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思い出の中の

作者: 中原 ゆえ

 仕事終わりの帰り道。

 イチョウの葉の舞い散る遊歩道を歩きながら、タバコを一本取り出し咥え、火をつける。

 子供と呼ばれなくなって、もう何年経つのだろう。タバコが吸える年になって、更に数年。もう誰からも大人としか見てもらえなくなった。

 Tシャツから、シャツ、Yシャツ、スーツへと変わり。スニーカーだったものも、今ではくたびれた革靴だ。

 タバコが吸える年を越えて、できることは増えた。することも増えた。

 けれど、いつも考えるのは、幼かった昔のこと。

 放課後のグラウンドで、日が暮れるまでサッカーしたこと。授業がつまらなくて、先生の見てないスキを狙って手紙を回して遊んだこと。掃除中にホウキで遊んで怒られたこと。母親に構って欲しくて、わざとイタズラばかり繰り返したこと。

 ふぅ、と一息。わざと音をたてて煙を吐き出して、また思い出に浸る。

 その中でも、一番覚えているのは、母親が自分のためだけに作ってくれた、お子様ランチ。

 小さなハンバーグ、それもケチャップだけのものがふたつ。横に小さく盛られた、キュウリとポテトだけのポテトサラダ。甘く煮た、人参のグラッセ。そして、プリンやゼリーの空き容器で型を取られて盛り付けられた、チキンライス。

「おめでとう」

 その一言から始まる、嬉しい日。それには決まって、お子様ランチが付いてきた。

 でも、その心遣いも、ありがたみも知らない頃は、決まって答えていたのは『ありがとう』なんかじゃなかった。

「えー、なんで--だけ、お子様ランチなんだよ! --も同じものが食べたい!」

 そう、知らなかったんだ。お子様ランチに、どれだけ手がかかっていて、どれだけの願いが込められているかなんて。

 まだ、自分を『僕』でも『私』でも、表現できなくて、自分で自分の名前を呼んでいた頃には。

「そうお? でも、ママ一生懸命作ってみたの、少しでいいから食べてみてくれない?」

「やだやだやだー! 一緒のがいい!」

「もう、しょうがないなぁ--は。パパのと交換してあげよう」

「わーい! パパありがとう!」

 そう、今まで出されたお子様ランチは、一度も食べたことがなかったと思う。とりあえず、記憶のある限りでは。

 食べた記憶がないから、どんな味なのかなんて、覚えてるはずもない。

 でも、母親が一生懸命作ってくれた事は、思い返しても簡単に想像できる。

 子供の一口か、二口サイズのハンバーグ。そんな小さな物の為に、時間をかけて作ってくれて。

 子供でも食べられる甘い味付けの人参のグラッセ。いつも父親が、甘いなーと言いながら食べていたそれは、少なくとも調理中の15分近くは火のそばにいなくてはならなくて。

 小さいプリンの容器に収められる程度の量の、チキンライス。たったそれだけの為に、使われた材料たち。

「懐かしいな……」

 食べなかったからだろうか、思い出にしっかり残って、懐かしいと思うのは。

 それとも、その母がもういないから、思い出して懐かしいと思うのだろうか。

 もっと早いあいだにねだれば、食べられたはずのソレは、もう食べることのできない味。

 食べてさえいれば、と思うこともある。だけど、と続くその続きの言葉は、タバコを吐く息で掻き消えた。

「早く帰ろう」

 そう、一人つぶやいて、家路へ急ぐ。

 あの頃とは、行く先も変わったけれど、帰る先もまた変わった。

 遊歩道の先、信号をわたって、まっすぐいった先のアパート。茶色のドアをあければ、暖かな空気と

「おかえりなさい」

「パパ、おかえりー! ねぇ、今日もご飯交換してよ! パパのが食べたいんだ!」

 そんな、家族たちの声。

 子供達は知らないだろう、交換したご飯の料理の美味しさを。暖かさを。そして、涙を含んだ少しの塩辛さを。

 だけれど、子供だけが知ってる、父親の料理の、母からの愛情深さと美味しさも、また味わって欲しいと思うから。

 だから、今日も帰ろう、家族の家へ。

 そして、一緒に食卓を囲もう、暖かい空気とともに。

今回は、Bash!の企画『食』での短編になります。

皆様よろしければ、タグから他のメンバーの書いた『食』物語が読めますので、どうぞそちらも読んで頂ければ嬉しく思います。

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― 新着の感想 ―
[一言] 自分はまだ、”親”という立場には立っていませんがもしそうなったとき、食卓では何を思っているのだろう、その子供は何を思っているのだろう。そして、自分は子供の時分、何を思っていたのだろう。色々な…
[一言]  暖かくて切なかったです。あと、優しい雰囲気も良かったです。  家族との接し方で、後悔してることは俺もいっぱいあります。取り戻せないことなのに、その時は気づけないんですよねぇ……。人生とはな…
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