ある科学者の行方
ドッペルゲンガーとは、ある日突然現れる自分の分身のことだ。なんでも、ドッペルゲンガーを見たものには死が訪れると言われている。僕はそういったオカルトものには興味がないが、だからといって、それを科学的見地から否定する気もさらさらない。でも、言い伝えられているのだから、そういうこともあるんだろう。
このドッペルゲンガーというモノが科学的に証明されたのは五十年代のことだ。日本の大学教授がタイムトラベルを実証したのだが、その時に起こり得る時間的矛盾、いわゆるタイムパラドックスがドッペルゲンガーの正体だというのだ。なんでも、ドッペルゲンガーとは未来から来たもう一人の『自分』のことらしい。この理論に基づけば、数時間後の世界からきたもう一人の遼一はドッペルゲンガーということになる。では、この世界の遼一には死期が迫っているんだろうか。――多分、それは違う。ドッペルゲンガーを見てしまった者は『死ぬ』のではなく『消える』のだ。消えるとはいっても消滅するのではなく、別世界に飛ばされてしまうんだ。この別世界とは過去の世界のことで、そこでまた、その世界の自分はそのまた過去に飛ばされるというわけだ。その間、一つの世界に同じ人間が二人存在する、これがドッペルゲンガー現象というわけだ。なんだか賢くなった気がするぜ。たしか、この理論を発表したのは若い女の人だったはずだ。――といっても、その人も良い年齢になっているはずなんだけど、このタイムトラベル論を発表した何年後かに行方不明になったんだよな。これを聞いた人は必ず、彼女はタイムトラベルをしたんじゃないかと言う。浪漫だね。人為的にタイムトラベルをする方法はトップシークレットだし、僕も好きな時代に行けるわけではない。彼女はどこで何をしているんだろう。
桃香はさっき買ってきた書籍を開き、その内容を師匠に読み聞かせている。しかし、その内容はどれも胡散臭いモノで、小等部の子ですら信じなさそうだ。作者は自分の書いた物が女子高生に熱弁されるなんて思いもしなかっただろうな。
桃香の頭が心配だ。でも、それがこの子の良さでもあるのかな。浮世離れしているというか。それを幸せそうに受け入れる師匠も良い奴だな。いや、恋は盲目とも言うしな。
そういえば、すぐ近くには先生と美矩もいるんだよな。桃香のオカルト談義は退屈だから、そっちに行くかな。
僕は師匠の股座から飛び降り、先生たちを散策することにした。師匠になでられているのも悪くないんだけどね。
さっきまでいた特等席を振り返ると、何もない空間を師匠がなでているのが見える。アホだ。師匠は僕がいなくなったことにも気が付いてない。ま、そういうところが可愛いんだけどね。
たしか、先生はこっちに去っていったよな。こう人が多いと集音マイクで検索するのは難しいな。
時々、小さい子に指差されるが、それは気にしない。幸い、大人はあまり下を見ていないようなので大丈夫そう。子供が何かを言っていても知らん顔だ。――と思っていたのもつかの間、エプロン姿の店員がこちらを指差してひそひそ話をしているじゃないか。僕は急いで近くのテーブルの下に退避した。
「私といるのつまんないよね」
テーブルの上から女の子の声がする。
「へ、そんなことないよ」
間抜けそうな男の声だ。
「だって……さっきから携帯いじってるし、なんか落ち着きないじゃん」
「そ、そんなことないよ」
お前は『そんなことないよ』しか言えないのかよ。
「ふーん」
気まずいな。場所を変えるかな。でも、さっきの店員に見つかるのは避けたい。
「でも、そうだよね。私が勉強してるのなんか見ても、なんも面白くないよね」
こんな騒がしい場所で勉強しようなんて変わった子もいるもんだ。どれどれ、どんな容姿なのか確認してやろう。
僕は周りに見つからないように気をつけながら、テーブルの下から顔を覗かせた。




