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幽霊伯爵の婚約譚  作者: みづき
一章 突然の婚約者
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<2>

 わずかな振動が体に伝わる。

 赤地の布が張られた椅子に腰かけるリゼルは、深いため息を吐いて背もたれに体を預けた。

 父の非情とも言える言葉の後、用意されていた馬車に無理やり乗せられ、勝手に荷物をまとめたカバンとともに侍女が一人だけ乗り込んだ。

 そしてリゼルの悲痛な声を無視し、御者は手綱を引いた。

 黒塗りの箱馬車はさほど大きな揺れを感じさせないまま、一時間ほど走っている。

 窓の外に流れる景色は、見知ったものから知らないところへと変わっていた。

「……いきなり婚約だなんて」

 リゼルはドレスの裾を握る。

「しかも、相手がフレッディ伯爵なんて」

「リゼル様。そのようなことをおっしゃられてはいけません」

 顔を俯かせるリゼルの前に座り、苦笑するのはエーベルト家の屋敷に仕える若い侍女である。癖のない黒髪を結い上げたバロッサの近くには、荷物を詰め込んだカバンが置かれていた。

 冷静な彼女にリゼルは声を荒げる。

「だって、フレッディ伯爵よ!? あの!!」

 婚約者だというその男には、〝幽霊伯爵〟との異名があった。

 パルト地方の中心に位置する、ダリンと呼ばれる町。

 その中で人通りの少ない場所に建てられた屋敷に暮らす男には、様々な噂が飛び交っていた。

 死人を好み、けれど本体を持っては帰れない。だから代わりとしてその死者の遺品を集めては持ち帰り――それを日々愛でているという。

 実際、彼に亡き家族の遺品を譲ってくれるよう頼まれた者もいるらしく、現実味を帯びた噂は瞬く間に広がった。さらに屋敷の中にはたくさんの遺品が並べられ、夜中には亡霊が歩いているとまで言われている。

 故についた名が、〝幽霊伯爵〟。

「お父様もどうしてわざわざそんな人を選んだの……!?」

 リゼルは声を震わせる。

 血に濡れた故人の私物。

 それをうっとりした表情で愛でる男――きっと、正気ではない。

 ヴェルミオンは社交場にも滅多に姿を現さず、リゼルは顔を見たこともなかった。

 囁かれる内容が真実であるかどうかなど知らない。けれど、少なくとも噂されるに至って何かがあったはずだ。

 実際に遺品を譲り渡すよう言われた人だっていたと聞く。おそらくすべてが嘘ではないのだろう。

 そんな相手に嫁ぐなど。

 己の自由よりも、先に命さえ危ういかもしれない。

「……町でみんなと混ざって遊んだり、何かをするのってそんなにいけないこと?」

「私はそのままのリゼル様が好きですよ。とても活き活きしておられて、一日外出禁止令を旦那様から出された時はそれはもうひどい有様でした」

「庭にも出たらダメって言われたのよ。いくらなんでもやりすぎよ」

 リゼルはむくれ、眉をひそめた。

 今はすでに亡き人となった母は平民の出で、その影響もあってか下町の方が馴染みが深く居心地がいい。

 けれどそんな娘を父はあまりよく思っていなかったのだろう。

 今日この日まで、あまり強く言われたことがなかったのはむしろ寛大な方だったのかもしれない。

「フレッディ伯爵の屋敷に住んだら、今までの生活ができなくなるのね」

 それが父の狙いだったのかと、リゼルは肩を落とす。

 その時馬車の揺れが止まり、扉が叩かれ御者台から降りた男が顔を出した。

「お嬢様、到着でございます。お手をどうぞ」

 恭しく手を差し伸べられ、リゼルは一度目を閉じてから手を伸ばした。置かれていた踏み台に足を降ろし、地面へと着地する。

 爽やかな風が頬を撫で、鳶色の髪を揺らす。見上げた先には大きな屋敷が鎮座し、周囲には木や草花が植えられている。

 レンガ造りの壁にアーチ状の窓。屋根の先端は一部尖っており、その外観はいたって普通だった。ここにあの不気味と囁かれる男が住んでいるとは思えないくらいである。

 バロッサが御者の手を借りて荷物を降ろすと、リゼルを促して屋敷の玄関扉を叩いた。

「すみません。エーベルト家の者です」

 数回扉を叩くと、くぐもった声と同時にゆっくりと開く。

 現れたのは簡素な服を着た、十代半ばと思しき中性的な少年だった。黒髪と同じ色をした瞳がわずかに細められる。

「リゼル・エーベルトと申します。こちらは侍女のバロッサです」

 背筋を伸ばして名を告げたリゼルに少年は手で中を示す。

「どうぞ」

「……し、失礼します」

 そっけなさに少し戸惑いを覚えるも、緊張した面持ちでバロッサとともに屋敷に足を踏み入れた。

 そして、眼前に広がる景色にリゼルは目を見開く。

 最初に目に飛び込んだのは、天井から吊るされた豪奢なシャンデリアである。緻密に作られたそれは花が開くような形をしていて、見る者を圧倒し感嘆の息を吐かせるほどだ。

 玄関付近には対となった銅像が鎮座しており、雄大な鷹が翼を広げ空を見上げている。さらに床はタイルが敷き詰められ、薄っすらとではあるが模様が描かれていた。

 この空間だけでも、リゼルの屋敷より格段に広い。

「ヴェルミオン様は応接間におられます」

「は、はい。あの、あなたは」

「使用人のラシェルと申します」

 ぴんと背筋を伸ばして先を行くラシェルと名乗った少年を、リゼルは周囲を伺いつつ追いかけた。

 静寂が漂う屋敷には他に人が見当たらない。

 もしや使用人が一人だけなのだろうかと驚いてバロッサを見やるが、彼女は何も知らないようで小さく首を振った。

 ラシェルの背中を見つめ、磨き抜かれた床を進む。案内された応接間に足を踏み入れると一人の男がソファから立ち上がった。

 リゼルは息を呑む。

 すらりと手足の伸びた長身の男が身に纏うのは、金糸で刺繍の施された詰襟の服。袖の細部まで凝ったそれは一目見ただけでも値が張るものだとわかり、一種の装飾品かと思うほどだ。

 柔らかそうな金の髪が揺れ、紫水晶の瞳がリゼルを見留めると優しく細められた。

「ようこそ。僕はヴェルミオン・フレッディ。この屋敷の主人だよ」

 弧を描く口元から発せられる声は艶やかで、一瞬目を奪われたリゼルは慌てて頭を下げる。

「リゼル・エーベルトと申します。こちらはエーベルト家に仕える侍女のバロッサです」

 すると隣で深々と頭を垂れたバロッサが荷物を隅に置き、失礼しますと言い残して踵を返した。

 ぎょっとして彼女に口を開こうとするよりも早く、ヴェルミオンが微笑む。

「ご苦労様。エーベルト伯爵にはよろしく伝えておいてもらえるかな」

「かしこまりました」

「ちょっ……ま、待って……!!」

 事情が呑み込めない。

 遠ざかるバロッサを追いかけるべく、慌てて足を踏み出したリゼルの腕がぐんと何かに引かれる。肩越しに振り返ればヴェルミオンが腕を掴んでいて、綺麗な指でソファを指した。

「どうぞ。お疲れでしょう?」

「あ、あのっ」

「彼女はここまでの付き添い。これから君はここで暮らすんだよ」

 どうぞ、と再びやんわりとソファに(いざ)なわれる。

 仕方なく腰かけたリゼルはぎゅっと手を握りしめ、視線を彷徨わせた。

 父からヴェルミオンの屋敷で暮らすのだとは聞いた。

 けれどバロッサも一緒に馬車に乗ったため、当然ながら彼女もここで暮らすものだと思っていたのだ。

 結婚ではなく、婚約という間柄なのだから侍女の一人はいるのだと、勝手に解釈していた。

 リゼルはそろりと目線を上げる。

 テーブルを挟んで対面するソファに腰かけるのは温和そうな雰囲気の男で、細められた紫の瞳は優しい印象を受けた。

 ――とても、あの〝幽霊伯爵〟と呼ばれる男だとは思えない。

 血に濡れた遺品を掲げ、恍惚な笑みを浮かべるような人物と何も一致しないのだ。

 もっと不気味で、陰惨な空気を纏った男なのかと思っていたのに。

 あまりの違いように混乱していると、テーブルに白磁のティーカップが置かれ、可愛らしい花の模様が描かれたそれに紅茶が注がれる。

 顔を上げると、紅茶を注ぎ終えたラシェルが身を引くところが見えた。

「どうぞ。ラクト産の茶葉です、おいしいですよ」

「……いただきます」

 ちらりとヴェルミオンを見るとそう促され、リゼルは手を伸ばしてティーカップを包む。

 口をつけると優しい香りが広がり、少し気分が落ち着きを取り戻す。

「リゼル、と呼んでもいいかな」

「はい」

「正式な結婚は一年後。それまでは婚約者という立場でこの屋敷で生活する――そう聞いているね?」

「……はい」

 頷くとヴェルミオンがラシェルに視線を移す。

「この屋敷の使用人は彼だけ。今まで二人で暮らしてたんだ」

「二人だけですか? 侍女や料理人はいらっしゃらないんですか?」

 リゼルはヴェルミオンの言葉に目を見張った。

 貴族は爵位が上になればなるほど使用人を雇い、あちこちにお金をかける。それは見栄のようなもので、たくさんの使用人を囲み、腕の立つ料理人を雇い悠悠自適な生活を送るのだ。

 豪華な家具や絨毯を取り寄せ、煌びやかな日々を送る彼らにとって使用人の数はどれだけ自分が上位であるかを物語る道具と言っていいだろう。

 けれど、リゼルはその考えをひどく嫌っていた。

「うん。全部ラシェルがこなしてくれるし、僕一人しかいないから。あんまり頓着しないのもあるけど……もし必要なら、侍女の一人くらい雇うけど」

 先ほどの侍女を帰しておいてなんだけど、とヴェルミオンは苦笑する。

「……いえ。結構です。私も身の回りのことは、一通り自分で出来ますから」

 ゆるく首を振るリゼルに、ヴェルミオンが目を瞬いた。

 その仕草にリゼルは慌てて言葉を付け足す。

「そ、その。自立のために、最近頑張っていまして」

 貴族の娘は身の回りの世話を使用人に手伝ってもらうのが常だ。

 しかしリゼルは自分のことは自分で、と思っているためあまり侍女に手を貸してもらうことはない。

 エーベルト家の使用人が十数人しかいないことも一つの理由である。

 それに、貴族の娘らしくない振舞いはできる限り避けなければいけない。

 〝田舎娘〟であることを知られ、それが原因で婚約が破棄されてしまえば自由な生活が奪われかねないだろう。もし破棄されなくても、その振る舞いが周囲に知られないようにと屋敷に閉じ込められるかもしれないのだ。

 どちらにしても、リゼルにとって最悪な未来しかない。

「は、花嫁修業と言いますか……お父様にも、言われていて」

 だんだんと言葉尻が下がっていくリゼルに、ヴェルミオンは変わらぬ表情を向けた。

「そう、ならちょうどいいね。存分に修業の成果を発揮するといい。僕もあまり使用人がいては困るんだ」

「そ、そうですか。……頑張ります」

 意外な反応にほっと安堵の息を吐きつつ、リゼルはぎこちなく笑みを浮かべる。

 近くに控えるラシェルはというと、そんなリゼルを見つめてわずかに目を据わらせていた。それに身を強張らせるとヴェルミオンが優しく声をかける。

「簡単に屋敷を案内するよ。リゼルの部屋も用意してあるんだ」

 ためらいもなく名を呼ばれ、小さく心臓が跳ねる。

 動かない少女に小首を傾げたヴェルミオンは、もう一度名を呼ぶ。

 それにはっと我に返ったリゼルはソファから腰を浮かし、ヴェルミオンを追った。

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