雪道
昨晩降った雪が、道に白く降り積もっている。街灯の光に反射してキラキラと光っているそれのせいで、いつもの道がまるで知らない道のように思えた。
私のブーツに踏みしめられた雪がサクサクと音を立てる。そこに、もう一つの足音が重なるように音を立てていて、しかし重ならない。私はふと顔をあげ、いつもと少し違う、なんだか新鮮な感覚で彼を見つめ直した。長身に、均整の取れた肉体。すれ違う人が振り返るくらいの精悍な顔立ち。帽子からはみ出しているの髪は、めずらしいことに空色をしている。そんな人と歩いているという事実に、何だか強烈な違和感をおぼえた。
「なんだよ、どうかしたのか?」
振り返って霧橋が言う。マフラーに覆われた口もとから、白く湯気が立ち上る。
(いまさら)
と私は思う。入学してからずっと、こうして毎日歩いてきたのに。いまさら違和感をおぼえるなんて、変だ。
「ううん、何でもない……」
本当は分かっている。そんな理由なんて。
(……最後だからだよ……)
小さくつぶやく。「なんだって?」と霧橋は聞き返してくるが、答えてはあげない。もし口に出したなら、同時に、何か口に出してはいけない思いまで口をついて出てしまいそうで。私はけっきょく、また地面に視線を戻した。
道路には雪が積もっていて、車が通ったタイヤの部分だけ、地面の色が見えている。私はそこを歩かずに、あえて雪の降り積もっている方を歩いた。さすがのブーツにも雪がしみこんできて冷たい。
明日には全てが決まる。この先の人生すべてが、だ。霧橋は間違いなく主席を取り、私もそれなりの上位を取って卒業して行くのだろう。卒業したあとの道は別々だ。大きく離れて行って、再び会うことはないだろう。
(いや、もし会ったとしても……)
その時はきっと、敵として。だから、もう二度と会わない方がいい。
こうして、共に学べていたことの方が驚きなのだと、私は改めて今までの日々を振り返った。征服貴族の娘である私と、青い髪の先住民。これが、隣に机を並べ、共に鍛錬し、厳しい訓練に共に耐えることができる場所など、この学校をおいて他にはなかったに違いない。
ふたりの間に広がる沈黙が、なんだかやけに重たい。霧橋は口数が少なく、沈黙など普通のことであったはずなのに。しかし、私はあえてそれを気にしないふりをした。口にしてはいけない思いを口にしてしまうより、最後のこの一日を、胸に焼き付けておきたかった。
サク、サク……という音だけが鳴っている。霧橋は両手をズボンのポケットに突っ込んで、寒いからか、少し背中を丸めて歩く。
「なあ」
とうとつに霧橋の声がして、私は顔をあげる。霧橋は振り返ることなく続けた。
「今日で、最後なんだよな」
ギュッと、心臓を鷲掴みにされた気がした。私は浅い呼吸で「そうだよ」と答えた。自分がずっと言わずに、目を背けていたかったことを口にした。そんな彼の無神経さにわずかに怒りが湧いたが、そんなことよりもずっと、恐れの気持ちの方が強かった。
「なぁ」
と、また霧橋は言う。次は何が飛び出してくるのかと、私は内心身構えていた。霧橋は私の方を振り返ると、少し変な顔をした。
「おまえ、そんな雪のところばっか歩いて、冷たくないのか?」
私は、身構えていたからよけいに、思わず笑ってしまった。笑われた霧橋が少しむっとした表情をする。するといきなり、霧橋は私の肩をつかんだ。驚いた私は笑うのをやめた。何するの、と言おうとした瞬間、霧橋は私の肩を抱き寄せ、雪の上からタイヤの溝へと移動させた。「ほら」と霧橋が言う。
タイヤの溝は、二人で歩くのには少しせまい。どうしても霧橋の体に触れてしまって困る。うつむいて顔を隠した。恥ずかしくて、嬉しくて、心臓がさっきとは別の意味でギュっと掴まれているような気がした。すると、霧橋の手が私の手に触れた。あわてて引っ込めようとすると、掴まれた。そのままさまぐってゆき、霧橋の指が私の手のひらに到達すると、霧橋は私の手をつつみこんだ。手袋をしていない私の手は冷たく冷え切っていて、ずっとポケットに入れていたらしい霧橋の暖かい手に、思わず心がほっと休まった。彼は私の手をつないだまま、無言で私の手をジャンバーのポケットに入れた。
今までに感じたことのない距離に霧橋がいる。初めはひどく緊張していたが、だんだん慣れてきた。すると、大きな安心感に包まれた。頭を霧橋の肩によせる。背が高いので、頭を方にのせることはできなかったが。息を吸い込むと、しびれるような冷たい空気の中に、かすかに彼の香りがした。
「何?」
と、霧橋が言う。言葉は、自然に口をついて出てきた。ずっと、言いたかった言葉。ずっと、いえなかった言葉。
明日になれば、全てが決まる。決まってしまう。それでも、今はこの一瞬がひどく輝いて見えた。