夕暮れと共に
さて、これからどうしようかな。もう一人の子も見つけておきたいんだけど、『みく』って単語は引っかからないんだよな。もしかしたら、遼一のクラスメイトじゃないのかも。
なんだか眠くなってきたな。ちょっと一休みするか。
ふぁーあ、よく寝たな。
お、今は授業中か。遼一はどこにいるかな。
ほうほう、遼一の席は一番後ろの右から二番目か。で、モモカの席は……前から二列目の左端か。結構離れてるのな。せっかくなんだから隣の席に座っちゃえば良いのに。
ちゃんと勉強はしてるのかな……寝てはいないな。でも、さっきから教壇とは違う方を見ているような。あっちにあるのは……モモカか。ま、そうですよね。それにしてもよく見てるな。
まだ見てる。
微動だにしねーな。寝ちゃったのか……いや、目は開いてるから起きてるな。
おーい、ノートは取らなくて良いのか。そこ、テストに出るってよ。
ん、さっきの『たけい』って子がメモを渡してるな。相手は『ともみ』って子だ。ともみって子がメモを読む。そして、遼一の方を見て笑いそうになる。どうやら、遼一がさっきからモモカを見ているのがバレたらしい。遼一もバカだな。好きな子を見つめるのは良いが、もっと分からないようにやれよ。
生徒たちに落ち着きがなくなってきたな。机の上を片付け始めてる子までいる。なんだ、祭りか。なんか始まんのか。
前方から電子的な鐘の音が聞こえてくる。
あー、授業が終わりそうだったのね。でも、勉強道具を片付けるのは先生の講義が終わってからにしろって。先生も心なしかそわそわしてたぞ。
お、遼一の机には勉強道具が置かれたままだ。意外と真面目じゃねーか。
先生はそそくさと立ち去っていく。……もしもーし、遼一くーん、もう先生も行ったみたいだよー。さっきからどこ見てんだ……って見すぎだろ。完全に視姦じゃねーか。お前の将来が心配だよ。
周りもお前の視姦に気が付いてんぞ。おい、目を覚ませ。おーい……。
ダメだこいつ、早くなんとかしないと。荒療治だが仕方がない。足にかみついてやろう。
そりゃっ。
……なん……だと。わりと強くかみついたのに、まるで効いてない。
「杉山ぁー、今度の日曜に中谷とデートに行くんだってな」
遼一と一緒にいた色黒だ。遼一はフリーズしたままだな。何も聞こえていないらしい。
色黒は遼一の首に右腕を回し、それを左腕を使って締め上げる。これはチョークスリーパーだ。
遼一がむせる。そして、顔を歪ませながらも色黒の腕をタップする。やっと正気に戻ったようだ。
「ゆ、勇示か。びっくりさせんじゃねーよ。死ぬかと思ったじゃねーか」
「お前が無視してっからだ」
「はあ? お前の声が小さかったんだろ」
「じゃあ、大声で言ってやろう。……今度の日曜に中谷とデートに」
「ちょ、バカ……ってか何言ってんの」
「俺の声が小さかったみたいだからな」
「意味分かんないわ。それより、なぜお前がそのことを知っている」
「……皆知ってるぜ」
「ん、言ってることが分かんないな。ミンナ(・・・)って何?」
「だからさ、このクラスの奴は全員、お前と中谷がデートに行くことを知ってるぞ」
遼一は目の前が真っ暗になってしまったようだ。またなんの反応も示さなくなってしまった。
この時、タケイのメガネが妖しく光ったような気がしたが、それは僕の気のせいだろう。
遼一はモモカを見つめる行為をやめたが、その代わりに生気を失ってしまった。
ペンは動かしてるようだが、ちゃんとノートが取れているのかは怪しい。そもそも、一人だけ出している教科書が違うってどういう状況だよ。
まあ、遼一の気持ちは分からないこともないか。でも、落ち込みすぎだろ。この世の終わりみたいな雰囲気をかもし出すのはおおげさだ。
その一方で、周りのクラスメイトたちの様子は遼一のそれとは全く異なっている。クラスメイトのほとんどがある話題で一色に染まっているのだ。その話題とは遼一とモモカのデートについてだ。二人は彼らの良い玩具になってしまったのだ。遼一のデートプランを予想して盛り上がる連中まで現れてしまっている。
モモカは雪のように透き通った肌を赤らめている。自分のことがネタにされていることに気が付いているのだろう。女の子に恥をかかせるなんて遼一も罪な奴だ。しかも、こいつは別の女の子とのデートも取り付けている。――それも同じ日に。本当に最低な奴だな。この事実を周りの連中が知ったら遼一の居場所はなくなるだろう。ふん、良い気味だ。やーい、ざまーみろー。女の敵め。なんかあっても、もう助けてやんねー。お前がこの状況をどう切り抜けるのか見物だわ。……まあ、自分の分身を使って上手いことやるんだろうな。……運の良い奴め。
今日の授業が終わったようだ。遼一だけはまだ教科書を広げている。ユージと呼ばれていた色黒が遼一に声をかける。しかし、遼一は反応することはない。ユージが遼一の首元に腕を回す。そして、さっきのように遼一を締め上げた。
遼一の身体はだらりとしたまま動かない。様子がおかしいぞ。
ユージが遼一の首元にからめた腕をほどくと、遼一はそのまま倒れこんでしまった。これはヤバイんじゃないか。完全に絞め落とされてるじゃねーか。
教室が騒がしくなってきたな。担任の教師が遼一に駆け寄っていくぞ。
泡を吹いているじゃねーか。遼一は駆けつけた担任とユージの手によってどこかに担がれていった。僕も追いかけよう。
窓から見える景色が赤みを帯び始めると、僕のいるところに心地よい風が吹き込んできた。そして、窓に取り付けられた布切れが大きくなびく。
「ごめんね、私のせいで……」
遼一が目を覚ましたのかな。遼一はまだ状況がつかめていないのだろうか。となりに腰掛けている女の子がだれなのかも分かっていないようだ。まあ、仕方ないか。満身創痍になっているところをユージによって絞め落とされたのだ。そのダメージも大きかろう。
「私ね、男の子にそういうことに誘われたことがなくてね、こういう時にどうしたら良いのか分からなかったんだ。それで、武井ちゃんに遼一くんのことを話しちゃったの。本当にごめんね」
いやいや、モモカは悪くないよ。こいつの自業自得だから……ってここはお前が返答するところだろーが。なんで僕が心の声で返事してんだよ。いい加減に目を覚ませ。
今度は思いっきり強くかみついてやろう。くらえっ、ひっさつまえば。あ、これは八重歯か。ま、どっちでも一緒だ。
「いちぃー!」
「え、え、い……いち。あの、大丈夫。先生を呼んでこよーか」
「いやいやいや、大丈夫……って……え、あれ、なんで」
「委員会が終わったからね、遼一くんの様子を見にきたの」
「あ、そっか。……いや、そうじゃなくてさ。ここ、どこ」
「保健室だよ。比嘉くんに首を絞められ、遼一くん倒れちゃったの」
「……あー、そうだ。思い出した。あのヤロぉー」
「あ、まだ動かない方が良いんじゃない」
「……う、うん。そうだね、まだ気分が良くないかも」
あー、これはウソですね。もっと一緒にいられると思ってウソついてますね、絶対。
「ほらぁー。もう少し保健室は使えるみたいだから、それまでゆっくりしてた方が良いよ」
「……うん」
遼一は尻に敷かれるタイプだな。
「……」
「……」
うわー、甘酸っぺー。沈黙しちゃったよ。……外に行くか。
僕がここを立ち去ろうとすると目の前の扉が勢いよく開く。
「遼一、いるかー」
突然現れたそいつはずかずかと奥に進んでいった。
「いやー、練習の後に反省文を書かせるんだもん。まいっちったよ」
そして、そいつはその勢いを保ったままベッドを囲っているカーテンを開け放つ。
「あ……わりぃ、お邪魔だったかな」
で、出たー。良い雰囲気になってるところに現れてムードぶち壊す奴ー。