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幽霊伯爵の婚約譚  作者: みづき
一章 突然の婚約者
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<4>

 ゆらり、と意識が揺らぐ。

 夢と現の境目が曖昧で、心地よいその感覚にリゼルは身を委ねた。

 微睡みながらもぞもぞと体を動かせば、滑らかな感触が指先に触れる。

 体を受け止める柔らかなそれが見知ったものではないような気がして、リゼルは眉をひそめた。

「……バロッサ?」

 瞼をこじ開けるも視界がぼやけ、寝ぼけた声で侍女の名を呼ぶ。

「バロッサ?」

 しかし返事はなく、リゼルは目を擦り緩慢な動きで起き上がった。するとここが愛用のベッドではないとわかり、瞬時に覚醒する。

「え、どこ……っ!?」

 慌てて左右を見、目に映った光景にリゼルは小さく項垂れた。

 ヴェルミオンと婚約を結び、昨日からこの屋敷で暮らすことになったのだと思い出す。

 深いため息を吐いて、ぐっと体を伸ばした。

「バロッサも、いないのよね」

 起床と同時に傍にいた彼女とは毎日朝の挨拶を交わしていた。

 今日のドレスは何にしますか、と微笑みながら問う姿はもうここにはいない。

 毎朝繰り返される些細な習慣だったけれど、こうしてなくなってみると寂しさを覚えてしまう。

 ぺちぺちと頬を叩き、リゼルはベッドから抜け出した。

 カーテンを開けると太陽の光が部屋に差し込み、室内を温かく照らす。エーベルト家の私室に置かれる家具よりも豪華なそれらを横目に、リゼルは化粧台に向かい髪に櫛を通した。

 鳶色の髪は以前にも増して艶やかで、櫛通りも滑らかである。

 肌も心なしかしっとりとしていて、昨日ヴェルミオンの好意に甘えて体を清めたせいだろうかと、リゼルは髪に触れた。

「何が違うんだろう。水? 同じパルト地方なのに」

 劇的な変化に戸惑い首を傾げつつ、今度は衣裳部屋へと続く扉の前に立つ。

 凝った模様が刻まれたそれを見つめてリゼルは小さくうめく。

「着なきゃだめ……かな」

 せっかくヴェルミオンが用意してくれたドレスたち。着なければその価値はなく、けれどなぜか戸惑ってしまう。

 リゼルは部屋の隅に置かれたままのカバンを見やり、そろりと近寄る。カバンを開けると数着のドレスやわずかな調度品が丁寧に収納してあった。

 どれも見慣れたものばかりで、リゼルが気に入っていたものばかりだ。

「慣れたものの方が動きやすいわよね。慣れない場所で転んだら大変だし、ヴェルミオン様にも迷惑をかけてしまうし」

 もごもごと言い訳を口にし、一つ頷いてドレスを引っ張り出した。

 淡いピンクのドレスはさほど装飾がなく、動きやすい作りをしている。腰から下には小ぶりな花が飾られ、控えめながらも可愛らしい。

 寝間着から素早くそれに着替えると軽くベッドを整えて部屋を出た。

 リゼルはヴェルミオンの部屋を見、わずかな逡巡の後一階へと続く階段を降りる。

「いい匂い」

 その時、ふわりと温かな匂いが鼻腔をくすぐった。

 どこからだろうと思いつつ辺りを見渡し、食堂の近くから匂いが漂っているのに気づく。

「ラシェル?」

 顔を覗かせると手際よく動いていた体がびくりと跳ね上がった。

 一定のリズムを刻んでいた音が止まり、少年が振り向く。

 黒い髪に中性的な顔立ちをした少年の眉がかすかに寄せられる。

「……なにか」

「おはよう。本当にすべて一人でこなしているのね」

 ぐつぐつと煮えた音のする鍋や、刻んだ野菜が並ぶ台。厨房を占める温かみのある香りに自然と頬が緩む。

「そうだ。だから何だ、邪魔だから向こうへ行ってろ」

 しっしと手で追いやる仕草をするラシェルの態度が昨日とは違っていて、リゼルは目を瞬いた。

 大人しく寡黙な少年の印象だったが、今はリゼルを邪険にする瞳を隠そうともしない。

「私も手伝っていい?」

「だめだ」

「どうして? 人手は多い方がいいでしょう?」

 態度の違いに困惑しつつ尋ねると、ラシェルの瞳が鋭く尖る。

「ヴェルミオン様のお口に入るものを、お前に作らせるはずがないだろう」

 きっぱりとした声はそれ以上続かず、また背を向けてしまう。

「だいだい、ヴェルミオン様は結婚なんてしなくてもいいんだ。そんなことをしなくても、咎められない立場にあの方はいる。それを突然現れて婚約者だと? ふざけるな」

 怒気を含む声色に加え、歓迎されていないのだとありありとわかる少年の態度。

 ぐっと唇を噛み、それでもリゼルはその場から立ち去ろうとしなかった。

 この屋敷に住む以上、お世話になりっぱなしというのは気が済まない。使用人が一人しかいないのならばなおのこと。

 ふんぞり返って使用人を顎で使うような趣味はなく、手伝えることがあるなら進んで引き受けたいと思っていた。

 入口の前で動かずにいると、

「……料理は? できるのか?」

 手際よく料理をしていたラシェルがふいにこちらを見やる。

「できないのか?」

 質問の意味が分からず目を丸くすれば、今度は訝しむような目をされる。

「で、できます。難しいのは無理だけど、簡単なものなら」

 出て行く気がないのだと判断したラシェルが手伝わせてくれるらしい。

「一品だけ」

「え?」

「ただし、変なものは入れるなよ」

「作っていいの?」

 てっきり皮むきや洗い物の手伝いをするのだとばかり考えていたリゼルは、ラシェルの言葉に目を見張る。

「そうだ。なんだ、作らないのか?」

 なら出て行けと言わんばかりの視線にリゼルは首を横に振った。

「作ります」

 ラシェルが横にずれ、リゼルの場所を空けてくれる。

 腕を捲り、新鮮な野菜にざっと目を走らせるとその中から一つ掴み取った。鮮やかな色合いの根菜は先にいくにつれて細くなり、少し曲がっているのは無農薬であることの証である。

 野菜に包丁を入れようとしたリゼルは注がれる視線に顔を上げた。

「……ラシェル?」

 視線を向ければこちらを見る瞳と目が合う。

 まさか見ている気か、と驚くリゼルにラシェルは構わず視線を注ぐ。

「……っ」

 リゼルは包丁を握る手に力を込め、野菜を切り落とす。手元に感じる視線に手が震える。

 一挙一動見逃さないかのような眼差しに体が強張り、やけに緊張する。

 いつもならすんなりと終わるはずが、倍ほど時間がかかって料理が完成した。

「貧相」

 湯気を立てる小鍋を見下ろしたラシェルは、開口一番そう呟いた。

 小鍋にたっぷりと入ったスープには細かく刻んだ野菜が色鮮やかである。さらには素材本来の味を引き出すために、余計な調味料は加えていない。

「ひ、貧相って、子どもたちには人気があるんだから。野菜もたっぷり入れて、豆だってよく煮込んだから消化にいいし……食欲がなくてもスープなら食べられるでしょ」

 朝は食欲がわかず食べない人もいる。

 幸いリゼルは朝から食欲旺盛な方なので別段気にしたことはないけれど、ヴェルミオンがそうだとは限らないのだ。

 比較的食べやすいスープなら少しは口に運んでくれるだろうと、火を止めたリゼルにラシェルは驚いた顔をした。

 けれど、すぐに訝しむような表情に変わる。

「子どもたち?」

「……姉弟みたいな子たちがいっぱいいて」

 リゼルはさらに追及される前に皿をワゴンへ乗せた。

「食堂に運べばいいの?」

 話題を変えるべく明るく問うと、ラシェルがリゼルの手からワゴンを奪う。そしてぴっと指を厨房の外へ示す。

「ヴェルミオン様を起こしてこい。たぶんまだ寝ていらっしゃる」

「自分でお目覚めになられないの?」

「朝に弱い方なんだ。その分寝るのも遅い」

 早く行けと催促され、厨房を出たリゼル廊下を進み、ヴェルミオンの私室の前で立ち止まった。

 木製の扉の縁には蔦が絡み合う模様が彫られていて、それをじっと見つめたリゼルは意を決して扉を叩く。

「ヴェルミオン様」

 軽く叩くも返事はなく、今度は強めに叩いた。

「ヴェルミオン様。朝です、起きてください」

 何度か繰り返し、リゼルは一向に返事のない部屋の主に眉をひそめる。

 よほど熟睡しているのだろうか。

 リゼルは父が朝が弱かったことを思い出して声を張り上げた。

「ヴェルミオン様! 起きて――」

 その瞬間、ごん、と鈍い音が響き渡る。

 目の前が一瞬真っ白になり、リゼルは額を押さえてうずくまった。突然の衝撃と痛みに声がでない。

「……あれ。リゼル?」

 呑気な声が頭上から落ちてきて、涙目になった瞳で見上げると半分扉を開けたままのヴェルミオンが立っている。

「ラシェルの声じゃないから誰かと思った。……何してるの?」

 金糸の髪を揺らしながら小首を傾げ、紫水晶の瞳が眠たげに瞬く。

 ヴェルミオンは不思議そうにし、よろよろと立ち上がったリゼルの額に触れた。

「赤くなってる。どうしたの?」

 赤らんだ額を指で撫でる。

 手入れの行き届いた指が優しく肌を滑り、その感覚にぞくりとした何かが背中を走った。

 リゼルは逃げるように身を引く。

「なんでも、ありません。大丈夫です、お気になさらず!」

 ふわふわと足元がおぼつかないヴェルミオンから距離を取り、朝食ができたことを伝える。すると一つ頷いて、ヴェルミオンがそのままの格好で部屋を出た。

「ヴェルミオン様! お着替えは……っ」

「うん」

 寝間着姿の男は再び頷くも、階段を下りて行ってしまう。

 後ろから見ると見事な金髪に寝癖がついているのを発見し、このまま行かせていいのだろうかとリゼルは困惑する。

 しかしそうしている間に当の本人が食堂へと足を向け、リゼルは急いで追いかけた。

 バスケットに盛られたパンと焼いたベーコンに卵料理。小ぶりな魚のムニエルがテーブルに並んでいる。

 リゼルが席に着くと先ほど作った野菜と豆のスープが器に注がれ、ふわりと食欲を誘う優しい匂いにヴェルミオンはようやく目が覚めたらしく、紫の瞳がはっきりと開いた。

「おはよう。リゼル」

「おはようございます」

 覚醒したヴェルミオンの少し遅れた挨拶にリゼルが返すと、目の前に出されたスープを興味深そうに見つめる。

 スプーンでひとすくいし、口に運ぶ。

 やけにゆっくりとした動作にリゼルはこくりと喉を鳴らした。

 塩分は控えめ、調味料は極力入れていない。野菜本来の味わいを楽しめるはずで、豆もよく煮込んだから消化にいい――とリゼルは心の中で呟き、ヴェルミオンの反応を伺う。

 口が動き、数回目を瞬かせたヴェルミオンの表情がやわらいだのを見て、リゼルはほっと息を吐いた。

「これ、ラシェルが作ったの?」

「いいえ」

「じゃあ、誰が」

「……私、です。私が作りました」

 疑問符を浮かべるヴェルミオンにリゼルがそろりと名乗りを上げる。

「リゼルが? 作ったの?」

「はい。……お口に合わなかったでしょうか」

「そんなことない。おいしいよ」

 驚くヴェルミオンは頬を緩め、綻ぶような笑みを浮かべた。

「料理得意なんだ。これも花嫁修業?」

「え、ええ。そうです」

「そっか。修業の成果が出てるみたいでよかった」

 リゼルは曖昧に微笑む。

 その時ラシェルがワゴンを少し離れた場所へ移動させ、その場に待機した。よく見てみるとテーブルの上には二人分の食器しかなく、用意すらされていない。

「ラシェル、一緒に食べないの?」

 率直な疑問がリゼルの口を出ると、一瞬空気が固まる。

 何を言っているんだとラシェルに表情で訴えられ、ヴェルミオンに視線を移すが彼も驚いたように目を見開いていた。

 そこで初めて、リゼルは自分の失言に気付く。

 使用人は一緒に食事を摂らない。そんな当たり前のことをすっかり忘れてしまっていた。

「あ、あの」

 エーベルト家の使用人は少ない。だからリゼルは彼らを家族のように慕っており、父の目がない時は一緒に食事を摂っていた。初めは全力で拒否していた使用人たちも徐々に折れ、今では密やかな食事会となっていた。

 けれど、エーベルト家とこの屋敷は違う。

 リゼルは顔を青ざめさせる。

「も、申し訳ございません。私……」

「リゼルの家では使用人も揃って食事をするの?」

「……い、いえ。私が一方的に、彼らに頼んでいるだけで」

「一緒に食事を摂るのを?」

 小さくリゼルが頷く。

 あぁ、やってしまったとリゼルは唇を噛む。

 田舎娘と言われる起因の一つだろうことを、ヴェルミオンに知られてしまった。貴族の令嬢らしくない振舞いは避けねばと考えていたけれど、長年染み込んだそれは簡単には消えてくれないらしい。

 誤魔化そうとしてもボロがでて、さらに誤魔化してもつぎはぎだらけになる。

「それは、どうして?」

「……家族だからです。実際には家族ではないのですが、私にとっては生まれた時から一緒の彼らは家族同然の存在ですから」

 下を向き、リゼルはドレスを握りしめる。

 知られてしまえば、後はどう繕っても仕方がない。

 すべてを話してしまおうと思ったリゼルは、続くヴェルミオンの言葉にぱっと顔を上げた。

「そっか。――じゃあ、ラシェルも一緒に食べよう」

「ヴェルミオン様!?」

 驚きの声を上げたのはラシェルである。

 目を剝き、信じられないというようにヴェルミオンを凝視していた。

「リゼルの言う家族は、長年一緒に暮らしている人だってことだよね? なら年月は違えど、ラシェルも十分〝家族〟の条件に当てはまる」

 納得するように頷くヴェルミオンにラシェルは口を開閉させる。

 使用人である少年に椅子に座るよう促し、戸惑うリゼルに微笑みかけた。

「家族とは、いいものだね」

 微笑むヴェルミオンに小さな引っかかりを感じたが、リゼルの言動を嘲笑するような気配はない。

 むしろ同調してくれていて、受け入れてくれる。

 不思議な心地よさを感じ、リゼルは肩の力を抜いた。

「ありがとうございます。ヴェルミオン様」

 礼の言葉を述べるとヴェルミオンがきょとんと目を瞬く。

 戸惑いつつも渋々といった様子で席に座ったラシェルとともに、三人での奇妙な食卓を囲んだ。 

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