類なのだと判断した。
「なるほど。お忍びですか」
それにしたって限度がある。
物語じゃあるまいし、王女が護衛も侍女も伴わないで街歩きなんて。
「それでは、わたくしめはこれで。御前失礼します」
再び頭を下げ、そのままクルリと回転し、脱兎のごとく逃げ出そうとした。
「まあまあ、待ちなさいって」
背後から素早く肩を掴まれ、サーシャがジタバタともがく。
「いえ! 急ぎの用事がありまして! つよっ!? 握力つよ!?」
振りほどこうとするが、びくともしない。女性のとは思えない力の強さだ。
「まって! 肩がっ! かたがあっ!?」
「ちょっとね、頼みたいことがあるの? 聞いてもらえないかしら?」
「い、いやです! 堪忍してください!」
護衛がいない王女と一緒なんて、もしものことがあったらどうする。
とばっちりを食らってしまうではないか!
「お慈悲を! わたしには家で待っている三人の子供が!」
「その年で!?」
「むろん嘘ですが!」
「王女を騙そうだなんて良い度胸ね!」
どうあがいても逃げられず、とうとうサーシャは観念した。
「――つまり、ご友人への贈り物を探すための知恵を御所望、ということですか?」
路地裏を出て、手近のカフェで席を設ける。
注文の香茶が届くと、サーシャがコソコソと尋ねた。
「そうなの。どんなものがいいか迷っていたの」
「そこに運悪く、わたしが通りかかってしまったと」
「ええ。知り合いと会えて良かったわ…………運悪く?」
「肩の骨が砕けるかと思いました」
サーシャは恨めしげに呟く。
「大袈裟な。手加減したじゃない」
サーシャは肩を回して具合を確かめ、痛そうに顔をしかめた。
「…………悪かったわ」
無言の抗議に、リュミエルは謝罪した。
あの握力で、手加減したと。
何らかのスキルだだろうか。疑問を口にはしない。
王族の秘密を暴く真似をしたら、冗談抜きで命が危うい。
さてと。サーシャは外面を整えた。
「失礼を承知でお伺いいたしますが。ご予算はいかほどでございますか?」
王族の懐具合を探るのもどうかと思うが、仕方がない。
だって相手は王女様、そもそも買い物をしたことがあるのか?
「足りると思うけれど」
リュミエルは腰帯に下げたポーチを開き、巾着を取り出す。
硬貨が立てる硬質な響き、それをサーシャは聞き分ける。
「中身を拝見しても?」
リュミエルが手渡した巾着を受け取る。ずっしりと重い。
イヤな予感が的中しそう。巾着の口を開いて、中を覗き込む。
ああと、サーシャは軽く絶望する。
――王女を撒いて逃げ出す、という選択肢がなくなってしまった。
中には高額貨幣が詰まっていた。
誰かに見られたらヤバい。それほどの大金である。
王族が犯罪に巻き込まれなどしたら、大問題になるだろう
そして自分が王女を放置したと知れたら、罪に問われかねない。
サーシャは観念した。
「それで、贈り物をしたいお相手は、どんな方ですか?」
「ねえ。そんな堅苦しい言い方しないでいいわよ?」
カフェを出ると、王女殿下がサーシャの言葉遣いを指摘する。
なるほど。一理あると、サーシャも納得する。
不逞の輩が耳にしたら、いらぬ注意を引く可能性がある。
「じゃあ、リュミちゃん」
「リュミちゃん」
「で、贈り物をする相手は、リュミちゃんの恋人?」
「ち、違うわよ! 友人の誕生日なの!」
「なるほど。この間一緒にいた、あの男の人ね」
ふむと頷き、リュミエルと一緒にいた冒険者風の男を思い出す。
「で、どこまで進展しているの? それによって選ぶ品も――」
「違うったら! はなしきいてる!?」
「はい、ちゃんと。意外とからいがいがあるわね」
サーシャは楽しそうに微笑む。
「失礼すぎない!?」
「不敬罪ですかね? お嬢様に泣きつかねば」
「あなた本当に侍女なの! 主人に迷惑かけないの!」
「さて、プレゼントを選ぶには、相手の人柄が分からなくては」
それからサーシャは、根掘り葉掘り聞きだした。
「それで? 買い出しは、どうしたの?」
リュミエルに付き合って、すっかり忘れていた。
帰宅したサーシャは、同僚のヘレンに、こってり絞られた。
――という、お話でした。




