終幕 月と歪みと
イオス・リーベルが気付いたのはどこぞのテントの中だった。
ここはどこだろう。自分は確か装置を暴走させて―――。
そこからの記憶がない。考えようとすると頭が痛む。
「―――思い出さない方がいい。魔獣でいた間の事は、ね」
ふと隣から声が聞こえた。そこに居たのは、
「―――導師っ!!」
「起きなくていい。楽で居てくれ」
フードを被った人影は薄く微笑みながらイオスを制す。なるほど。このお方がいるということは。
「ここは『六の魔』の―――」
「ああ。丁度いいところで駆け付けられたようだね」
魔獣が出現した後、帝国軍は統制が乱れ、その他の者にまで気を配ることができなかった。
―――早い話が、こちらに援軍がいるとは思われなかった。
故に魔獣撃破後に導師率いる援軍が現れると、帝国軍は慌てた。その間に負傷者を拾って悠々と撤退することができたというわけだ。
「それも導師の作戦のお陰です」
故意に装置を暴走させ、魔獣を生み出す。本当はその混乱の最中に援軍が来るはずであったが、
「……すいません。予定よりも早く撃破されてしまったようです」
「いや、構わないよ。お陰で君を失わずに済んだ」
確かにそうだが、何故に自分は生きているのだろうか。自分は確かに魔獣と化したはず。
その疑問に答えるように導師は呟く。
「君は運がいい」
「え?」
「エーテル放射がある一定値以上を超えると、人体にどのような影響があるか知っているかな?」
魔獣化する、はずだ。そうではないのか。イオスは自分の知識を漁って必死に答えを探すが、導師は静かに首を振った。
「違うな。魔獣化は生体エーテルの急速な乱れ、混沌化から導き出される現象だ。ならばそこに一定の法則を与えてやればどうなるか」
導師がスッと差しだすのは鏡。そこに写るのは、
「―――ッ」
「驚くべきことに元に戻る。一部以外は」
そこにいたのは白黒髪の自分。瞳の色さえ片方変わっている。
「我々はこれを『魔人化』と呼んでいる。魔人と化した者は身体能力等の向上が見られるらしい」
ラッキーだな、と笑う導師。しかしイオスは笑うことはできない。
―――そうか。あいつも。
暗い表情で鏡を見つめるイオスを見て、寿命は縮まるらしいがね、とナチュラルに言う導師。何故そんな重要事項を軽く言うのか、この人は。
若干げんなりするイオスを笑いながら、導師が立ち上がる。
「『聖鷹』はもう使えないな。いい隠れ蓑だったが」
「構成員はどう―――」
「ほぼ、だね」
……それはまあ分かっていたことだ。自分の様に運が良い者は早々いまい。
でも、と導師は胸のポケットから一枚のディスクを取りだした。
「予定通りデータは手に入ったよ。君らが散々暴れたお陰で、あちらは施設もろともパアだと思っているだろうがね」
全てはこの一枚のディスクのために仕組まれていたこと。そのためにイオスを、多くの人命を利用した。
「……恐ろしい……」
「抜けるかい?」
「まさか」
自分の目的はもっと先にある。そのための道が例え血に塗れていようと、そこにしか自分の道はない。
「どこまでも付いて行きますよ。ですが……」
「何かな?」
「そろそろ貴方の見据えるところをお教えいただけないでしょうか」
『黒害』の後に行く当てのない自分を拾い上げ、指揮官としての才を見出してくれた方。そしてこの世界を裏から動かす大人物。それだけの人が向かう先を垣間見たい。
それが、イオス・リーベルのもう一つの目的。
イオスの挑戦的な笑みを見て、導師は堪え切れないように哄笑を上げた。
「―――いい。やはり君のその目は凄く私好みだ。いっそ両目とも変異してしまえばいいのではないかい」
「は、話を逸らさないで―――」
「変革」
「は?」
「世界、理からの変革。それが『六の魔』の存在理由」
薄く笑いながら導師はフードを脱いだ。夕月に金糸の髪が透き通るように光る。
「今は私にただ付いてくればいい。過酷な道ではあるがね」
「……信じても良いと?」
「無論。空に揺蕩う紅い月に誓って」
この方の自信満々な顔を見ていると自分が馬鹿らしく思えてくる。だからここでイオスがすることは一つ。
「―――わが命、第六天魔の名の元に。『導師』セラーネ・デモニアス閣下」
自分はどうしてここに居るんだろう。
ノヴァはルナトーク内を歩きながらそんなことを思っていた。
あの変な男たちはノヴァを特騎隊に預けると何処かへと行ってしまった。たくさん迷惑を掛けたのに、結局ちゃんとお礼を言えなかったのが心残りだった。
ただ彼らは去り際に言った。
生きろ、と。
(―――生きろ、か)
それは父が死んだときから抱えてきた疑問。自分に対する問いかけ。
自分はこれから、何を支えに生きていけばいいのだろう。
父を否定され、自分を否定し、これからどう生きていけばいいのか。
そんなことを考えながら、甲板まで足が向いていることに気付く。しかし夕月に照らされる甲板には先客がいた。
一瞬彼かと思ったが、そうではない。もっと美しく可憐な人影がこちらを向く。
「どうしたの?」
セラフ、いやセラーネだ。彼女の正体はエーナが教えてくれた。実は帝国のエラーい人なのだそうだ。
「……そっちこそ」
そう言いながらセラーネの隣にちょこんと座るノヴァ。少し高いところにある甲板からは、夕月に照らされる地平線が良く見える。
「いや、執務室が滅茶苦茶になっちゃってね。掃除の邪魔だってネージェに追い出されちゃった」
それは知ってる。艦で重装殻を踏みつぶすなんて無茶な事をするから。
特に話すこともなく、二人でしばし地平線を眺める。美しい。しかし、何故世の中はこうも醜いのか。
そんな無体な事を考えていると、不意にセラーネが下を指さした。
「……炊き出しよ。いい匂い」
見ると特騎隊の面々が負傷兵たちに料理を振る舞っている。ずる込みをした兵にローリングソバットをかますエーナがいたりして。
だが、彼らの顔には皆笑顔が浮かんでいた。それを眺めながらノヴァは呟く。
「……ねえ」
「なに?」
「生きるって、なにかな……?」
セラーネはその問いに一瞬だけ驚いたが、しかし薄く微笑むとはっきりと言った。
「――わからないわ」
「え……」
「人が何故生きているのか。何故食べて、寝て、笑って、泣いて、恋をして、子供を産んで、そして死んでいくのか。誰にもわからない」
でも、とセラーネは言った。
「答えがないから、答えを探し続けるから、『生きる』って言うんだと思うわ」
呆然と見詰めるノヴァを微笑みながらセラーネは語る。
「答えを探し続けなさい。貴方なりの答えを」
きっとそこには。
「他の誰でもない。貴方だけの道ができているはずだから。それがきっと……」
そこであえて言葉を切るセラーネ。それは幼いノヴァには難しかった。でも、その心は少しだけ伝わった。
ノヴァの戸惑いを感じながら、セラーネはその身体を抱き寄せる。そして優しく呟く。
「――もし行くところがないなら、一緒に来ない?」
「………っ」
「私は貴方と一緒に、その答えを見つけていきたい。だから―――」
それは少女の涙腺を破壊するには十分だった。
自分がどうすればいいかわからない。けれど自分には隣で歩いてくれる人がいる。
そのことに深く感謝しながら、ノヴァは泣いた。
目を泣きはらしながらも元気に駆けていくノヴァ。それを見送りながら、セラーネは反対側の階段から人影が現れたのに気付いた。
色んなところに包帯を巻かれた白黒髪の青年は、ノヴァの足音を聞きながらセラーネの元に歩いて行く。その手には紙の束。
「……報告書だ」
ぶっきらぼうに突きだされる書類に、溜息を漏らしながら受け取るセラーネ。そしてパラパラと目を通す。誤字脱字だらけであったが、概要は掴めた。
「……おおむね予定通りね」
そのお腹以外は、と書類で傷を突っつくセラーネ。激痛につい顔を顰めるリオンを見ながら苦笑するセラーネ。
「秘密裏に潜入、と言ったのに……」
どうしてこんな大怪我をするのか。大きく溜息を吐くセラーネに反論するリオン。
「……あれは止むを得なかった」
「何がどう止むを得なかったって?」
「……相手が強すぎた」
言い訳にしてはあんまりな物言いに、半眼になりながらセラーネは続ける。
「装置の暴走は? 止められたんじゃない?」
「………いや、それは……」
傷のせいだけではなく顔色がどんどん悪くなるリオン。その様子にセラーネは溜息を吐くと、しかしゆっくりと近づき、
「―――っ!」
リオンの胸に頭を預けた。
「……死んじゃうかと思った」
「……すまん」
「私やあの子を危険にさらした」
「……それもすまん」
「……オロカモノ」
顔を伏せているためセラーネの顔は見えない。しかしその耳が赤いのは夕月のせいだけではあるまい。
だからリオンは目の前の少女が壊れないよう、優しくゆっくりと抱きしめた。
彼女の口が、空に浮かぶ月と同じように歪んでいると気付かぬままに。
了