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幽霊伯爵の婚約譚  作者: みづき
一章 突然の婚約者
8/18

<7>

 足がもつれ、息が弾む。

 ドレスを翻しながら草の上を駆け抜け、リゼルは屋敷の中に滑り込んだ。

 私室の扉を閉めると背中を預けてその場に座り込む。

 口元を手で押さえ、呼吸を整える。暴れる心臓は一向に治まる気配はなく、リゼルはぎゅっと目を瞑った。

 噂は、本当だったのだ。

 きっとあの部屋には、集められた故人の私物が並んでいるに違いない。そしてそれをヴェルミオンは日々愛でている。

 どれも囁かれる内容と一致していて、リゼルは体を震わせた。

「あんな……趣味が、本当にあるなんて」

 大きく構えた屋敷も、柔らかな微笑を浮かべる男も、ごく普通に見えた。だから囁かれる噂はただの憶測で、一部の事実は別の意味合いがあったのではと――そう思ったのに。

 リゼルは己の体を掻き抱く。

「あんなの普通じゃない……っ」

 一歩踏み込めば、完全に呑まれてしまいそうな空気が満たした部屋。

 亡き人の私物とは、すなわち遺品である。

 本来ならば遺族や親しい間柄であった人が、今は亡き大切な人を想うためのもの。

 いくつあるかも計り知れないそれを並べた部屋は、この世ではないどこかに繋がっていそうな雰囲気を漂わせていた。

 リゼルは足に力を入れて立ち上がると、最小限の荷物を引っ掴んで部屋を出た。階段を駆け下りて玄関ホールを抜け勢いよく扉を開く。

「どこに行くつもりだ?」

 するとその先にラシェルが佇んでいて、簡素な服に手袋をした彼は青ざめるリゼルに眉を寄せる。

「す、少し家に」

「家? お前のか?」

「忘れ物をして、だから」

 はやる思いで口を開くとラシェルが小首を傾げた。

「馬に乗るつもりか? あれはヴェルミオン様のだ、お前には乗せない。それにヴェルミオン様か俺にしか懐かない馬だ、お前に扱えるとは思えないが」

「馬車で行くから平気」

「町中の馬車を使うのか? とんだお嬢様だな」

 せせら笑うラシェルに反論しようとしたリゼルは、すぐに口を閉ざす。

 そして一刻も早くこの場を立ち去りたくて、リゼルはラシェルを押しのけるようにして外へ出た。背後から声がかけられた気がしたけれど、それを無視して表へと走る。

 すると爽やかな風が頬を撫で、恐怖が満たした心が少し和らぐ。

 屋敷を出て街路を進むと一台の馬車を発見し、黒塗りのそれに駆け寄って御者台に座る男に詰め寄った。

「乗せて欲しいのですが!」

「あ、ああ。大丈夫ですよ、どちらまで行かれますか?」

 リゼルの身なりを見て驚いた様子の男に問われ、屋敷までの道のりを簡潔に伝えると素早く馬車に乗り込む。

 ――そして一時間ほど揺られると、見慣れた町並みを抜けてエーベルト家の屋敷に到着した。

 ポケットに突っ込んだお金で支払い、リゼルは屋敷の扉を叩く。

「お嬢様!?」

 扉の奥から現れた侍女はぎょっとして声を上げる。ここにいるはずのない少女の姿に侍女は唖然とし、すぐに近くにいた侍女を呼ぶ。

「リゼル様……!? どうされたのですか!?」

 すると呼び声に駆け寄ってきた侍女、バロッサは目を剝いた。

 周囲を見回したバロッサは、見慣れたドレスに身を包んだリゼルの傍に誰もいなく、ここに来た時の手段であろう場所もないことに唖然とする。

「バロッサ! あの人おかしいわ!!」

 リゼルは困惑するバロッサに縋り付くようにして訴えた。

 顔は青ざめ、唇がかすかに震える姿にバロッサはリゼルを屋敷の中に促し、応接間に連れていく。

 幸いなことに父は外出中らしく、ソファに座らされたリゼルはバロッサを見上げた。

「あの人の噂、本当だったの!」

「噂、ですか?」

「死人の私物を集めて、愛でる趣味を持つ。あの噂は本当だったの。地下にたくさんの物が並んでいて、そこで、ヴェルミオン様が」

 話す途中で声が震えた。

 脳裏を過ぎる光景がおぞましくて、リゼルは自身の手を握る。

「リゼル様。その噂が事実なのか、フレッディ伯爵にお尋ねになられたのですか?」

「そんなの訊けるわけないでしょ……!?」

 もしもあの噂が本当だと肯定されてしまえば、自分はどうすればいいのだろう。何もわからなかった時とは違い、あの屋敷でこれから生活などできるはずがない。

「だいたい、ちょっとどころかかなりずれてるのよ、あの人! ドレスだって、私好みのものがあるかと思えば、ゴテゴテの――趣味の悪いドレスがたくさん並んでるのよ!?」

 息巻くリゼルにバロッサは苦笑する。

 なぜか困ったような顔をされ、リゼルはバロッサを睨んだ。

「リゼル様。そのドレスの数々は、フレッディ伯爵がお選びになられたのです」

「趣味が悪いのね!」

「いえ、フレッディ伯爵はリゼル様の好みをお尋ねになられました。どのようなものが好きで、そして気にかけるか、その目でご覧にもなられています」

 ぴたり、とリゼルは動きを止めた。

「ドレスのサイズもお訊きになられております」

「そんなの、知らない。ヴェルミオン様がこの屋敷に来たことなんて、なかったじゃない」

「頻繁にではないですけれど、通っておいででしたよ。リゼル様の好むものの傾向が変わるのではないかと、お気にされていたようです」

 リゼルは愕然とする。

 衣裳部屋に並ぶドレスは、どれもぴったりだと言った。私室に備え付けられた衣裳部屋のドレスはリゼル好みのもので溢れていて、気になりつつも愛用のドレスを着てしまった。

 それにヴェルミオンが気付かないはずはなく、それでも何も言わないでいる。

「趣味の悪いドレスというのは……わかりかねますが」

 バロッサは苦く笑い、目を見開いたままのリゼルに手を差し出す。

「フレッディ伯爵と、もう少しお話されてはいかがでしょう? リゼル様がご覧になったものと、真相は全く別かもしれません」

「そんなこと」

 ありえない、とリゼルは首を振る。

 ならあの不気味な地下室は何と説明すればいい。何かを愛撫するようなヴェルミオンの姿は異様で、同時にこの世のものではない雰囲気を醸し出していた。

「なら、ほんの少し違うかもしれませんね」

「バロッサ?」

「事実は同じ。けれど、ほんの少し何かが違う。はたから見れば、何も変わらないのかもしれませんが」

 ようするに、ヴェルミオンと話し合えとバロッサは言っているのだろう。

 そしてバロッサはさらに言葉を続けた。

「フレッディ伯爵は、リゼル様との婚約のお話を快くお受けになったそうです」

 その後は話した通り、リゼルのことを知ろうと足しげく屋敷に通っていたのだとバロッサが微笑む。

 婚約解消という文字がちらついたリゼルは、その言葉に身を固くする。

 年頃になってもその手の話が来ない娘を不憫に思ってか、父は相手探しに躍起になっていた。このままでは嫁ぎ遅れるだろうと察した彼は焦燥した様子で相手を探し、大半はリゼルの生活を知っては眉をひそめるのだが――そんな中で唯一頷いたのがヴェルミオンだったらしい。

 けれど、それは不幸か幸いか。

 リゼルは不気味なほどにっこりと微笑むバロッサに顔を引きつらせた。

「そんな方に、町中にあふれる噂を本物だと決めつけるのはどうかと思います」

「……わ、わかったから! 話せばいいんでしょ!?」

 笑っているはずなのに、どことなく威圧感を感じるバロッサにリゼルは叫び、差し出されていた手を掴んでソファから腰を浮かした。

 幼少期から仕えていた侍女は、不満げに小さく眉根を寄せる女主人を見て微かに笑う。

「いってらっしゃいませ」

「……ねぇ、どうしてそんなにヴェルミオン様のことを薦めるの」

「私は、リゼル様にお幸せになっていただきたいのです。あの方となら、リゼル様が笑ってお過ごしになられるだろうと――そう思っただけですよ」

 迷いのない声色にリゼルは押し黙り、そのまま彼女に見送られて用意されていた馬車に乗り込み屋敷への道を辿った。

 どちらにせよ、話さなければならないのは確かである。

 胸の奥に恐怖心を押し込め、ヴェルミオンに尋ねる言葉を考えながら揺れる馬車に身を預けた。

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