<6>
しばらく部屋で待機していたリゼルは、ちらりと壁を見る。
ヴェルミオンの私室との間に一部屋挟んでいるためか物音は聞こえない。
リゼルはそわそわと落ち着きのない様子で、ヴェルミオンの部屋がある方向を見つめた。
ベッドに寝かせているから、先ほどのように倒れている心配はないだろう。
しかし。
「汗をかいてらしたわ」
苦しげにうめくヴェルミオンの姿か脳裏に浮かび、リゼルは氷と水差しを持って行こうと考え扉に近づく。
そして私室を出たリゼルの視界に何かが掠めた。
「……ヴェルミオン様?」
視界の端にちらついた金色は見間違えようがない。
迷いなく進むその足取りは意外なほどしっかりとしていて、ふらつく様子はない。体調がよくなったのだろうかと安堵するも、急に動けばまた倒れてしまうかもしれない。
せめてもう少しベッドで横になっていてもらおうと、リゼルは階段を下りていくヴェルミオンを追った。
「ヴェルミオン様、どこへ行かれるのかしら」
進む先に見当がつかず、リゼルは小首を傾げる。
玄関ではなく裏出口を抜ければ、青々とした草の上に洗濯場と小さな馬小屋が建っていた。
視線を巡らせれば近くに石造りの建物があり、ぽっかりと入口だけが空いた、大人一人の身長ほどの大きさのそれにヴェルミオンが消えていく。
慌てて駆け寄ると階段が見え、地下に繋がっているのだと知る。奥は薄暗くてよく見えない。
建物というには不釣り合いな、ただ囲っただけのような石に触れた。
「……ヴェルミオン様?」
そっと呼びかけてみるも、反応はない。
リゼルは左右を見、こくりと喉を鳴らして地下を覗く。
――地下には近づくなと、ヴェルミオンに言われていた。
妖しげに光る紫水晶の瞳が脳裏を過ぎる。
リゼルは唇を噛んだ。
ヴェルミオンは病み上がりである。しかもきちんと治ったのかどうかもわからず、無理をしているだけかもしれない。
こんな地下でまた倒れていたりでもしたら、今度はただでは済まないだろう。
リゼルは小さく息を吸い込み、地下へと続く階段に足を降ろした。
薄暗いため足元がはっきり見えず、わずかな恐怖心が体を走る。それでも壁に手をつきながら一歩ずつ降りていくと、眼前に木製の扉が立ち塞がった。
隙間から灯りが漏れている。
音を立てないように手を伸ばしてそっと開く。わずかな隙間から中を覗いたリゼルは、異様な空気に息を呑んだ。
ランプに照らされた部屋は壁に沿って棚が並び、その上にはずらりとたくさんの物が並んでいる。
大きさもまちまちで、何が置かれているのかよく見えない。
けれど、部屋を満たす空気は異質だった。
灯りが置かれているはずなのに部屋の中は暗く、闇のようで――けれど、それよりもさらに深い。
淀んだ空気は重く、どろりとした何かが下から這うような感覚がした。息苦しさを覚えるそれは、覆いかぶさってくるような錯覚すら感じさせる。
リゼルは瞳を揺らし、そんな中で一人佇むヴェルミオンに視線を合わせた。
ランプの傍で何かを持っている。
長い指で〝何か〟を撫でる動きはなめかましく、まるで愛撫のようで。
そして揺れる灯りに映し出されたヴェルミオンの瞳は、慈しむように手の中に注がれていた。
不気味とも言える空気の中で、一人佇む男。
その手に持つ物が何なのか。
確認したくてもできず、リゼルは唇を震わせた。
紫に輝く双眸が細められ、何事かを囁く。言葉まで聞こえなかったその声はひどく甘い。
常軌を逸したと感じる光景に悲鳴が喉に絡みつく。
「……っ」
故人の私物を収集する趣味を持ち、日々愛でるという男。
幽霊伯爵との異名がつけられ、そう人々の間で囁かれている彼は驚くほど温和だった。リゼルを見つめる瞳は優しく、気遣ってくれる心は温かい。
けれど――これはなんだ。
闇の中に立つ男は、普通ではない雰囲気を纏ってそこにいた。
噂は本当だったのかと、リゼルは漠然と感じる。
一歩後退し、扉から手を離す。しかし、勢い余って扉が音を立てて閉まってしまう。
さっと顔を青ざめさせたリゼルは逃げ出すように体を反転させ、けれど伸びてきた手にその場に留められた。
「悪い子だね」
「……っ」
悲鳴が喉の奥に消える。
「ここには、近づいたらだめだって言ったよね?」
優しげな声色に肩が震え、リゼルはゆっくりとヴェルミオンを見上げた。
妖しい色合いをした紫の瞳がリゼルを射抜き、口元が弧を描く。
「あ……っ」
ぞくり、と悪寒が背中を走る。
逃げなければと頭の中で警鐘が鳴り響く。
けれど足は縫い付けられたかのように動かず、ヴェルミオンの瞳に囚われてしまう。
しかしふいに、リゼルを見つめていた瞳が揺れた。
呪縛が解かれたようにリゼルはヴェルミオンの手を振り払い、地上へと続く階段を駆け上がって行った。