なみだ
先生が席を離れる。残された美矩はぶつぶつ何か言いながら問題集を解いている。
最悪のタイミングで僕は先生たちの下へ来てしまったようだ。
店員の目から逃れるために近くのテーブルに隠れたら、それは先生たちが利用している物だった。うん、ここまでは良い。だが、二人を包んでいたのは師匠たちのような和やかなモノではなく、どんよりとしたモノだった。そして、美矩が先生に返事をしなくなると、先生はどこかに立ち去ってしまったのだ。
よく見たら美矩は目が充血してるのが分かった。あーあ、もう見てらんない。先生の気持ちも分からんでもないけど、今は美矩のことを考えてあげようよ。
先生の荷物はイスの上に置かれたままなので、美矩を置いて帰ってしまったわけではないようだ。
何かが滴る音が聞こえる。もう一度、美矩の顔をうかがうと、充血していた目が今度は潤んでいた。りょ、遼一、なんでも良いから、早く戻ってきてあげて。
僕が動揺を隠せないでいると先生が戻ってくる。そして、何かを美矩に手渡そうとする。
「ほら、早くしないと溶けるぞ」
美矩は下を向いたままだ。
先生はイスに腰掛けると、差し出したのとは反対の手にある何かをぺろぺろとなめ始める。どうやら、先生はソフトクリームを買ってきたようだ。
美矩のこぼした涙がぽたぽたとノートに落ちる。僕はその様子が見えているわけではないが、紙に水滴が落ちるような音が微かに聞こえるのだ。先生は片方のソフトクリームを美矩に差し出したままで、その腕はぷるぷると震えている。その体勢を維持するのは疲れるのだろう。しかし、他にどうしたら良いのかも分からないのだ。
「お前、ここのバニラ好きだったろ」
美矩からは鼻をすする音しか聞こえない。そして、彼女の目の前にあるご馳走は溶け始め、その一部が先生の指に触れていた。
あー、勿体無い。
先生は伸ばしていた腕を曲げ、指にかかったバニラソフトを舌でなめる。そしたら、今度は反対側の指もなめる。いつの間にか、先生が両手に持っていたソフトクリームはどちらも溶けていたのだ。そして、また、美矩に差し出していた方の指をなめる。それが済んだら、反対側の指だ。この作業をもう一度繰り返す頃には、美矩のソフトクリームはその形を成していなかった。諦めた先生は自分が食べていたソフトクリームを一気に口に放り込み、美矩に渡すはずだった方を急いでなめていった。
先生は二つのソフトクリームを見事にたいらげる。そして、両手を不自然に浮かせていた。
「汚いなー」
美矩が笑みを浮かべて手元に置いてあったおしぼりを先生に差し出した。
先生は手を拭きながら口を開く。
「美矩も食べるか」
「もうないじゃん」
「また買ってくるよ」
「別にいいよ」
先生は立ち上がり、どこかに向かう。美矩は伏せていた顔を上げ、目元を人差し指でなびいている。あれ、先生は一人でどこに行っちゃったんだ。
僕が不思議に思っていると先生が戻ってきた。そして、その手にはソフトクリームが握られていた。え、君はまだ食べるのかい。――いや、それはないか。でも、美矩は別にいいって言ってたじゃん。
「別にいいって言ったじゃん」
ほら、やっぱり僕の聞き間違いじゃなかった。だが、美矩は先生が持っていたソフトクリームを笑顔で受け取った。
え、どういうこと。僕が呆気に取られていると、美矩は幸せそうにバニラソフトをほお張っていた。
あんな風に食べて口の中は冷たくないのかな……いや、そうじゃなくて。なんかさ、話が噛み合ってないよね。
「美味しいか」
先生が美矩にたずねる。すると、美矩は満面の笑みで頷いた。
くそ、ラブラブじゃねーか。心配して損したわ。




