忍の朝
閑静な住宅街に白い光が射し込み、僕の瞼は簡単に突き抜けられる。そして、僕が見ていた真っ黒な垂幕は少し赤くなる。それを上げると、二人の少年が一つの部屋に会しているのが見える。だが、残念なことに少年たちを癒す床は分けられている。いや、僕はなにを口惜しく思っているのだろう。僕にはそんな趣味は毛頭ない。そんなことに興奮するのは変態だけだ。僕はそんな下劣な思考を持ち合わせていない。
乱暴な足音が近づいてくる。そして、その足音がぴたりと止むと、遼一の部屋の扉が勢いよく開かれる。
「にーに、あさー」
どこかから幼女の声が聞こえてくるが、その声の主は見当たらない。
「にーに、はーくにんじゅつやってー」
先生が眠るベッドの前で黒い物体が飛び跳ねるが、カベが邪魔していて、その全貌は分からない。まあ、どう考えても文華の頭だ。
「ねー、にんじゅつみたいのぉ」
先生は布団の中から腕を伸ばして文華を包み込み、そのまま自分の布団の中に引きずり込む。
「ウールガードの術ぅ」
先生はもごもごと口ごもる。
しかし、文華が大人しくなっていたのは一瞬だけだった。
「ねー、これじゃないのー。もっとおもしろいのー」
「ししょお、任せた」
先生はそう言って文華をベッドの脇で寝ている師匠の上に落とす。おいおい、妹をペットみたいに扱うなよ。
ここからだと下の方が見えないんだよな。もう一つ上の屋根に移動するかな。
「デ、デスピサオの……術」
僕が師匠の方を見ると、文華が師匠の腹部から顔をのぞかせている。師匠が文華をパジャマの中に入れてお腹の辺りのボタンを外し、そこから文華が頭だけ出しているのだが……上手く伝わっているだろうか。あと、デスピサオってなんだよ。
「こーれーじゃないー」
「あら、どこにもいないと思ったら、こんな所にいたの」
廊下には遼子が立っている。
「忍は朝に弱いのよ。さあ、お母さんと一緒に行きましょう」
遼一たちはまだ目を覚ましそうにないし、僕も下に行くとしよう。
これは一体なんの儀式だろう。文華がテレビに向かってなぞのポーズを取っている。
「ふーちゃーん、朝ご飯にしましょー」
文華のへんてこな舞は止まらない。これは大丈夫なのだろうか。僕には文華が洗脳されてるようにしか見えないぞ。
遼子がこちらにやって来て、文華を抱きかかえて連れて行く。しかし、それでも文華はテレビから目を離そうとしない。
「お兄ちゃんたち起きてこないねぇ、先に食べちゃってよっか」
しかし、文華はもう朝食をぱくぱくと食べ進めていた。
「ふーちゃん、『いただきます』はしたの」
遼子が少し強い口調でたずねる。
「うんー」
「してないでしょ。はい、それは置いて手を合わせて」
遼子は文華の手からスプーンを取り上げる。文華は口をもぐもぐさせてこちらを見続けている。
遼子がなにかを手にして、それをこちらに向ける。すると、テレビから聞こえていた音声がぴたりと止む。
「マーマー」
文華は脚をばたばたさせて駄々(だだ)をこねている。あ、今のはリモコンとかいう奴か。昔の人はああやって機械の電源を付けたり消したりしていたんだよな。
「一緒に『いただきます』しましょ」
遼子が手を合わせ、文華がそれを真似する。しかし、文華の脚はばたついたままだ。
「いただきます」
二人が同時に声を発すると、文華の視線は遼子の顔とこちらを行き来する。
遼子がリモコンをこちらに向けると、また、にぎやかな音が聞こえ始める。そして、文華はこちらに目を向ける。
いや、こえーよ。どんだけテレビが見たいんだよ。絶対変な電波に侵されてるよ。
「おはよーさーん」
遼一の声だ。こいつは赤いリストバンドを嵌めているからマリモ師匠だ。
「ぉおん、ふびぢゃんはなにをみでるのかなー」
あ、えっと……なんだっけ。
「わー、ミャーちゅうだー」
そう、ミャーちゅうだ。どういうキャラクターなのかは分からないが、幼児向け番組に出ていることは確かだ。
「おい、もう止めとけ」
後から入って来た先生がぼそりと言う。
「なんでだよ、文華も喜んでるじゃないか」
「良いから、傷口は浅い方が良いだろ。女はな、幼い時から魔性の生物なんだよ」
「んー、なんか聞き捨てならない単語が聞こえたわね」
遼子にも聞こえてしまったようだ。
「後で話すから、な。飯にしようぜ」
先生が気にしているのはミクが言っていたことだろう。文華がミクに遼一の声真似が似てないと言っていたことを気にしているのだ。遼一は本当に繊細な奴だな。




