第1幕 人々と涙と
翌日。少女はふっくらとしたベッドの中で目を覚ました。
薄眼を開けて周りを見る。窓にはカーテンがかかり、部屋を薄暗く浮かび上がらせている
清潔感のある部屋だ。黒ずみや埃もなくよく掃除されている印象がある。見覚えは当然ないが、一度も泊ったことのない高級ホテルを何故か感じさせた。
それにしてもこのベッドのなんという抱擁感か。久しく忘れていた怠惰な感覚に身を任せたい衝動が駆けあがったが、不意に聞こえてきたドタドタという音にすぐさま顔を上げる。
「しっつれいしまーす!」
威勢のいい声と共にドアがバターンと開く。そしてツカツカと部屋に入ってカーテンをガーッと開くと、彼女はニッコリ笑って言った。
「うん、いい天気! ね、ノヴァちゃん♪」
「……ノヴァ……」
そう。ノヴァ・リヒテンダール。それが自分の名前だ。
父親が付けてくれたたった一つの名前。彼が誕生日にくれたペンダントに手が触れる。
「……………っっっ!!」
そうだ。自分の父、カイル・リヒテンダールは死んだのだ。男手ひとつで自分を育ててくれたあの父が。
ノヴァの視界がぼやける。昨日あれだけ泣いたというのに、悲しみは全く色あせていない。
辛い。この身が千切れそうなほど。だから、ノヴァは両の頬を叩いた。小さい音が響き、頬がヒリヒリと痛みだす。
父が教えてくれたのだ。辛かったり落ち込んだ時はこうしろと。
ノヴァは一度深呼吸して、うんと頷く。大丈夫、もう泣かない。
目の前の少女はそんなノヴァを待ってくれていた。慰めることもなく、しかし慈しみを感じさせる瞳で。
「……ええっと…」
そう言えばこの人の名前を知らない。昨日あれだけ泣きじゃくる自分を慰めてくれたというのに。
そんなノヴァの戸惑いに気付いたのか、ショートテイルの少女はにっこり笑ってウインクひとつ
「初めまして。マリエーナ・テンガだよ。よろしくね♪」
「エーナ、これからどこ行くの?」
「総隊長室。要はここでいっちばん偉い人のところ」
マリエーナ(本人はエーナと呼んでほしいらしい)に手を引かれて廊下を進む。
時々彼女と同じ様な格好をした人とすれ違う。ノヴァに気付くと皆手を振ったり会釈してくれたりするが、そもそもここは一体どこだろう。
「ねえ、ここどこ?」
「ん? えーと、5番通路、かな…」
廊下の標識を見ながら自信無さげに答えるエーナ。いや、そういうことではなく。
「この建物」
「あ、ああ。そういうことね。うん、なるほど。いやわかってたけどさ。あはは……」
エーナは不必要なほど頷くと、自信気な笑みを浮かべた。
「ここはなんと艦の中でーす!」
ババーンという効果音と共にポーズをとるエーナを、ノヴァは純粋無垢な目で見つめる。
「でも全然うるさくない。揺れもないし」
自分の知っている限り、陸上艦というのは五月蠅く走るのが常識だ。キャタピラ走行の性というものだろう。
あと揺れも大層酷いものだ。なにせココアを飲もうとしたらすべてこぼれてしまうのだから。
そこに関して詳しい話が聞けると思いきや、エーナはタラリと汗をたらしながら目を逸らす。
「い、いや~。そこはほら、未知のテクノロジーというか、その、むしろオーパーツ的な何かが搭載されていたりして……」
しどろもどろになっていくエーナを若干気の毒に思っていると不意に、
「それはこの艦が世界で唯一、大型核活性機構搭載完全浮遊走行を可能にしているからよ」
凛とした声が廊下に響いた。
美しい声の方に顔を向けると、そこには想像よりも遥かに美しい少女がこちらに笑いかけていた。
煌びやかな金糸の髪。艶やかな唇と整った顔。碧い瞳は強い意志を感じさせ、エーナとそう変わらないデザインの服なのに気品さを感じさせるたたずまい。そしてそれが包み込む女性の理想形とも思えるグラマラスボディ。
同性異性問わずこの少女には目を奪われずにはいられないだろう。一瞬と言わずずっと見ていたい芸術品の様な彼女に、ノヴァも息を呑んだ。
「…キレイ……」
無意識に口からこぼれる言葉に少女がニッコリと笑う。その笑顔が眩しすぎてノヴァはなんだか恥ずかしくなり、ささっとエーナの後ろに隠れてしまった。
「あ。ダイジョブダイジョブっ。怖い人じゃないよ」
そうは思ってないが、顔が赤くなっているのを見られたくないというかなんというか。
そんなノヴァの気持ちを知ってか知らずか、少女はゆっくりとこちらに近づくと、
「ノヴァ・リヒテンダールさん」
名前を呼ばれ、少女と向かい合う。その瞳は吸い込まれるほどに碧くて。
「私はセラフ・ヴィクトリア」
彼女は何処か自信満々な笑みを浮かべて、手を差し出した。
「ようこそ特騎隊へ」
ノヴァは純粋な疑問を語った。
「『とっきたい』って何?」
「ヴィクトリア特別巡回重装騎士大隊。略して特騎隊。ま、要は重装殻専門のトラブル屋みたいなものね。で、ここがその活動拠点の一つである移動戦艦ルナトーク」
最近は重装殻や戦艦を比較的安定して稼働させることが可能になり、人々の生活にも広く普及することになった。しかし同時にそれによる事件や抗争も大幅に増加した。
この組織はそれらのトラブルに対応するための組織なのだと、彼女はそう語った。
「セラー…じゃなかった。総隊長。そんな難しいこと言っても分かるわけが……」
「なるほど」
「ええええええッ!!」
オーバーリアクションなエーナは置いといて。とりあえずノヴァが今言わなければならないことは。
「……助けていただき、まことにありがとうございました」
「礼儀正しくて大変結構。……ネージェ」
セラフが指を鳴らすと、どこからか現れたこれまた美しいメードがノヴァに首に何かを掛ける。
「乗艦許可証よ。それを持ってる限り、貴方はこのルナトークのお客様」
歓迎するわ、と笑う彼女にノヴァも思わず頬が緩む。エーナはそんなノヴァを見てプクーッと頬を膨らますと、
「そうたいちょーっ! 彼女に艦の中を案内したいのですが!」
と、わざとらしく大声で言った。そんな彼女にセラフはクスクスと笑みを浮かべる。
「ええ。もちろん許可するわ。ただし危ないところはダメよ」
「イエス、アイマム!」
エーナはビシッと自分で言いつつ敬礼すると、スッとノヴァに手を差し出す。ノヴァはすぐに察するとその手をしかっと握った。ニッコリと笑うエーナ。
「じゃあ行ってきまーす!」
「まーす」
二人で手を繋いで総隊長室を出ると、丁度入れ違いで人が来ていた。そしてその姿を見て、ノヴァはぎょっとした。
セラフとは別の意味で印象に残る青年だ。確かに整った顔だが、しかしその髪が、
「……モザイク」
ファッションで髪を染める者はいるだろうが、彼の様に無作為に白と黒のラインが入る者もそうおるまい。
そして何よりその深い黒の瞳は、どこか悲しみを秘めている様で―――。
「……何か」
言われてじっと見ていたことに気付いた。
何処か気恥ずかしくなったノヴァは、エーナの手を引いてすぐさまその場を離れる。そして曲がり角を曲がると、エーナにこそっと耳打ちした。
「あ、あの人は……?」
エーナはニンマリと笑うと、あの人はね、とウインクひとつ。
「重度馬鹿こじらせ症候群のひ・と♡」
「大活躍だったそうね。リオン・テンガ重装騎士長どの」
「………」
口では笑いつつも目は全く笑っていないセラフに、リオンは沈黙でもって返す。
「重装殻のオーバースペックでの使用、並びに魔獣戦での深刻なまでの腕部へのダメージ。そしてダメ押しの半壊した腕での魔獣討伐」
あのねえ、とセラフは溜息を吐く。
「魔獣一匹に重装殻一騎じゃあどうにも採算が合わないわけ。そもそもあんたは普段から重装殻の扱い方が荒いって整備班からも苦情が来ていてね―――」
流れる様なセラフの嫌味。それに慣れきっている白黒髪の青年は、特に何も言わずに聞き流す。
セラフもそこをよく分かっている。なのでそうクドクド言わずに溜息を吐くと、そっぽを向いてポツリと言った。
「でもまあ………よくやったわ」
リオンの瞳が微かに開くのを見て、セラフは顔を赤くする。
「ま、まあ! 善良な市民を助けるのは当然のことなんだけど! 頑張ったことは少しだけ評価してあげてもいいっていうだけで……」
「セラーネ……」
リオンが目を伏せ、小さく頭を下げる。
「……すまん。いつも」
「……今はセラフよ。このオロカモノ」
セラフの顔がますます赤くなり、二人の間に微妙な空気が流れる。
その時パンっという拍が部屋に響き渡った。二人がビクッと肩を震わすのを見て、ネージェはニコニコと笑いながら言う。
「お嬢様。お戯れはそのくらいで」
「……え、ええ。勿論」
セラフはオホンと咳払いすると、居住まいを正して椅子に座りなおす。そしていつもの毅然とした顔になってリオンに問いかける。
「――で、強盗犯カッコ魔獣被害者カッコトジについての情報は?」
「……手口から言ってここを荒らしまわっていた盗賊団で間違いないようだ。出現時期は1か月前から。目的は金品の強奪及び人身の売買だと思われる」
ペラペラと報告書を捲るリオンになるほど、と腕を組むセラフ。
「だとすれば他組織との繋がりが在る可能性が考えられるわね。後追いは?」
「……特2斑が現在調査中、らしい」
「よろしい。被害者、リヒテンダール博士の積み荷は?」
「……これだ」
差し出された資料にさっと目を通す。そしてふむふむと頷くと、ニヤリと笑った。
「なるほどね」
「……悪だくみか?」
「まあね」
しれっと言うセラーネ。まあいつもの事だが。
「大体のところは把握したわ。下がってよろしい」
「イエス、アイマム」
静かに敬礼して下がるリオンに特騎隊総隊長はああ、とひとつだけ付け加える。
「報告書は副斑長に任せず自分で書きなさい」
「………善処する」
礼をして去っていくリオン。それを見てセラフがポツリと呟く。
「……落ち込んでたわね」
「お嬢様のせいではないかと」
いつも通りニコニコと笑う従者にセラフはわかっているわ、と溜息を洩らす。
「……故郷だものね」
その目は窓から見える景色の更にその先を見つめていた。
「おおおおおおーーーーーーっ!!」
興奮するノヴァの声が格納庫に響く。
整備する面々が驚く中、そんなことは一切気にせず走り回るノヴァ。
「すごいすごーい! エーナ! 重装殻がいっぱい!!」
「そうそう! いっぱいたくさんモウマンターーーイ!!」
一緒になってはしゃぐエーナもすごいが、それを生温かく見守る整備班も相当訓練されていると見て間違いないだろう。
「ねえねえエーナ。これって『リード・キャリバー』?」
「うん。よく知ってるねー」
「他にも知ってるよ。『リーキャリ(略称)』は帝国が軍用に開発した第31世代型重装殻『キャリバー』の正当発展型で、主に通信機能や運動性の向上、出力に至ってはなんと当社比三十パーセント増って言われててね。他にも腕に搭載されたモーターがうんたらかんたら。全体的なデザインもどうたらこうたら」
「お、おう……」
最初こそ元気よく頷いていたエーナであったが、説明がマニアックになるに従ってその笑顔は徐々に陰っていき、
「ね、ねえ。ノヴァちゃん?」
「開発者によれば―――ん? なに?」
「随分詳しいみたいだけど、それ誰から教わったの?」
その当たり前すぎる問いに、しかしノヴァは可愛く首を傾げて言った。
「習ってないよ。自分で勉強したの」
「はえっ?!」
「ノヴァはね、重装殻の開発もするんだよ。すごいでしょ!」
その答えにたちまち混乱するエーナ。だがそんな彼女に偶然助け船が。
「―――もしやN式・核活性機構を考案したのも貴方でありますか?」
「サブ!」
そう言ってエーナが振り向いた先には、没個性を絵に描いたような角刈りの青年が直立不動で立っていた。
サブと呼ばれたその青年はツカツカと二人に近寄ると、エーナよりも遥かに素早く鋭く敬礼を行う。
「失礼。特騎隊重装殻部隊第1班副班長サブリナ・グンタヌークであります」
そして真顔でノヴァと視線を合わせる。なんとなく圧を感じてエーナの後ろに隠れる彼女にサブは続ける。
「かのカイル・リヒテンダール博士のご令嬢にお会いできて光栄であります」
その言葉にはっとするノヴァ。
「パパのこと、知ってるの?」
サブは無論、と頷くと重装殻を見上げつつ言う。
「エーテル工学者としてその類稀なる才能と理論で帝国のみならず世界の発展に寄与し、ファラルド科学賞他多くの栄誉ある賞を受賞された方です。普通の人なら知ってて当然かと」
「すごいすごい! エーナは知らなかったのに!」
「は、はは……」
子供って無邪気にディスるよね……。
落ち込むエーナは隅っこでのの字を書く作業に。その間ノヴァとサブはなにやら重装殻関連の話で盛り上がる。
「―――なるほど。やはりN式のNはノヴァのNでしたか」
「そうそう。他にも重装殻のデザインとかもノヴァがしててね。それを軍やみかんの会社とかに卸したりしてて」
「……民間、ですか」
「あ、そうそう。それ!」
二人の楽しそうな会話を端っこから見つつ、エーナは苦笑する。
なるほど。一番初めに格納庫に行きたい、なんて言うわけだ。
重装殻を見てキラキラと輝く瞳。彼女のアイデアを形にしていった父親も、こんな気持ちだったのだろうか。
エーナは夢想する。娘が画用紙に描いた騎士を見て満面の笑みを浮かべる父の姿を。そしてそんな父を手伝おうと奮闘する娘の姿を。
(そりゃあ大好きなわけだね……)
自分には親がいない。憶えてもいない。それを不幸だと思ったことはない…が。
(少しだけ羨ましい、かも……)
などと思っているとエーナのお腹がぐう~~~~っと大きな音を立てた。格納庫中の視線が彼女に集まる。
「あ、あはは……」
エーナは頭を掻きつつ立ち上がると、スッとノヴァに手を差し伸べた。
「お腹すいたからご飯食べに行こっ」
「うんっ!!」
ノヴァは元気よくその手を掴むと、もう片方の手をサブに差し出す。
サブは一瞬硬直し、しかし周りを見回して、その手が自分に差し出されたのを確認。たちまちの内に赤面した。
「ほら。サブも一緒に行こっ」
「いっしょーー!」
二人の笑顔に困惑しつつ諦めたサブは、ノヴァの手を恐る恐る取り、三人で仲良く食道へ向かった。
「閣下。不審者を捕らえました」
「不審者……?」
部下からの報告に眉を顰めるイオス。また密入国者か何かだろうか。それとも例の盗賊団の生き残りか。
「おい、入れっ!」
部屋に連れられてきたのは十代半ばほどの黒髪の少女。その顔を見てイオスは目を見開く。
「お、まえ………?!」
「? お知り合いですか?」
「あ、ああ……。いや……」
必死の鉄面皮で驚きを押し隠す。落ち着けイオス・リーベル。ただの他人の空似じゃないか。
「……しばらくこの娘と二人きりにさせてくれないか?」
「え?」
「頼む」
「は、はい……」
上司からの珍しい言葉に素直に従う部下。そして二人きりになった室内で、イオスは少女をじっと見つめた。
(……似ている)
無論別人なのには間違いない。彼女が生きていたら年はもう少し上だろうから。
「………」
「――あ、済まない。知り合いに似ていたものでつい、な」
イオスは慌てて眼鏡を直すと少女に尋ねる。
「名前は?」
「………」
「どこから来た? なんの用でここに?」
「………」
何故喋らない。しかし理由はすぐにわかった。彼女の首に走る生々しい傷跡を見て。
「……そうか。すまない」
イオスは立ち上がると手帳を取り出し、ペンと一緒に彼女に差し出した。すると途端に凄まじい速度でペンを走らせた。
どうやら彼女は運び屋らしい。ここに定期的に薬品やら機材やらを運ぶために雇われた只の民間人のようだ。
しかし問題なのは彼女がここに来た方角だった。
(見た可能性がある、か……)
イオスは彼女から手帳を受け取ると、しばしの逡巡の後に部下を呼んだ。
「お呼びでしょうか?」
「この娘を空き部屋にでも入れておけ」
「……スパイ、でしょうか?」
「いや………」
彼女の不安そうな顔が目に映る。そこから目を逸らし、イオスは部下に吐き捨てる。
「とにかく拘束だ。一応手錠はしておけ」
「はっ」
部屋を出ていく少女と部下。彼女の顔を思い出し、イオスは額を押さえた。
「そんな目で俺を見るな……!」
ずらずらと自分の前に並ぶ皿。それらを呆然と見ながらノヴァは呟く。
「……エーナ。こんなに食べれない……」
「ん? 大丈夫大丈夫。食べれるって」
そうは言うがすでに並んだ料理は十人前はあろうか。すでに三人で食べきれる量ではないのだが。
チラリと隣を見るとそこには平然と座るサブの姿が。
……これはなにか? おかしいのは自分なのか?
そんな思いを抱きつつ、ノヴァが席に着くとエーナはパンと手を合わせる。
「いっただっきまーす!」
「……いただきます」
「頂きます」
三者三様に料理に口を付ける。その中で最もリアクションが大きいのはノヴァだった。
「お、美味しい……! これ、すごく美味しい!」
「でしょー! ここのおばちゃん、元は宮廷の料理人だったんだから」
しかし満足げに言うエーナを見て、ノヴァは絶句した。
すでに空の皿が二つ。何が乗っていたかは憶えていないが、それでもこんな一瞬で食べれる量ではなかったはずだが。
ノヴァが顔に青線立てながら横を見ると、横のサブは飯物をちまちまと食べている。よかった。サブは普通だ。ならばおかしいのは自分の目か。
黙々と手を動かしつつサブは思った。誰にでも分け隔てなく接するのは良いが、初対面の人を食事で引かせるのはどうなのか、と。
そんな思いなどつゆ知らず。猛烈なスピードで料理をかき込むエーナは、非常に鬼気迫る様子であったが、
「あらあらまあまあ。ご覧ください、ジン兄さま。相変わらず下品な食べ方ですわね~」
「む?」
そんなことを言いながら隣のテーブルに着くのは、異国の装束に身を包んだ二人組。
ノヴァは父に聞いた話を思い出す。確か東国アズマの人々がこんな恰好をするんだったろうか。
そんな二人の片割れ、美しい黒髪を綺麗に切りそろえた少女をエーナはジロリと睨む。
「なにさヒビキ。なんか文句でもあるわけ?」
「あら下賤。気易く話しかけないで下さいます? 意地汚さが移りますわ」
言いながらすかさずハンカチで口を覆うヒビキと呼ばれた少女。彼女は隣の長い髪をアップにした方にねえ、と話しかける。
「ジン兄さまもそう思いますわよね? ね?」
「うん。拙者はパスタにするぞ。ヒビキもそれでいいか?」
……ヒューと言う風が場を吹きすさぶ。そして一拍置いてのエーナの爆笑。
「だーーはっはっはっはっは!! スルーされてやんのー。やーいバーカバーカ!」
「な?! そっちこそ最近リオンさんに構ってもらえなくて寂しいー、なんて言ってたくせに!」
「そ、それは今関係ないでしょーーー!!」
二人がテーブル越しにぐぬぬ、と睨みあう。
「この低身長!」
「貧乳!」
「高飛車!」
「ド貧乏!」
延々と続く二人の口げんかにオロオロと周りを見るノヴァ。しかし慌てている者はひとりもいない。ただまあ近くの者がそそくさと離れるくらいには認識しているらしい。
今にも掴みあいに発展しそうな二人。しかしサブもジンと呼ばれたもう一人も特に何もしようとしない。
―――だったら。
ノヴァはパンと頬を叩くと二人に叫んだ。
「あ、あのっ! ケンカはめーーーーーーーっ!!」
そこで二人の動きがピタッと止まった。そしてノヴァを見ると一転、正気に戻ったようにすぐさま平伏する。
「ご、ごめんねノヴァちゃん。怖かったよね。ごめんね」
「申し訳ございません。わたくしとあろう者がこのような醜態を晒すなど」
二人仲良くぺこぺこと頭を下げてくるので、なんだかノヴァは怒るよりもおかしくなって笑ってしまった。
「……気を取り直しまして。わたくし、ヒビキ・ユズハと申します。どうぞよしなに」
そう言って深々と頭を下げるヒビキに、ノヴァもよろしくお願いします、と頭を下げる。
「拙者はジン・マゴロクと申す。シクヨロす」
そう言ってビッと親指を立てるもう一人。一見女に見える顔立ちだが正真正銘男らしい。本人いわく『漢』らしいが。
「ノヴァさんはお幾つなのですか」
同じテーブルに着く5人。
「んとね。十二歳」
「なるほど。わたくしと三歳違いですね」
「じゃあヒビキは十五?」
「ええ。嬉しいですわ。この艦に私より年下がいらっしゃるのは初めてですから」
そうやって笑う顔は淑やかと言うのだろうか。セラフと似た美しさを感じる。
「やーい。最年少~」
「五月蠅いですわ。誕生日が二月早いだけのくせに」
「じゃあエーナも十五?」
「ううん。あたしは十六。一個上」
驚愕の事実にノヴァの目が見開かれる。
「もしかして二人とも重装殻乗るの?!」
「うん」「嗜む程度に」
「すごいすごーい!」
重装殻は動く鎧である。装着者の動きを増幅しフィードバックするその機構は、相当にクセがあり、通常の単純作業用のものでも自由に動き回るには相当の修練が必要とされている。
しかもこの艦に配備されていたのは軍用重装殻。自由度や汎用性は圧倒的に高い代わりにその操作の複雑性も相乗的に跳ね上がる。
だというのにこんな少女たちが乗りこなせるというのか。信じられない事実にノヴァの鼻息も荒くなる。
「ね、ね。ノヴァにも乗れるかな?」
「うーん。多分?」
「頑張れば一ヶ月くらいで乗れますわ」
「ノヴァさん。エーナさんたちを基準に考えないでください。お二人とも『天然』なので」
言葉の意味は分からなかったが、サブの目が本気だったのでそういうことなのだろう。
「そういえば女子よ。そなたの荷物を見たが……」
パスタを箸で食べるレンがマイペースに話しかける。
「アレはなかなかカッコいーな」
「そうでしょそうでしょ!」
「え、なになに? なんの話?」
ハイカラだ、と笑うレンにかぶりつくエーナ。そんなエーナにノヴァはニコッと笑う。
「あれは型式HAMR-XX01S。銘は『メサイア』」
重装殻だよ、とノヴァは言った。
「センパーイ。暇ッスー」
古臭い軽自動車を運転しながら青ツナギの男がぼやく。助手席に座る黒ジャージの男は変な目の書かれたアイマスクをずらして反論した。
「なんだよ。ラジオでも聞いてろよ」
「だってここ文明放送圏外なんですもん」
「……じゃあしょうがねえか」
あっさり諦める黒ジャージ。欠伸をしながら目をこする彼を横目で見ながら、青ツナギが提案する。
「シリトリでもします?」
「なんでだよ。子供かよ。……いや、今時の子供ってシリトリすんの?」
言いながら思いついた疑問をそのまま口にする男。それに慣れっこの青ツナギはとりあえずスルーの方向で動くことにする。
「じゃあ重装殻の型式当てバトルとか?」
「それEじゃん。HAMR-01105」
いきなり乗ってくる黒ジャージ。予想通りの喰いつきに青ツナギの気分も上々に。
「『キャリバー』。基本っしょ♪ HAMJ-541」
「『ミレース』。……まあ直に騒がしくなるっての。ウゼエくらいにな」
とっぷりと日が暮れて。ノヴァは一人甲板に続く通路を歩いていた。
小さくゲップが出る。自分のためにと行われた歓迎会。少しばかり食べすぎた。
それにしてもお祭りの様だった。ノヴァの周りに人が集まって一発芸だの手品だの、挙句の果てには呑み比べだのと大騒ぎ。いつの間にか自分の存在関係なしの乱痴気騒ぎになり果てた。
「……きっと」
きっと自分を気遣ってわざと暗い雰囲気を出さなかったんだろうな。勿論普段からこんなな可能性もあるが。
「エーナ、セラフ、サブ、ヒビキ、ジン………」
今日憶えた名前をひとつずつ数えていく。こんなに知り合いが増えた日は今までにない。それが嬉しい。
……でも。
「……ない」
あの時自分を助けてくれた重装殻の装着者。それがどうしても見つからない。
自分はてっきりエーナだと思っていたが、彼女は後から来た重装殻の方で、その人とは違うらしい。
……でも名前は教えてもらった。それに居場所も。
その人物は今時分は大概甲板にいるらしい。でも引かないでねー、と言われた。
どういう意味だろう。そんなことを考えている間に足は甲板に到着する。
「わあ………っ」
地平線いっぱいに広がる星空。それはまるで自分が空中に立っているような錯覚に陥る。しかしその錯覚のなんと気持ちいいことか。
現在は艦が停まっているのか風はそんなに強くない。目を瞑れば木々のざわめきや鳥の鳴き声も聞こえそうだ。
しかしそんな静寂の中で奇妙な音が聞こえてきた。
キュッという摩擦音とバンッという拍音。風を切るような音と、そして時々聞こえる息使い。
……なんかいる。
その音の出所に近づくと、徐々にその主が見えてくる。
その男は裸だった。いや、パンツ一丁だった。もう冬も近いというのにそんな恰好で一心不乱になにをやっているのか。
「………あ」
その顔を見て気付いた。総隊長室ですれ違った白黒髪の青年。否、年頃は少年と青年の間、というところだろうか。
一見細身に見えるその身体は、よくよく見れば高密度な筋肉で覆われており、同時にしなやかさと強靭さも感じられる。
彼が行っているのは武道の型であろうか。本来はひとつひとつ区切って行われるであろうそれを、この男は高速で間断なく行っている。時には横に移動しながら、時には空中に飛び上がりながら。
「おお……!!」
普通の感性を持つものなら、彼の混沌とした動きに戸惑いを隠せないものだが、ノヴァは違った。カオスの中にも整った、芯の通った美しさを感じたのである。
やがて男の動きは収束に向かい、そしてゆっくりと止まった。
彼の荒い息使いが聞こえるなか、ノヴァは自然と拍手をしていた。なんだかよくわからないが、そうしたい気分だった。
息を整えつつ、男が近づいてくる。そしてノヴァの前でしゃがむと、
「……迷子か?」
と言った。ノヴァはすぐに違うと言いたかったが、それよりも彼の身体に息を呑んだ。
傷だらけなのだ。大小様々な傷が全身くまなく存在している。そして普通の人はなかなか気付かないであろうが、彼の左腕は肘から先が精巧な義手であった。
エーナの言葉の意味が分かった。無意識にノヴァの足が後ずさる。
彼女の視線に気付き、男は少しだけ苦笑した。そして立ち上がるとノヴァの横を通り過ぎ、
「……すまん」
そう、呟いた。
―――きっとそれは、怖がらせた事にだけではなくて。
ノヴァは叫んだ。
「リオン・テンガ!!」
リオンの足がピタリと止まる。
色々と言いたいことがあった。でも、
「………っつ!」
でも、今の自分にはこれが精一杯。
「……あ、ありがとう。だすげでくでて……」
それ以上は言えなかった。よくわからない感情がマグマの様にごちゃまぜになって、涙が止まらなかったから。
だから、今はこれだけを。
「ありがどう………っっっ!!」
その言葉に彼は少しだけ笑って、その場を立ち去った。
続く