飛影
遼一が学校から帰ってきたようだ。杉山家は香ばしい匂いを漂わせている。
「お、今日はカレーかぁ。久しぶりだねー」
「やっと、帰ってきたか」
「うおー、誰かと思ったぜ。どうしたんだよ、その格好は」
多分、師匠は先生のエプロン姿に驚いているのだろう。僕もあのエプロンはどうかと思う。他のデザインの物はなかったのだろうか。
「とりあえず二階に上がってくれ。文華はテレビ見てるから」
先生が小声になり、師匠もそれに合わせる。
「あ、そうか。文華は知らねーんだよな」
「ママぁー、だれかきたー」
「ふみちゃーん、今のはテレビの音よー」
二人が階段を上ってくる音が聞こえてくると、そのすぐ後に遼一の部屋の扉が開かれる。すると、そこにはハート柄のエプロンを身に付けた先生と制服姿の師匠がいた。
二人は部屋に入り、先生はイスに腰掛ける。
「で、お前のその格好はなんなんだよ」
師匠が着替えながら問いかける。
「母さんだよ。今日はカレーライスを作らされてたんだ」
「え、今日の飯はお前が作ったの。あー、なんか今日はお腹空いてないかも」
「大丈夫だよ。ずっと母さんが見てたから」
「そ、そうか。それなら大丈夫かもな」
パジャマに着替え終わった師匠が先生の手元を見る。
「おー、そうだった。お前に渡すもんがあるんだ」
先生がエプロンのポケットから赤い輪っかを取り出す。
「母さんがな、俺たちの見分けが付くようにって」
「なるほど、お前が緑で俺が赤か」
師匠は赤いリストバンドを右手首にはめ、少しの間、それを眺めた。
「それで、文華はどうすんだよ」
「俺たちは……今日から忍だ」
師匠は表情を一切変えずに動かなくなる。
「もしもーし、起きてますかー」
「え、ああ、ごめん。なんか幻聴が聞こえてた」
師匠は目をぱちくりとさせている。そりゃ、そうなるよ。僕もそれを聞いた時は耳を疑ったもん。
「早速、俺の幻術にかかってしまったか。俺たちはタルトなんだよ」
「ご、ごめん。よく聞き取れなかった。もう一回言って」
「だーかーらー、タルトだよ、タルト」
「え、タルトってお菓子のタルト」
「ちげーよ。ジャンクのタルトだよ。お前も読んでるだろ」
「あー、はいはい。TARUTOね」
「それで、俺たちはタルトの世界の忍だったって設定だから」
師匠はまた動かなくなってしまった。
TARUTOとは忍の世界を舞台にした少年漫画のことだ。世界的にヒットした日本漫画の一つでもある。僕もその名前ぐらいは知っている。
文華もTARUTOが好きなようで、遼一をその世界の住人に仕立てる作戦を取るらしい。
遼一が忍の一員ならば分身の術を使えてもおかしくはないという理屈らしい。こんなことをバカげたことを、この親子は真面目な顔をして考えていたのだ。
「――えっと、それで俺はどこに隠れてればいいんだ」
「カウンターの後ろにいてくれ。俺が『分身の術』って言ってしゃがむから、そしたら一緒に飛び出してくれ」
「お、おう。それで、俺はどうやってキッチンにまで行けば良いんだ」
「んー、そうだね。なるべく俺たちで文華の注意がそっちにいかないようにするよ」
「あ、そこは適当なんだ」
「そうだ。あと、これもな」
先生はタンスの引き出しを開け、そこから取り出したハート柄の衣服を師匠に差し出した。
師匠がそれを戸惑いながら広げると、それが遼一が見に付けている物と同じ物であることが分かる。
「……ごめん、ちょっと意味が分からない」
「分身の術だよ、俺たちが違う服着てたらおかしいでしょ」
「……そういうところはこだわるんだね」
「お前さー、忍をなめてんの」
「うん。でもさ、ジャージとかじゃダメだったわけ」
「ジャージは擦り切れ方が違うでしょーがー」
一時の間を置いて、師匠の雰囲気ががらりと変わる。
「ですよねー。よし、早く着替えちゃおーっと……にんにん」
師匠も腹をくくったようだ。エプロンに着替え始めている。
「それとさ、忍はそんなこと言わない」
師匠は先生の方を見てきょとんとする。
「最後の奴だよ」
「あ、『にんにん』のこと」
先生は師匠の顔をじっと見つめる。
「そ、そうだよね。うん、ごめんね」
め、めんどくせー。遼一ってこういう奴だったのか。正直、あまり関わりたくないタイプだ。
僕は下に行っとくかな。こいつらもすぐに来るだろう。




