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幽霊伯爵の婚約譚  作者: みづき
一章 突然の婚約者
6/18

<5>

 朝食を終えたリゼルは私室に戻り、部屋の中をうろついていた。

 カバンの中を探るも特に目立ったものはなく、リゼルはため息を吐く。

「何しよう」

 暇ね、と呟き窓に視線を移す。

 陽光に照らされた外は魅力的で、すぐにでも飛び出したい気持ちになる。しかしそれをぐっとこらえた。

「いくらなんでも、いきなり外に出て行くのはよくないよね。……私のことも、少し変わった貴族の娘としか思われていないだろうし」

 突然泥だらけになって帰ってきた少女を見れば、さすがのヴェルミオンも驚倒するだろう。

 柔軟に受け入れてくれた彼ではあるが、限度というものがある。

 リゼルはソファに座り、その柔らかさに身を委ねた。

「ラシェルには、もうこれ以上手出しはするなって言われちゃったのよね」

 暇、と再びそこに行き着く。

 後片付けを手伝おうと申し出たものの、最初よりも邪険にする瞳で睨みつけられてしまった。

「やっぱり、おかしな考えなのかな。……でも、一人の食事なんて味気ないじゃない」

 ぽつんと一人、広いテーブルで食事を摂る光景が脳裏に浮かぶ。

 どれほど周囲に人がいても、それは寂しく心が痛む。料理の味を感じることもできずに、ただ機械的に物を口に運ぶ虚しさは誰よりも知っている。

 温かな料理を家族と囲むのは、その絆を深める一歩だとリゼルは思っていた。もちろんそうは考えない人もいることはわかっているし、無理強いするつもりもない。

「ラシェルは使用人だものね。主と一緒に食卓を囲むなんて、考えられないことなのかもしれない」

 小さく息を吐き出し、リゼルは勢いをつけてソファから立ち上がった。

 頬を叩き、部屋を出る。

「食後の運動。外に行けないなら、屋敷の中を歩けばいいのよ」

 そう呟いた瞬間、何かが大きく倒れる音が聞こえた。

 続いて何かの破砕音。

 陶器が砕けるような音にリゼルはとっさに振り向いた。音の出どころはヴェルミオンの部屋に近い。

「ヴェルミオン様?」

 同じく朝食を終えた彼は、ほぼリゼルと同じ時に私室に戻った。

 どくりと鼓動が跳ね、リゼルは扉に駆け寄る。

「ヴェルミオン様? どうかなさいましたか?」

 控えめに扉を叩くも返事はなく、何かが倒れる音も聞こえない。中で何が起こっているのかわからず、リゼルは小さく謝ってから取っ手を掴んだ。

「すみません。失礼します」

 そろりと覗き込み、リゼルは大きく目を見開く。

 椅子が倒れ、テーブルから落ちたであろう白磁のティーカップが絨毯の上で無残に割れていた。紅茶が絨毯に広がり、染みを作る。

 その近くに、ヴェルミオンが倒れていた。

 絨毯の上に金色に輝く髪が無造作に広がり、隙間から覗く紫の瞳は固く閉じられている。白い頬は青白く、上等な衣服に包まれた手足はぐったりと投げ出されていた。

「ヴェルミオン様!?」

 リゼルは悲鳴を上げてヴェルミオンに走り寄る。

 顔を覗き込むと苦しげなうめき声が聞こえ、息も荒い。力なく倒れ込んでいるヴェルミオンに青ざめ、リゼルは額に手を押し当てた。

「熱は……ないわね。ヴェルミオン様、どこか痛みますか? 吐き気は!?」

 苦悶の表情を浮かべるヴェルミオンが口を開くも喘ぐような声しか出ず、また苦しげに口を閉ざしてしまう。額には汗が浮かび、リゼルは少しでも楽にと思いクッションを頭の下に差し込んだ。

「ラシェルを呼んできます!」

 言うや否や、リゼルは部屋を飛び出す。

 そしてラシェルを捕まえ、矢継ぎ早に告げて再び部屋に戻ると二人でヴェルミオンをベッドに寝かしつけた。

「ただの疲労だ。問題ない」

 重く息を吐くヴェルミオンを横にさせたラシェルは、何事もないように告げる。

「疲労って、起きられたばかりじゃ……っ」

「よく起こることだ、心配いらない。――ヴェルミオン様、何かお飲みになりますか?」

 ラシェルの問いにヴェルミオンが首を振る。

 すると少年はリゼルに、後は安静にしていれば大丈夫だと告げ、部屋を出て行ってしまった。

 その対応があまりにも簡単で、手慣れすぎていて。

 リゼルは戸惑いつつヴェルミオンの傍に寄る。

 豪奢なベッドは広く、その中に沈む彼はひどく小さく見えた。

「ヴェルミオン様」

 苦しげな表情が和らぐことはなく、ヴェルミオンは何かを耐えるように目を瞑る。

「〝視る〟といつもこうなんだ。あてられて、体力を消耗する」

 ひどく疲れる、と囁きが漏れた。

「目が、お悪いんですか?」

「……そうだね。悪いのかもしれない」

 眼鏡をかけることを嫌う人はいる。

 ヴェルミオンもその類なのだろうかと、リゼルは疲労の色が濃い顔を見つめた。

「見えないものを、無理やり見ようとすれば疲れてしまいます」

「……でも、それでも視たいんだ。僕には、それしかないから」

 話がかみ合っていないような気がして、リゼルは困惑する。

 目が悪いという自覚があるのに、それでも見ようと言うのか。ぼやけた視界ではまともに物事を判断できず、反応すら遅れてしまう。それが事故や事件に繋がらないとは言い切れないのだ。

 けれど、とリゼルは柳眉を寄せる。

 いくら視力が悪いからとは言え、ここまで疲労することはあり得ない。

 せいぜい頭痛か肩こり、眼球疲労などだろう。倒れるような症状では決してない。

 いつものことだと告げたラシェルは目立った心配もせずに退出してしまった。頻繁に起こることなら、何か別の原因があるのではないか。

 思考を巡らせた時、ヴェルミオンが襟元を緩める。

 乱暴な手つきによってはだけた襟元から肌が見え、鎖骨が覗く。喉仏が上下に動き、汗ばんでいるせいかしっとりとした肌が妙に色っぽい。

 さらに息苦しいのか浅い息を繰り返す唇は、誘うように小さく開かれている。

 病人であるはずなのに、この色香は何だ。

 居たたまれずとっさに目を逸らそうとしたリゼルは、その首元に赤い石のネックレスがかけられているのを見留めた。

 親指の爪ほどの大きさである赤い石に、蔦のように絡まるのは銀細工。下から上へ向かって細くなる銀細工はシンプルながらに不思議と目を惹く。

 それに思わず手を伸ばした瞬間、ヴェルミオンの指がリゼルの手を優しく掴んだ。

「だめだよ」

 掠れた声が耳朶を打ち、掴まれた手が熱を帯びる。

 弾かれるようにしてリゼルは手を引っ込めた。

「す、すみません」

「これに、触れてはだめだよ」

 触れられた手が熱い。

 リゼルは自身の手を包み込んでヴェルミオンの言葉に頷くと、平気だからと私室に戻るよう促される。

 確かにここに自分がいれば、きちんと休むことができないだろう。

 ヴェルミオンに何かあれば呼ぶように言い、リゼルは後ろ髪を引かれつつ静かに部屋を後にした。

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